れるようになった。
『文学評論』に「癩」を発表した島木健作氏のそれにつづく獄中生活者を描いた作品は、従来のプロレタリア文学に欠けていた人間描写とインテリゲンツィアの良心を語る、目新しいものとして一般からよろこばれた。これらの作品の題材の特異性、特異性を活かすにふさわしい陰影の濃い粘りづよい執拗な筆致等は、主人公の良心の表現においても、当時の文壇的風潮をなしていた行為性、逆流の中に突立つ身構えへの憧憬、ニイチェ的な孤高、心理追求、ドストイェフスキー的なるもの等の趣向に一縷接したところを含み、その好評に於ても、プロレタリア文学の成長の道の多岐と多難さとを思わしめる時代的なものがあったのであった。

 昭和十年(一九三五年)は初頭から能動精神、行動主義文学の討論によって、活溌に日本文学の年次は開かれたのであるが、前年、これらの生活的・文学的動議が提出された当時から、知識階級についての理解、行為性の内容等のうちに含まれていた矛盾については、その社会性において何等深められ真に発展させられるところがなかった。この理論の根柢によこたわる深刻な矛盾にはふれず、又、それにふれないで何とか目前を打開して行
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