につらなったのであった。が、アンリ・バルビュス、ルイ・アラゴン、トリスタン・ツァラ、クウチュリエその他によって、一九三〇年組織された「国際作家同盟フランス支部」の活動やその雑誌『コンミュン』の性質とフェルナンデスの「行動のヒューマニズム」理論が本質的に異ったものであることは、フェルナンデスが作家の生活的思想的孤独についてバルビュスなどとは対蹠的な評価を抱いている点について観るだけで、既に十分理解出来る。フェルナンデスのヒューマニズムも、知識人とその知性というものを社会生活の現実階級との関係において見ず、抽象化している点でN・R・Fの最も望ましからぬ精神傾向の伝統的な嫡子の一人なのである。そして、近代芸術において「行為的主権を証左したもの」として、「セクジュアリテの胸に自らを委ねた」イギリスのD・H・ローレンスの諸作、「権力への意志に自己を燃焼した」作家としてマルロオの諸作品。「人性の創造的行動のうちに深く滲潤することによって生活のリズムを把握しようとする」作家としてフェルナンデスの作品が、日本における行動主義の人々によって続々翻訳出版されるに至ったのである。
 フランスにおける「行動の
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