この年月「高邁なる精神」と日本語に表現して身につけて来た生活と思想との核心的ポーズは、そのまま「行動主義」のニイチェ的なるものとしてあらわされている。更にフェルナンデスは、左右両翼のいずれへ作家が思想的立場を決定することも、歴史と思想の現状になんら照応しない観念、あるいは感じ方の最後的な表現としている。或る種の作家は孤独にあってなし得る時代に対する道徳上の確言があることを強調しているのである。
世界文学の視野にヒューマニズムの問題が現れたのは一九三〇年からであった。然し一九三四年という年は二月のパリ騒擾事件(スタビスキー事件)におけるファシストの狂暴を契機として、フランス思想界に、左右の対立が歴然表面化した時であった。反ファシズム団体が政治的に結合したばかりでなく、文化を擁護するためにフランスの思想家、作家が反ファシスト行動委員会を組織した。この委員長はパリの自然博物館長であった。この委員会は学界の代表者を包括して八千名を超した。
これまで社会問題をあまり扱わなかったN《エヌ》・R《アール》・F《エフ》さえ時事問題をあつかわざるを得ない情勢におされ、広汎な反ファシズム文化運動の一翼
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