化振興会の成立以前、既に前年松本学氏が警保局長であった当時、故直木三十五氏や三上於菟吉、佐藤春夫、吉川英治諸氏と提携して「文芸院」設立を目論んだ時から端を発している。当時、既に正宗白鳥氏その他が現在保護と監視は同義語であるとして、「文学者がさもしい根性を出して俗界の強権者の保護を求めたりするのは藪蛇の結果になりそうに私には想像される」と云った。
文芸院はその後形を変えて「文芸懇話会」となり、文芸院が概して大衆作家を主体としたのとちがって文芸懇話会はプロレタリア作家以外の純文学作家をも多数包括した。「文化の宝船に、文芸の珠玉を載せて、順風に金襴の帆を孕ませて行く。それが文芸懇話会の使命でありたい。楫《かい》をとるもの、艪を操るものには元より個々の力の働きがあるであろう。しかし進み行くべき針路は定っている」太陽をめぐる天体の運行が形容の例にとられ、そのような「拘束でない節制」を文化にもたらす組織として成立し、事業を物故文芸家慰霊祭、遺品展覧会、昨年度優秀文学作品表彰、機関誌『文芸懇話会』の発行とした。そして昭和九年度(一九三四)の文芸懇話会賞(一千円)は会員である横光利一氏の「紋章」と室生犀星氏の「兄いもうと」におくられたのであった。
ところが、この金襴の帆を順風に孕ませた宝船、文芸懇話会というものの文学に対する性質の矛盾は、この一九三五年七月、文芸懇話会賞が与えられた直後、授賞者決定に当って審査員の投票では島木健作氏が選に入っていたにもかかわらず、公表されない特別の理由から室生犀星氏と取かえられたことが一般に知られ、佐藤春夫氏が脱退の意を示した事件によって、悉く明らかにされた。
この事実は、文学の領域には前例のない事件として、当然諸方面から文化統制に対する反対が生じ、二年前プロレタリア文学の退潮、それに引つづく沈滞期に叫ばれたよりはその社会的色調を濃くした現実の姿で文学の危機が再認識された。
文学の本質が、非人間的人間関係に対する抗議と批判との精神であることを改めて主張する必要に迫られ、これに応じて、横光氏の純粋小説論に連関して漠然両者の接近が予期されていた純文学と通俗小説との文学的本質の相異が改めて究明されるに至った。通俗文学と純文学との質の相異はただ生活と文学的現実の中で、必然と偶然とに対する解釈を異にしているばかりでなく、「両者の区別は文学の本質である『
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