語りてである知識人の社会生活の狭隘化と弱化につれて貧困になっているのであるから、その不満・反省の一形態として、横光氏の所論は反響をもった。共感は自意識の問題や、近代人の偶然性の説明に対する漠然とした疑いを含みつつ示されたが、この自意識を自我という観念にまとめて、その点から、横光氏の私小説論に対立した作家、評論家がある。
 尾崎士郎氏は、作家としてリアリストであるよりはロマンチストであるが、この作家は嘗て久米正雄氏が純文芸とは私小説にほかならないとした言葉をとり、日本の近代文学に現れた「私小説」というものが、横光氏の説く如く古来の日記・随筆の文学形式の発展としてあらわれたものではなく「私」というものの近代的発展の発現であると主張している。「しかし個人主義時代の『私』と今日の『私』とはちがう。」「今日においては『私』を決定する想念は個人主義的要素をいささかも含んでいないということが一つの特質として認められねばならぬ。」「作者の生活態度、人生観が作中の『私』に変貌しているかどうかということなぞということは結局どうでもいいことなのである。」「個人の経験が表現の上に客観的統制を保つ余裕のないほど切実にあたらしい(というのは主観的な認識ではない)社会的現実に斬りこんでいるか否かということだけが存在を決定する。」私小説の問題は「もっと純粋な主観的表現に達するためには、いかにして夾雑物を払いすてるかということだけである」とした。(引用文、一九三六『文芸年鑑』)
「私小説」というものが近代日本文学にあっては、現在志賀直哉氏の文学にその完成を示しているところの純粋小説であるとし、日本に於てはプロレタリア文学の理論が、「文学における思想の優位を主張」する時代になってはじめて「私」と社会との対立が問題となって西欧の「私小説の歩調に接近して来た」と見たのは小林秀雄氏である。氏はヨーロッパ文学において人文主義の時代から十九世紀の自然主義時代に至る自我の発展「社会化した私」と、自然主義が文芸思潮として移入した明治時代の日本の「要らない肥料が多すぎ」「近代市民社会は狭隘であった」中で自我を未だ自我の自覚として十分社会的に持ち得なかった日本の知識人が「自然主義を技法の上でだけ」摂取し、対象を我におかず「実生活」においてそこに膠着せざるを得なかった事情と対比した。
 尾崎、小林両氏の私小説論は、「純文
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