ことと切りはなせないものだろう。
今日、作家のより社会的な成長が云われるとき、めいめいが自身のコムプレックスについて、謙遜にかつ熱く考えてみる必要はあると思う。果して、文学の仕事に従うような核心的なものが自身の精神のうちにあるかどうかについて、若々しく憂悶する美しさもあっていいのではなかろうか。『文芸』の当選作「運・不運」(池田源尚氏)を読み、選評速記を熟読して、深くその感に打たれた。
三
「運・不運」(池田源尚氏)は、この作だけについて決定的なことを云われたら作者も困る作品だろうと思った。『文芸』の今回の選には満場一致のような作品がなくて、そのためかえって話題にのぼった各作品が計らず縦横から相当突こんで語られ、それにつれておのずから今日の文学の諸相も示されている。その点が一般の読者にとっても興味深かった。
未完成な作品として「運・不運」はそのことを積極的な評価として推薦されているわけだが、未完成なのはこの作者と作品のどこのことについてかと、考えさせられた。それは主として小説を書く技術のことではないのだろうか。何故なら、この作者は自分の描こうとする対象への当
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