得の筋道を見出したい切実な要求も動いている。
系譜的作品に向う必然にそういう要因のあることもわかるけれども、それならばと云って、多くの所謂系譜的作品が、そういう意味でも意欲的に過去の現実へ立体的にくい下っているとは決して云えまいと思う。
登場人物の性格の或る種の面白い組合わせや状況やについてはそれぞれ工夫がこらされていて、そのことは『文芸』の「運・不運」を見ても野口氏の「河からの風」を見てもわかる。後者では東京湾の海苔生産の描写が大仕掛に文化映画的にかかれていて、その間に展開される人間の生活との比重に狂いを生じてさえいる。
それ等の工夫にかかわらず、系譜的と云われる作品が、とかく生活の生々しい絵巻というより楽な過ぎこし方の物語となるのは何故だろう。今日それが自然発生的にさえ多く書かれる何かとりつきやすさがあるらしいのは、どういうわけだろう。
『文芸』の選評の間で、生態描写のことがちょっとふれられているが、系譜的な作品というものと、過去へさかのぼった生態描写とは文学の質において異うという点が、深めて考えられていいと思った。
「生きて行く姿の移り変りをその移り変りに重点をおいてかく。
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