その時々の一種のモラルみたいなものを描いてゆく」(青野氏)ものとされているのが、生態描写である。青野氏はなかなか面白いとし、宇野氏は「イヤ、いかんね」と云い、その座は笑声に満ちたらしいが、これをすこし云い直してみると、私たちの直感で、或る本質がつかめる。「作家の系譜」と云ったとき私たちに感じられるもの、「作家の生態」と云ったとき受ける一種の感じ、同じであるとは誰しも云えない。
移り変りに重点をおく、という現象への人間の適応を辿る生態描写には、生存の跡はうつせても生活は彫り出しきれない。一つの移りから次の移りそのものの肯定はあって、動きの現実がもっている評価は作家の内部的なものとの連関において考えられていないのである。モラルというものも、動きの合理化に過ぎない場合が多いことは、一つ一つの動きに評価を求めない態度から当然導き出される。
そして、そういう風な小説ならば「あれだけ書いて、あれだけ見れば人生に対する観かたをもって来る筈なのに、其がない」(青野氏)場合でも一応は書けるのである。
五
あらゆる社会現象の理解のために、そして文学の正常な進展のためには、現代
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