田義之氏「はずみ」野口富士男氏「河からの風」いずれも大別すれば系譜的な作品と云える性質をもっている。
今年特に系譜的な作品が多く現れたということは、現代の社会のどんな文学への現れなのだろう。
作年は素材主義の荒っぽさに対して、文学の文学性が再び顧みられたにつれて、短篇の真実さが見なおされた。長篇が本質の貧寒さから、時流におされて素材で押し出す傾に陥った対症として、作家が真のモティーヴをもって描く短篇のうちにのこされた文学性がかえりみられたのであった。
しかし、短篇であるにしろ従来の私的身辺小説であるまいとする努力はすべての作家の念頭から離れず、一方で三田伸六、車膳六その他の主人公たちが生まれるとともに、他の一面では多くの作家の眼が、今日の生活の前方や右左へ強い観察を放つよりもむしろ後方へ、過去に向って拡がる形を示した。
今日から明日へと作家の意気組が向うよりも、今日かかる朝夕の有様のきのうは、おとといはと目が誘われてゆく底に、極めて複雑な内外の現代の心理がひそめられている。今日一般に歴史的な読書への傾きがつよめられて来ているが、その原因には、目前の無説明な、紛糾に対して何とか会
前へ
次へ
全19ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング