トふてふ」は「ちょうちょう」とよまなければならなかった。こういう不便がとりのぞかれねばならない。最近では新しい仮名づかいが試用され始めている。そしてこのふるい困難から日本語を解放しようとしている。
 ローマ字は急速にひろまっている。戦争中文部省は敵性語として外国語を初等中等学校の教育課目の中から削った。蓄音器の「レコード」さえ「音盤」といいなおさせた。ラジオの「ニュース」という言葉は「報道」とされた。一、二年前に地方の女学校を出た娘は翻訳文学書をよむことは敵性文学であるから悪いことと信じこまされてきた。ローマ字は小さい子供から大人の興味をひきつけている。日本語がすべてローマ字で書かれる時が来ることはまだ遠いにしろ、昨今のローマ字流行によって、戦時中強く植えこまれた人種的偏見がうち破られてゆきつつあることはよろこばしい。
 日本の国語 日本の国語の悲劇は言葉の使い方の中に著しく封建制を残していることである。市民社会を経てブルジョア文化を発展させた諸外国の言葉の使い方をもっては想像されないように男女の別と身分の別とが日本語の使用法、特に敬語の使い方に現われている。天皇の一家は彼らだけの間に理解されている名詞や動詞をもっていた。あらゆる家庭の中に主人に対する妻子の言葉遣い、召使の主人に対する言葉遣い、他人に対して自分に関することを話す場合の卑下の表現がある。会社や役所では上役から下役への表現があり、地主と小作の間には平等な言葉遣いが存在しない。
 憲法が改正され民法が改正された。しかしまだまだ日本の生きた言葉はこの複雑な封建性から解放されるためにみじかくない時間を要するであろう。日本語の封建性は日本の人民の実質的な民主化の水準を示すものである。
 今日の日本語は非常に混乱している。長い戦争中軍隊生活を強いられた人々の間にまだ軍隊口調が残っている。方言やなまりによって標準語が乱されている。これは子供たちが戦争中疎開してさまざまの地方で生活した結果である。戦争中極端に外国語をシャット・アウトした反動で、この頃の日本語の中へはさまざまな外国語や片言がなまっておりまぜられてきた。模倣的な軽音楽の流行歌が一つの役割をもっている。
 中国人の話す英語があるように日本では日本人英語が出来かかっている。言葉の国際的隷属について日本の有識者は楽観的見解はもっていない。

        3 宗教

 ポツダム宣言は「言論宗教および思想の自由」が確立されることを規定している。日本管理政策も「政治的社会的宗教的自由に対する制限除去」を指令した。「宗教団体法」は治安維持法とともに廃止された。一九四五年十二月に国家権力と神道との完全分離を指令された。明治以来支配権力が公的な資格で神道を後援・宣伝してきた伝統はたち切られた。権力と神道の結合こそ日本のファシズムの根源であった。軍国主義の精神形態であった。国家権力と神道が分離されたことは神祇院の廃止となった。官公吏の公的資格での神社参拝、儀式祭典参列は禁じられた。伊勢の皇大神宮その他に関する管理法制も廃止され、特別な服装と特別な教育で仕立て上げられていた神官たちは官吏であることを止めた。官公立の神道教育施設は廃止されて公的補助を受ける教育機関が神道の宣伝をすることは止められた。
 国家権力と神道とが分離されたことは、天皇を「あらひと神」から人間にもどした。新憲法は十九条に「思想および良心の自由」、二十条に「信教の自由、政教の分離」、八十九条に「公の財産は宗教上の」団体などのために利用されてはならないことを規定した。
 これらのことは近代社会と民主国家の常識である。けれども保守的な日本官僚はあらゆる形であらゆる機会に伝統的神国精神を保守しようとしている。このやり方は戦争協力者の公職からの追放を出来るだけサボタージュして数において最小限に、時間において最大限にひっぱっている。政府は一九四六年十二月になってやっと内務、文部次官通牒として慰霊祭の停止、学校からの忠霊塔の撤廃などについて命令した。
 宗教団体法が廃止され、宗教法人令によって宗教団体の設立はやさしくなった。「信教の自由」という言葉は失業しかかった神官たちに救いの綱となった。彼等は保守的な反民主勢力と結びついて「神ながらの道」によって人心の安定をはかるとして一九四六年十二月「神社本庁」を設立した。八五、二九四の神社が組織されている。
 仏教は海外の日本植民地にも進出していたことは、アメリカにおける日本人移民の間における僧侶の活動をみても分る。戦争中、寺は神社とともに人民の血と涙の上に繁栄した。一九四五年八月以後仏教の魅力も当然変化した。しかし教団設立の自由を得て、戦争中は宗派別を無視して戦争協力させられていた各宗派の間に独立の運動が盛となった。一九四七年六月には七〇の教団が設立された。
 天理教その他 天理教は一種の私有財産否定と政治権力の否定を教義の中に持っているために戦争中弾圧されてきた。この天理教も信教の自由によって息をついたし、このたび文筆家の公職追放リストにのっている谷口雅春を組織者とする「人の道」はP・L教団として組織された。大本教として政府要路の人々の家庭にまで侵入していた一種の宗教は「愛善苑」として再出発し、原始的な太陽崇拝に結びついた宗教類似団体から新たに教団を組織したものもある。
 邪教と「まじない」 戦争中日本のすべての人民は科学的なものの考え方から閉め出されていた。長年の愚民教育と戦争によるさまざまな悲しみ、戦後の混乱と建設的な民主革命が停滞させられて生活不安が慢性になってきていることなどから、一種の「神だのみ」の傾向が強くあらわれている。栄養障害から起った病気の手当に「まじない」を行う者や、インフレーションによる生活不安と動揺とを人相見の意見や手相見の判断で落ち着こうとする者が少くない。カメラは浮浪児や夜の女やヤミ屋の若者のえがき出す街頭風景の中に占者の店をとらえている。
 政府が一方で賭博を禁止しながら「宝くじ」の百万円の夢で人々のポケットから金を捲きあげた。投機的な気分が現世的利益の邪教に導びかれるのは当然である。一九四七年一月にジャーナリズムを賑わした「璽光尊」の出現は、その悲喜劇的面でよくこの間の事情をあらわしている。この巫女を中心とする璽宇教に、もっとも理性的な遊戯とされている「碁」の天才的チャムピオン呉清源が熱心な信者の一人になっていることも世人の注目をひいたし、日本の理智的な角力として有名だった双葉山がとりこになっていることも人々に意外の思いをさせた。
 キリスト教 第一次ヨーロッパ大戦を世界のキリスト教徒は防ぐことが出来なかった。第二次ヨーロッパ大戦に際しても、キリスト教は悲惨をさけるために決定的な力を発揮しなかった。日本におけるキリスト教徒は戦争中極く少数の人々が戦争反対によって投獄されたり、活動の自由を奪われたりしていただけで、一般人民となんのちがいもなく戦争に協力さえしていた。一九四五年八月以後キリスト教は他の宗教とともに、人々の信仰の自由に向って解放された。ミッションの活動は活溌となり経済的、人的に国際的援助がめざましくなってきた。その団体に「軍」という字がついていることが悪いといって弾圧された日本救世軍も、戦後は本来の名称と活動をとり戻しつつある。プロテスタントの大部分を統一している日本キリスト教団は「日本再建伝道」カンパニヤを起している。議会内にもキリスト教徒の進出は積極的で衆議院、参議院に二九名の議員がある。これは社会党内にキリスト教徒が多い結果であった。社会主義とキリスト教との結合をもって、インフレーションその他の政局危機をのりこえてゆく可能が想像されていたようである。けれども、大衆は常に愚鈍であるとはいえない。戦争中はその人がキリスト教徒であるというキの字も人に知られないで暮していた人々が、首相や大臣になる時期が来たら、にわかにキリスト教諸外国に向って自身のキリスト教徒であることを言明し、神に感謝しはじめたことについて、むしろ皮肉を感じた。片山内閣の諸政策は、首相の信仰にかかわらず困難な現実の前に無力であったから、一般の人々は今後も政治的実力と信仰問題は別個のものであると理解すべきことを学んだ。
 現在の日本の生活難が原因になって、一部には英語とキリスト教を処世上の一便宜として考える人々があらわれている。ララの物資がキリスト教関係にはゆき渡ることを計算してその方向へ合致しようとしている人々が少くない。また思いがけない南京豆加工という小事業のようなものが、教団関係によって利益を保っている例もある。
 物質的・精神的混乱の今日の現実に対して、それを解決してゆく真に民主的な人民の実行力がまだ充分高まっていないために、その隙間を縫って偽瞞的な宗教教育や平和運動が起されている。たとえば仏教の一派であって、もっとも侵略的な闘争主義を精神の中にもっている日蓮宗は、戦争中まっさきに超国家主義と日本の世界制覇を激励した。軍人、ファシスト、街の親分たちの間に信者を多く持っていた。その日蓮宗が一九四七年には「永世平和運動」を提唱し、永世平和学会を組織し、世界に向って一大平和会議を提唱するという計画を発表した。
 日本宗教連盟と宗教文化協会とが主催で東京築地本願寺で宗教平和会議を催し、宗教学校の生徒を動員して行進を行わせた。その「宗教平和宣言」は自分たちの戦争協力責任については一言もふれず、宗教は平和を本領とするというようなことが強調されているだけであった。
 日本の保守的な権力および暗黙のうちに再び活動する機会をうかがっているファシスト連は、日本の民主的発展の阻害物としてのこれらの運動に喜びを感じている。国際的にも左翼の進出をチェックするためにさまざまの宗教運動やファシストの地下勢力を容認する考え方もあり得る。しかし日本においては過去の何時の時代においても、キリスト教が仏教その他の伝統的信仰をリードしたことはなかった。日本の伝統的信仰は信仰の形態そのものが封建的であって、イデオロギーとしては絶対主義やファシズムに直結するかたむきがある。
 日本の人民生活は自主的な政治的訓練を経ていない。ヨーロッパの市民社会ではそれがはっきりした一つの政治的見解として自覚されるような判断も、これまでの日本の一般感情のなかでは何んとなし一種の信仰めいた感情としてきわめて原始的に感覚されてきた。日本における天皇制の問題がこれをよくあらわしている。天皇制の効用が国際的に注目されたゆえんもここにある。労働者、一般有識人、学生などの間には日本の民主化は、この生活感情のうちに植えこまれた封建的礼拝観念の克服が必要であることが自覚されてきている。礼拝の対象が天皇でなければ、どんな名を持ったものでも最高権力者と思われるものに膝をかがめる封建的卑屈がなくなることこそ民主化であることを考え始めている。
 世界と日本に必要なのは、理性のあかるく常識に富んだ人間性ゆたかな近代的市民である。それにもかかわらず一部の人々が、封建的な頭脳の暗さの上に「情操教育」と称して宗教的要素を多分にそそぎ込もうとしていることは世界のどのような利害に対しても有益ではない。

        4 科学

 戦争中あらゆる日本の学術は戦争遂行のために動員された。学者の少くない数が戦争協力者として動員され、多くの研究室が閉鎖され、研究を放棄した学徒たちが前線に死んだ。日本の科学は戦争によって甚大な被害を受けた。
 一九四五年八月以後、日本の科学を平和建設の学問として建て直すために努力が開始された。日本における新しい学術の再建は、学術分野における半封建的官僚統制を排除することなしには可能でない。殆どギルド的な学閥を打破しなくてはならない。各学問分野の間に横たわる封建的な割拠主義――セクショナリズムの癌がいやされなければならない。これらの原因となっている大学の講座制度、先生と弟子との間の徒弟制度的な研究室の制度などから学問は自由に解放されなければならない。
 これらの弱点を改
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