フ事情の中から、軍隊内でやや階級のよかった若い学徒兵士が、いくらか人間的な心情を家族や友人に伝えることが出来た。『はるかなる山河に』は、昨今流行している第三次世界戦争への挑発に対して、きびしい抗議の一つとして存在している。
 外国文学 日本在住の朝鮮人作家が『民主朝鮮』という雑誌をもっている。過去の朝鮮人作家で日本語の書けた人は、舞踊におけるサイ・ショウキのように自分の民族性を売りものにした。しかし日本語で小説を書いている進歩的な朝鮮人作家は、民族と自立と解放の線に立って創作している。
 戦争中日本の読者は、外国文学に接する機会を奪われていた。ナチス文学が僅かに輸入されただけであった。ファシズムとナチズムの侵略に対して、フランスその他の国の人々がどのように戦い、誇りある民族の文化を守りつつあったかということは知らされなかった。アメリカの国内で民主的な力は、どのように結集してファシズムと対抗しつつあるかということを知らされなかった。日本へ帰って住むようになったアメリカ通[#「アメリカ通」に傍点]の人々は鶴見祐輔をはじめむしろアメリカを誹謗した。
 一九四五年以後の日本のすべての読者は、新しい外国文学に触れることを渇望している。僅かのソヴェト文学、フランス文学、ドイツ文学などが翻訳されたが、翻訳権の問題のために外国文学の輸入は全般的に困難におちいった。
 このことは日本においてただ、翻訳上の不便を来しているばかりではない。たとえば、フランス文学の広汎な移入が不可能であるために、偶然一、二冊の本が誰かの手に入ったサルトルなどが、不自然に重大に扱われる悪傾向を生み出している。サルトルの局部的なジャーナリスティックな紹介は、日本の文化の混乱を一層混乱させている。アメリカの真に民主的な精神を伝える文学作品が翻訳されないことも、アメリカの民主主義の世界的な名声の実体を把握しにくくさせている。
 中国文学に対して、日本の読者は健全な理解を欠いていた。一部の真面目な中国文学研究者によって現代中国文学は、だんだん日本の読者にも理解されるようになってきた。最近中国文学に対してこれまでにない文学の純粋な興味と愛好とが示されてきた。ここにも翻訳権の壁がある。
 翻訳権の問題は、民主主義文化の本質を決定する国際間の問題である。キュリー夫妻がラジウムの特許を公開して自身に独占しなかったことは、人類の科学の歴史に一つの大きな輝きである。文化は人類の富ではないであろうか。商品以外の価値をもつものならば、それにふさわしい人類的処理が期待されてよいと信じる。
 文芸家協会や日本ペンクラブの活動は、今の日本の文学全体を推進させるために必しも有効に働いていない。戦争中、文学報国会として戦争協力した文芸家協会は、再出発後も理事会を目下エロティックな文学で活躍している数名の通俗作家によって独占されている。先般、森戸辰男の文部大臣賞の選を文芸家協会がひきうけるかどうかということについても、理事会は広汎な輿論に計らず、良心的な作家が辞任した。日本ペンクラブは国際的文化組織の中でふれているとおり、クラブ資金調達のための現代日本文学作品集から、中野重治、徳永直、宮本百合子の作品をオミットした。民主的な婦人作家佐多稲子は、「現代文学の紹介という点からあんまり不自然に思えるから」という理由によって、自身の作品の収録されることを留保した。

        2 映画・演劇

 日本映画 日本の映画政策はフィルムの生産状態が悪いために根本的な阻害を受けている。
 映画製作会社は一社の最低量七〇万フィートの三分の一にも足りないフィルムを、出来るだけ収入の多い方法で使用しようとしている。そのために各社とも儲の多い劇映画の製作に熱中している。その劇映画も日本映画の芸術的水準を引きあげてゆこうとする努力は僅かに東宝の製作品の一部で試みているだけである。他の会社は一般の趣向の最低を狙って入場券の多く売れることだけを考えている。
 このフィルム欠乏状態はよい芸術映画製作をはばんでいるばかりでなく、日本の民主化にとって最も必要な啓蒙的文化映画の製作をほとんど不可能にしている。新しい教育のために子供たちのために利用されなければならない教育映画など殆ど作られる余地がない。真面目な日本人のすべては特にこの点について心配している。
 フィルムの欠乏と興業資本の掣肘にかかわらず日本映画の水準を高め、その独自性を確立することについて真面目な製作者たちは熱心な努力をはじめている。これは外国映画の輸入につれて起った当然な現象である。一九四六年度の記念的作品は、日本ニュース社で製作された「君たちは話すことが出来る」であった。この映画を見た人は、すべての日本人が口かせをはめられ、手かせ足かせをはめられ、生命さえおびやかされていた治安維持法というものが廃止されたことを、どんなに心から喜んだかという感動すべき印象を与えられた。日本人は、一九四六年の始め頃には、本当に言論と出版と思想の自由が日本にもたらされたものと信じた。そのナイーヴな歓喜の記念としてこの一巻のフィルムは日本人に永く記念されるであろう。亀井文夫は一九四六年「日本の悲劇」を製作した。これは一つの新しい方法で戦争中のニュース映画をモンタージュしたものであった。日本の軍部が侵略戦争を強行し、拡大して行った諸段階に応じて日本の全人民がどのように戦争にかりたてられ、生活の安定を失い、破滅にのぞんだかということを強く訴える作品であった。しかし興業者たちはそのフィルムを買うことを拒絶した。口実は、観客に受けないという理由であった。しかし興業者にこういう拒絶を可能にさせる一つの圧力があったわけで、この圧力こそ今日でもまだ日本人民に戦争の犯罪性を自覚させまいとしている。四十七年度の日本映画の傑作は次の諸作品であった。東宝「今ひとたびの」(製作者五所平之助)、「四つの恋の物語」(製作者衣笠貞之助)、「戦争と平和」(製作者亀井文夫)、「安城家の舞踏会」(製作者吉村公三郎)、「わが青春に悔なし」(製作者黒沢明)、「女優」(製作者衣笠貞之助)その他、「素晴らしき日曜日」、「花咲く家族」、「長屋紳士録」等も明るいユーモアとペーソスとをもって愛された。最近東宝の経営者は、近代的経営者としての貫禄をとわれる問題に面している。それは「焔の男」の撮影中止問題である。「焔の男」は国鉄労働者の作業現場を中心とする勤労生活映画であり、東宝企画審議会(会社側・芸術家・労組各代表から成る)の提案による製作であった。東宝の経営者は、これもまた商業的価値がないことを理由に製作中止した。国鉄は日本全国に五十四万人の組合員をもっている。これは東宝にとって少い観客であるといえるであろうか。
 松竹と大映両社はよい作品を製作するよりもしばしば悪趣味の作品を送り出した。アメリカ映画の貧弱な真似をすることを止めない限り日本映画の芸術的な独自性は育てられないという事実をこれらの社も自覚しはじめた。
 洋画 輸入公開されている外国映画のトップはアメリカ映画である。四六年十月から四七年十月までに四五本の作品が公開された。東京に「スバル座」を始めとして幾つかのアメリカ映画館がつくられた。
 フランス映画は最近になって少しずつ公開されはじめた。「美女と野獣」、「悲恋」などは多くの観衆をあつめた。
 英国映画の公開も「七つのヴェール」をもってはじめられた。
 ソヴェト映画は「モスクヴァの音楽娘」が公開され、天然色映画「石の花」はテクニカラーの技術上の優秀なことで注目をひいた。
 アメリカ以外の外国映画の輸入はGHQによって免許制で行われている。
 輸出映画 一九四七年八月、民間貿易の再開につれアメリカ在住の貿易商松竹商会は一年間に百本までの日本映画買つけを発表した。これよりさき貿易公団では第一回輸出映画を選定し東宝製作の「東京五人男」を輸出した。この選定は必ずしも映画製作者の評価を裏づけとしているものではなかった。
 演劇 日本の演劇は、伝統的な「歌舞伎」と日本的な「新派」と一九二〇年代に入ってから日本に発展した「新劇」とがある。「歌舞伎」以外のすべての劇団は、劇場を失って困難している。日本の物資の事情では、新しい劇場の建築を不可能にしている。同時に、舞台装置、照明、衣裳等の物資的困難と闘っている。また、全般的にみて劇場関係者の生計は不安であり、観客は百パーセントの税に苦しんでいる。
「歌舞伎」は脚本のテーマを全く封建社会の悲劇の中にもっている。演劇として歌舞伎が持っている今日の生命は、古典として完成されている舞台の諸様式、古典的舞踊と歌曲とが演技の中に独特な調和をもっておりこまれていることなどである。歌舞伎の代表的ドラマの一つである「忠臣蔵」は、封建君主とその臣下の復讐の物語であり、日本の「武士道」の典型とされてきた。一九四五年八月以後この武士道ドラマはGHQによって上演禁止をされていた。ところが一九四七年歌舞伎座でこの「忠臣蔵」が公演された。そして特に皇后の一行がそれを観た。
 歌舞伎は今日の日本人の生活感情にとって主として絵画的な舞台の珍らしさで魅力をもっている。ドラマのテーマがあまり封建的であることは、まだ多くの封建的要素をのこしている一般人にも自覚されてきた。たとえばいい着物を着て歌舞伎を観ることをよろこんでいる若い女性も、徳川時代の男女が彼等の恋愛を死によって完結させようとした「心中もの」には批判を抱いている。
 新派 は、歌舞伎よりは新しくしかし新劇よりは古いという中間的な立場から、新しく発展することが非常に困難になってきている。新派は十九世紀の終りの日本に歌舞伎にあきたりない川上音二郎一派によって創立された。新派の俳優たちは、彼等の常套な演技と封建的な内容をもつ脚本の選択をもっていて、主として日本の小市民層を観客としていた。戦争を経過して日本の小市民層の経済状態が変化した。彼等の生活感情が変った。今日の小市民層にアッピールする軽演劇、映画その他の種類が殖え、興味の角度が複雑になった。新派の衰退はこういう社会的原因をもっている。
 この困難を征服するために「前進座」は新しい企画を試みている。彼等はユーゴーの「レ・ミゼラブル」、シェークスピアの「ヴェニスの商人」などを東京および各地の学校講堂や学校劇場で巡回上演している。
 一九四六年頃から青年男女の間に演劇熱が盛んに起った。その潮流に乗じて前進座は、この企画をある程度まで成功させている。しかし演劇の新発展を期待している人々は、一種の癖をもった新派の演技が、素直な若い世代の演劇趣味に、のぞましくない型をはめることを憂慮している。新派の演技には、小説でいう文学的に高くないフィクションの誇張と卑俗性がつきまとっている。
 新劇 日本の新劇は戦争中全くつぶされていた。新劇にはヒューマニズムと理性がある。それは軍部が絶対に好まないものであった。新劇の俳優たちは、何年間も自分たちの舞台を持たなかった。新派と合同したり、あるいは映画に出演したりして苦しい彼等の生存をつづけた。
 新劇が蒙むったこの傷は、新劇に理性があり人間性があるだけに深い影響を持った。そしてその傷はまだ治っていない。
 その上、興業資本がこれらの新劇人たちの舞台を制約している。彼等は自身の小劇場を焼かれてしまったから。日本の新劇にとって、伝統の受けつぎ手である演出者土方与志は、新劇復活の第一歩としてイプセンの「ノラ」を上演した。つづいて、オール東宝の音楽・舞踊を綜合的に活用して、シェークスピアの「真夏の夜の夢」を上演した。これは、変化に富んだ楽しませる舞台効果によって商業的にも成功した。
 新協劇団が公演したトルストイの「復活」、村山知義の監督による「破戒」なども経営的には成功した。しかし演劇的見地からはそれぞれに問題を残している。
 青年演劇人連盟が上演したドストイェフスキイの「罪と罰」、俳優座の公演「中橋公館」(真船豊作)、文学座の「女の一生」(森本薫作)などは一九四七年度の注目すべき仕事とさ
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