vの全国的な協議会は、雑誌『文学サークル』を発刊し、職場の新人を養成している。必要な場合には新日本文学会の指導を受けている。
民主主義文学運動と並行してあらわれた反封建の精神にたつ文学は、若干の原因から非常に混乱している。まず第一に、日本の封建的精神と習慣の中心をなす形式的な道徳律に対する反抗が、この傾向の作家たちを一貫している。同時に、戦争中人間の肉体的存在が極端に軽視された反動として、人間の実在感を肉体においてだけ確認しようとする傾向がつよくあらわれている。この肉体の実在を主張する傾向は、封建思想が人間の精神と肉体とを対立させて、肉体をより価値ないものとし、肉体の欲望を満すことは下劣なことであるかのように扱ってきた習俗への反抗ともなっている。これらの作家は、以上のような理論を彼等の文学作品のうしろだてとしているけれども、作品の現実では、さまざまのニュアンスにあるエロティシズムと露悪趣味とフィクションに終っている。このグループに属する作家たちの多くは、前線に送られた経験をもっており、日本の封建的道徳の憎むべき偽瞞を目撃してきている。日本の無条件降伏は、彼等が内心軽蔑しながら服従を強いられてきた権威の失墜を実感させたと同時に、それにつづく国内の混乱状態はこれらの作家に人間的社会的モラルの発展的なよりどころを失わせた。小市民的な生活経験をもつこれらの作家たちは、日本の悲劇を世界歴史の上に判断し、国内の状態を日本社会史の波乱として把握する能力をもっていない。従ってこれらの作家は、最も素朴な存在の主観的よりどころとして肉体にすがるしか方法がない。日本の支配階級の愚民教育は、文学者の社会感覚をさえ、そのように狭小なものにしてしまった。彼等は肉体の実感を人間的に昇華した表現で感覚せず、粗野な性的行動の病的な誇張と肯定においている。日本の文学に昨今ほど売笑婦の登場している時期はかつてなかった。彼等は、日本の軍国主義が人民の生活の安定と生命を無視してきたことへの復讐であるかのように「身体で生きる」売笑婦の生活を描いている。この社会悪と悲惨を解決する方向にみないで、かびの花の色どりの奇怪さばかりを現実として描き出している。舟橋聖一・田村泰次郎・坂口安吾を代表として、多くの群小作家がこの溝にはまっている。このグループの作家たちの作品は、次第に、文学作品としての価値よりも、好色雑誌のための商品としてより多く需要されてきている。この種の作家の小説には、常に美術以前の煽情的插画が載っている。
一九四六年一月から文学雑誌『近代文学』が発刊された。『近代文学』は、三〇歳前後のインテリゲンチャ作家、評論家を集めたグループである。彼等の主張は、日本の現代にはまだ半封建的要素が非常に濃く残っているから、ヨーロッパ的の意味での「近代」を日本の社会的精神と感覚にもたらさなければならないという点にある。この主張は、このグループの人々の文学活動が「自我の確立」を中心課題とすることによって表現されている。日本の社会は、言葉の完全な意味でのブルジョア革命を経ていないという一応は尤もな理由から、このグループの「近代」の主張はある程度の共鳴者をもっている。しかし、このグループの致命的欠陥は、一九四五年の秋にそこを足がかりとして出発した「近代」と「自我」の探求を、その後の二年間に社会史的に発展させえない点である。『近代文学』の多くの人々は、日本の当面している民主主義の性格がブルジョア民主主義革命の遂行とともに、そのステップが人民的な民主主義にまでのばされなければならないものであるということを理解しない。日本のブルジョアジーは、その階級の高揚期に向う明治においてさえもブルジョア革命を完成する能力をもっていなかった。それが必然の原因となって、今日日本のブルジョア民主革命は勤労階級の推進力を中心にふくまなければ、ブルジョア革命さえ進行しなくなっている。『近代文学』の「近代」と「自我」は、世界歴史におけるこの日本の進みゆく現実との有機性で自身の課題の前髪をつかんでゆくようなダイナミックな知力を欠いている。彼等の「近代」は、現代からとり残されつつあり、「自我」は、既にヨーロッパでも東洋でもその破産が歴然としているブルジョア個人主義との区別を失いかけている。軍国主義は日本の知性を未発育のままひねこびさせた。『近代文学』には、その精神上の「戦争の子供」の根跡が強く残されている。このグループの若い作家、評論家たちは自身の社会的文学的活動と成長のための努力を、ジャーナリズムの上での流行児的存在にすりかえつつある。そしてもっとも危険なことは、彼等のおかれているこの時代的危険を、危険として自覚していないように見えることである。
『近代文学』のグループの人々と、それをとりまく一部のインテリゲンチャは、彼等の社会的文学的流浪の旅に、プロテスタンティズムの「内なる神」の観念を道づれとしたり、サルトルの実存主義《エキジスタンシャリズム》を加工した無の哲学を彼らの頭飾りとしたりしている。このグループの間では、まだ逆説や詭弁が好まれ評価されている。逆説と詭弁は、ある意味では屈従者の表現手法であるということについては余り重大に考慮されていないように見える。
一九四七年に入って日本の文学界には、一つの驚くべき現象が起った。それは、林房雄・尾崎士郎・火野葦平・石川達三その他、軍の特派員として前線に活動したばかりでなく、戦争煽動のために一〇〇パーセント活躍した作家たちが、殆どすべて再び執筆しはじめたことである。諸雑誌にのる短篇と新聞の連載小説が、これらの戦争協力者の作品でうずめられはじめた。林房雄は露骨なエロティシズムをもって、尾崎士郎は風俗的小説をもって、火野葦平は彼独特の神秘主義と病的な心情をもって、石川達三はインフレーション日本の崩壊した社会面を描くことで。
一九四七年度に起ったこの文学上の戦争協力者の復活は、日本政府が戦争責任追求に対して決して積極的でないという確信が彼等に与えられたことを動機としている。林房雄を中心とする戦争協力作家は、雑誌『文学界』を創刊した。石川達三は「時代の認識と反省」という文章の中で「私は後悔しない。日本がもう一度戦うと仮定すれば私はもう一度同じあやまちをくりかえすだろう」と公言しながら、日本の民主化という重大な課題に嘲笑を向けている。吉田内閣の時からは、政府ははっきり反民主的方向を示しはじめた。片山内閣は、文相として森戸辰男を任用した。森戸辰男が戦時中著した『戦争と文化』が、戦争協力の書籍でないというためには自然でない努力を要する。そのような文筆活動をした人が文相とされている以上、政府の意図はこれらの戦争協力作家にあまりにも明らかによみとられた。石川達三は、四国地方の反動組織の出版している雑誌に巻頭言をかいた。九州の反動組織の出版物は、喜んで林房雄の文章を引用している。日本政府は、開拓団などに名をかりながら全国に秘密に組織されている旧軍人将校などを中心とする反動組織の存在を、議会では否定している。しかし、世界はその否定を信じているだろうか? 日本政府は否定が信じられていないことを知らずに否定しているのではない。これらすべてのことが、戦争協力作家の活動を促したてた。
一九四八年二月二十八日、中央公職適否審査委員会は、文筆家の具体的資格審査をはじめることを発表した。しかし「公職」という観念が、文筆活動そのものを内容としないかぎり、これらの戦争協力作家のいなおった[#「いなおった」に傍点]民主化攪乱作業はつづけられるであろう。
今日の日本の文学運動の中には、日本の現代小説の伝統であった「私小説」からの脱却の課題があらわれている。日本の「私小説」はドイツの二十世紀はじまりに現われた「私小説」とは違った過程をもった。日本の社会が、封建的絶対主義につつまれてきていたために、「私小説」は個性の完成に伴う、より広くゆたかな社会的生存と、そこに集積されてゆく人間的経験の文学表現とはなり得なかった。官尊民卑の日本の社会で、文学者は一種の「よけい者」であった。文学者の生活環境は、孤立していて、政治にも実業にも、文化一般の活動にさえも参加しなかった。こういう社会性の狭さの一方に、重く息苦しい家族制度によって個人生活をしばられて、日本の「私小説」は、社会小説に発展する戸口をふさがれていた。民主的な文学者が、僅かに日本文学における社会性の欠如について関心を示してきた。今日「私小説」は、ようやくより広い社会環境に向って解放される可能を見出した。民主主義文学運動の展望におけるもっともプロスペラスな期待は、近い将来において民族的であるとともに、世界的である一定の社会生活の芸術的表現として日本文学を成長させるであろうという点にある。民主主義文学の広汎な運動は、新しく生れ出る作家の社会的基盤をこれまでの中産階級から勤労階級の間に拡げつつある。日本の作家は孤立した社会階層の環の間に封じこまれた人々ではなくなるであろう。新しい作家は、彼等の文学的能力をもって議会の中に、役所の中に、工場の中に――即ち社会生活の全有機的活動の網目の中におりこまれつつ、生きつつ、たたかいつつ、新しい日本のよりひろい人間性と社会性にたつ文学を生むであろう。日本文学のリアリティは、このようにして新しい表現と多彩な内容とを持つであろう。
「私小説」否定の問題について、丹羽文雄によって独特な説明と文学実践が行われている。戦争中海軍の特派員に動員されて「海戦」などを書いた丹羽文雄は、最近「社会小説」という問題を提起している。彼は日本の社会の条件が、一人一人の人をどのような関係でとりまいているかを、「客観的」に描き出す「社会小説」が日本の古い「私小説」をより広い性質に発展させるといっている。彼のこの文学理論は、彼の作品との関係で研究されるとき、興味あるヒントを読者に与える。丹羽の「社会小説」論においては、「客観的」ということが彼独特に扱われている。即ち彼における「客観」は、作者がただ一つのレンズにすぎないということを意味している。作家自身がどのような角度で今日の日本の歴史的条件にタッチし責任をもっているかということは、この作者にとって人間的追求の問題の外におかれている。丹羽のこの「客観」主義こそ、彼の戦争協力の正当の理論である。もし一人の作家が、歴史に対する自主的な社会的立場を自分に向って要求しないで、一つのレンズにすぎないものと認めるなら、軍部の力によって何処へその作家が送られようとその行動に責任はないことになるだろう。何を見せられようとも、また見せられた現象を皮相的にレンズにうつしたとしても、それが人道上文学上、恥ずべきことであると考えられるだろうか。彼の「客観」の理論の底には、このような心理的な人間的責任回避の動機をひそめている。読者は彼の「社会小説」を、ある時は興味をもって読みつつ、その自然主義的な「客観」に批判を抱いている。
詩 日本の現代詩は、主としてフランスの象徴派の影響のもとに出発している。アメリカのホイットマンの影響も民主的詩人の間には生かされている。
戦争中詩人たちの多くは、ミューズと一緒に活動するよりもマースと一しょに活動した。女詩人で熱心にファシズムを讚美した人もある。高村光太郎その他、その才能を人々に愛されていた詩人たちが、戦争に協力し絶対主義を謳歌したことは、悲しいみものであった。フランスのシンボリズムの上薬ははげた。そして日本の暗い封建の生地をあらわした。
この痛手から詩人が自分をだまさないで回復することはむずかしい。詩人たちには、時間の余裕が与えられる必要がある。
戦争に協力するにはあまり若すぎた詩人たちが、いま活動を開始している。彼等の間に二つの傾向がある。一方は、フランスのシュール・リアリズムを踏襲している。これらの詩はテーマが観念的であるばかりでなく、日本の詩には字づらで一種の絵画的効果をあらわす漢字が利用されるために、この流派の詩人の作品は一層難解にされている。彼らが模倣からぬけだ
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