科学者を弾圧した。偏見の世界的シムボルである「赤」という言葉が、もっとも適用されたのは、科学のこの分野である。社会科学関係の研究所、調査機関などは新しい日本の建設のために、社会についての理性的な理解のために、日本では特に重要な意味を持っている。経済的悪条件は、長年困難な立場におかれていたこれらの研究所、調査所の運営を今日苦境に陥しいれている。この事情はすべての文化活動家の協力によって一日も早く改善されなければならない。
日本の学術を民主的に解放し日本の民主化と再建に現実的な動力となろうとして民主的な自然科学者、人文科学者を包括した「日本民主主義科学者協会」が一九四六年に結成された。協会に優秀な物理学者であり原子論の研究家である学者や、結核治療に関して卓抜な技術を示している研究者、進歩的な哲学者、学問としての歴史を日本に建設しようとする歴史家、生物学者、数学者等、将来日本の科学において多くの部門を指導し得る研究家たち凡そ二千名ばかりを網羅している。
学会・研究所 京大附属食料科学研究所(一九四六年十月設立)は、とくに不良なる環境における作物の研究を行っている。
財団法人日本ペニシリン学術協議会(一九四六年九月設立)。GHQからの指令に基づいて戦争中のペニシリン委員会は解散された。新しい協議会は各専門家の綜合研究のために八専門部を設けペニシリンその他抗菌性物質の綜合研究と調査に着手している。
財団法人遺伝研究所(一九四七年四月設立)
栄養食料学会(一九四七年五月設立)
国立栄養研究所(一九四七年五月)は厚生省公衆衛生院の国民栄養部を分離拡張したもので、これに試験所、相談所が附属している。
一九四六年以後久しく行われなかった学会、研究発表会などが各専門分野で盛んに行われ始めた。
日本医学会第十二回総会が一九四七年四月、五日間大阪でひらかれた。この学会で注目されたのは原子爆弾症の報告であった。GHQのサムス、ハウ、バーレ各大佐の特別講演があった。
日本物理学会の一九四七年度大会は東大でもたれた。その研究発表は約二四〇題目であった。
日本薬学会が四七年五月に、金沢医大でもたれた。研究発表は約六〇題目であった。
連合国の科学者たちが来朝した機会にもたれた講演会は次のようなものである。
レーニン大学数学教授マジャーエフ博士の「ソ連科学について」(四六年九
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