ヘ七〇の教団が設立された。
天理教その他 天理教は一種の私有財産否定と政治権力の否定を教義の中に持っているために戦争中弾圧されてきた。この天理教も信教の自由によって息をついたし、このたび文筆家の公職追放リストにのっている谷口雅春を組織者とする「人の道」はP・L教団として組織された。大本教として政府要路の人々の家庭にまで侵入していた一種の宗教は「愛善苑」として再出発し、原始的な太陽崇拝に結びついた宗教類似団体から新たに教団を組織したものもある。
邪教と「まじない」 戦争中日本のすべての人民は科学的なものの考え方から閉め出されていた。長年の愚民教育と戦争によるさまざまな悲しみ、戦後の混乱と建設的な民主革命が停滞させられて生活不安が慢性になってきていることなどから、一種の「神だのみ」の傾向が強くあらわれている。栄養障害から起った病気の手当に「まじない」を行う者や、インフレーションによる生活不安と動揺とを人相見の意見や手相見の判断で落ち着こうとする者が少くない。カメラは浮浪児や夜の女やヤミ屋の若者のえがき出す街頭風景の中に占者の店をとらえている。
政府が一方で賭博を禁止しながら「宝くじ」の百万円の夢で人々のポケットから金を捲きあげた。投機的な気分が現世的利益の邪教に導びかれるのは当然である。一九四七年一月にジャーナリズムを賑わした「璽光尊」の出現は、その悲喜劇的面でよくこの間の事情をあらわしている。この巫女を中心とする璽宇教に、もっとも理性的な遊戯とされている「碁」の天才的チャムピオン呉清源が熱心な信者の一人になっていることも世人の注目をひいたし、日本の理智的な角力として有名だった双葉山がとりこになっていることも人々に意外の思いをさせた。
キリスト教 第一次ヨーロッパ大戦を世界のキリスト教徒は防ぐことが出来なかった。第二次ヨーロッパ大戦に際しても、キリスト教は悲惨をさけるために決定的な力を発揮しなかった。日本におけるキリスト教徒は戦争中極く少数の人々が戦争反対によって投獄されたり、活動の自由を奪われたりしていただけで、一般人民となんのちがいもなく戦争に協力さえしていた。一九四五年八月以後キリスト教は他の宗教とともに、人々の信仰の自由に向って解放された。ミッションの活動は活溌となり経済的、人的に国際的援助がめざましくなってきた。その団体に「軍」という字がついていること
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