ェ悪いといって弾圧された日本救世軍も、戦後は本来の名称と活動をとり戻しつつある。プロテスタントの大部分を統一している日本キリスト教団は「日本再建伝道」カンパニヤを起している。議会内にもキリスト教徒の進出は積極的で衆議院、参議院に二九名の議員がある。これは社会党内にキリスト教徒が多い結果であった。社会主義とキリスト教との結合をもって、インフレーションその他の政局危機をのりこえてゆく可能が想像されていたようである。けれども、大衆は常に愚鈍であるとはいえない。戦争中はその人がキリスト教徒であるというキの字も人に知られないで暮していた人々が、首相や大臣になる時期が来たら、にわかにキリスト教諸外国に向って自身のキリスト教徒であることを言明し、神に感謝しはじめたことについて、むしろ皮肉を感じた。片山内閣の諸政策は、首相の信仰にかかわらず困難な現実の前に無力であったから、一般の人々は今後も政治的実力と信仰問題は別個のものであると理解すべきことを学んだ。
現在の日本の生活難が原因になって、一部には英語とキリスト教を処世上の一便宜として考える人々があらわれている。ララの物資がキリスト教関係にはゆき渡ることを計算してその方向へ合致しようとしている人々が少くない。また思いがけない南京豆加工という小事業のようなものが、教団関係によって利益を保っている例もある。
物質的・精神的混乱の今日の現実に対して、それを解決してゆく真に民主的な人民の実行力がまだ充分高まっていないために、その隙間を縫って偽瞞的な宗教教育や平和運動が起されている。たとえば仏教の一派であって、もっとも侵略的な闘争主義を精神の中にもっている日蓮宗は、戦争中まっさきに超国家主義と日本の世界制覇を激励した。軍人、ファシスト、街の親分たちの間に信者を多く持っていた。その日蓮宗が一九四七年には「永世平和運動」を提唱し、永世平和学会を組織し、世界に向って一大平和会議を提唱するという計画を発表した。
日本宗教連盟と宗教文化協会とが主催で東京築地本願寺で宗教平和会議を催し、宗教学校の生徒を動員して行進を行わせた。その「宗教平和宣言」は自分たちの戦争協力責任については一言もふれず、宗教は平和を本領とするというようなことが強調されているだけであった。
日本の保守的な権力および暗黙のうちに再び活動する機会をうかがっているファシスト連は、日
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