_統制であるとして注意を促した。
 放送討論会は第一回総選挙を機会として開始された。五大政党の政策についての討論から始められ次第にテーマを拡大した。婦人代議士はじめ各界の婦人も登場した。これも昨今は、はじめの素朴さを失った。特に供出に関する討論会などは、自然で単純な大衆的ディスカッションではなかった。地方で行われた供出に関する討論会は、政府の強制供出方針の宣伝的討論であった。最近行われた日本の新しい祭日を決める討論会においては、衆議院議員馬場秀雄、民主的な立場をもつ歴史家羽仁五郎と、シントーイストであって出雲大社東京分祠長千家尊宜等が登壇し、大衆の中に少くない数の学生が見られた。この学生たちは、千家尊宜が軍国的建国記念日としての伝統をもっている日本の紀元節を国祭日として主張するとき拍手を送った。彼等は羽仁五郎が日本紀元は歴史上の正確さを欠いているという議論をしたとき、やかましくヤジをとばした。この討論会においてアナウンサーが自分の感情と見解から思いついた質問を羽仁五郎に向って与え、アナウンサーとしての義務の範囲を超えた態度を示したことも注目された。
 娯楽放送は、一方において急速にアメリカの娯楽放送プログラムを模倣している。「二十の扉」のように好評をうけているものもある。しかし音楽放送における軽音楽、流行歌等のプログラムは相変らず大衆の趣味の最低水準に追随する傾向がある。映画会社とレコード会社の影響から自由になって、軍歌ばかりをつぎこまれていた日本人の歌のこころに、新しい瑞々しい歌と舞踊のメロディーが送られることを、一般聴取者は希望している。「名曲鑑賞」は、レコードを焼失した日本の洋楽愛好家にとって愛されているプログラムの一つである。
 勤労者および農村に送るプログラムは、昨今質の低下に苦しんでいる。一九四六年に、農村むけ放送プログラム編成のために民主的な農業問題専門家による小委員会がつくられていた。ところが政府の農業政策が、農村の現実と齟齬《そご》する程度が増すにつれてこの委員会の活動は不活溌にされ、現在は解体している。勤労者の生活不安が切迫しており、勤労者の自主的な生産復興が阻害されているとき、真面目な勤労者は彼等の努力と現実にふれない空虚なプログラムを愛しにくいことは自然である。
 日本人民は戦争中短波放送の受信を禁止された。短波受信機は警察によって調査され使
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