烽スれることが適切であろう。
 放送プログラムは四五年八月以後、軍国主義的宣伝を根絶するとともに民主化の方向へ急速に動いた。出演者の顔ぶれも範囲を広められ、放送内容もある程度までは民主的になった。日常のプログラムでは社会層別のプログラムまたは職場向きのプログラムが新しく考慮されるようになった。婦人、子供、学校、教師、学生のための時間および勤労者、農民、炭礦および引揚者の時間があり、東京裁判録音は裁判の開始と同時に放送されている。
 NHK(日本放送協会)では、一九四七年四月の地方長官選挙にはじまる各種の選挙に対して全国四五局のマイクを解放して前年の総選挙同様各候補者の政見発表を放送した。全立候補者の四四・一%が放送し、これに九一八時間三五分三〇秒が使用された。
 ラジオの民主化の段階も新聞とともにはっきり日本の民主化の三つの段階を反映している。一九四六年の総選挙のとき、明らかな積極性をもって日本の最初の民主的選挙に協力した放送協会は四七年度の選挙においてはラジオの公器性の必要とする範囲に活動を消極化した。さらに、四八年に入ってから地方の補欠選挙において地方放送局のある所では、民主的立候補者のために不利な差別的扱いをした例がある。こういうような場合、日本の保守的な官僚は必ずその責任をその土地の軍政部の責任に転嫁する。この日本官僚の悪習は、いたるところにあらゆる形でみられる。電力飢饉に関連して、いわゆる「進駐軍の命令」が悪用された例をみてもわかる。
 プログラムの新企画として、「先週の国会から」、「放送討論会」、「街頭録音」、「ラジオ探訪」などが行われている。
 街頭録音は一般人に自分の思っていることを発表する習慣をつけるために、民主的な発言の習慣をつけるために役立ちつつある。マイクが近寄ると逃げていた人々が自分からマイクに向って話すことをのぞむ率が増えた。年寄と若い婦人がより多く発言するようになったことは注目されている。しかし街頭録音はアナウンサーの指導や暗示や整理によって発言の総和が特定の方向にまとめられる弊害が顕著である。放送委員会はこの点に注目して世論委員会を設け、輿論がつくられる[#「つくられる」に傍点]ことを防ぐ責任を明らかにした。街頭録音の場合アナウンサーが自分の見解によって発言者の言葉を中断したり、カットしたり、モンタージュしたりすることは事実上一種の言
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