トいても、本質的には逓信省の古い官僚の溜り場である日本放送協会は戦前既にプログラムの低調なことで非難を受けていた。戦時中日本の放送は、新聞よりも一層直接な戦争煽動と宣伝の役割を果した。戦争の数年間にラジオが放送した唯一の真実のことは一九四五年八月十五日降伏の宣言であった。すべて虚偽の大本営発表によって日本人民はたぶらかされてきた。
 一九四五年八月以後、日本におけるラジオの民主化の問題はきわめて重大な意味をもった。一九四六年一月、GHQはラジオ民主化のために特別な覚書をもって、民間の進歩的学識専門家十数名からなる放送委員会の設立を助けた。放送委員会は日本放送協会から独立した存在である。委員会は官僚的な独占事業である放送事業を民主化するために、第一に必要な機構改革に着手し、従来の戦犯の会長と旧首脳部が退陣したのちに、新しい会長高野岩三郎博士を選んだ。高野博士は、もと東大教授であり、大原社会問題研究所の所長であり、共和主義者と信じられていた。
 放送委員会は、新会長の選出にひきつづきプログラム編成上の改善、放送技術の向上および協会内に巣喰う情実のくも[#「くも」に傍点]の巣をはらって、放送現状の各機構が民主化されることを希望したが、協会内の旧勢力は、表面上退陣したのちもさまざまな形に変ってその影響を新首脳部の日和見的な打算と結合させた。放送委員会は、新会長までがあらゆる場合に民主的な判断とそれに従う行動とをとらないことを遺憾とした。
 NHKは力をつくして変らないこと[#「変らないこと」に傍点]のために努力しつづけてきている。この事実は、目下審議中の放送事業法案の草案作製の過程にもあらわれている。この法案の草案は、放送委員会案、従業員組合案、逓信省案、放送協会案、以上四通りの草案が審議されつつある。協会案は実質上の現状維持を主張している。放送委員会案は、日本の放送事業が官僚統制と無良心な商業主義の支配からまもられるために、民間の専門学識者による委員会によって管理されることを主要な論点としている。そして日本の民主化と世界の平和のために、特定のあらゆる権力に従えさせられることのない公器としてのラジオ放送事業をのぞんでいる。他の二つの案も、ある点ではこの委員会案に一致している。しかし放送協会は猛烈な舞台裏工作を行って、現状維持に努めている。適当な時期にこの法案に関する公聴会が
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