pしている者は罰せられた。一九四五年八月以後この禁止は解かれた。日本には一台でも多くの短波受信機が増えなければならない。そして日本人は世界における日本のあり方について現実的な認識をもたなければならない。
テレビジョンの研究は非常に遅れている。戦争中中絶されていたこの研究は四六年五月戦争目的以外の研究は許可されることになって再出発をした。日本放送協会技術研究所および浜松市の高等工業学校でテレビジョンの研究がつづけられている。
諸外国の日本向け日本語放送は、「ヴォイス・オブ・アメリカ」にせよ、ハバロフスク中継のモスクワ放送にせよ、短波受信機でなくても中波程度の受信機で割合容易に聴けるが、世界の動きに特に関心をもつ人々以外は一般に余り注意されていない現状である。戦争中軍部のために短波受信をしていた人々が、戦後は外国の放送を受信して通信を発行している例もある。
2 出版
戦争中日本の出版界は情報局によって徹底的な軍事統制を行われていた。編集の自由は失われ執筆者の選択は軍事目的に従えられた。情報局は日本出版文化協会および日本出版会によって統制を行い、書籍発行の許可制を実施した。三、八八六の業者は三四三に淘汰され軍事的反動出版ばかりが横行した。四五年八月十五日は出版界のこの状態を一変させた。日本政府による検閲制度の廃止(九月二十四日)、言論に関する戦時取締法規の廃止(九月二十九日)、検閲取締機関の全廃(十月四日)、出版会の解散(十月十日)、日本出版文化協会による用紙統制の撤廃(十月二十七日)、情報局の廃止(十二月三十一日)等が実施された。そして新しく民間団体として出版業者の日本出版協会が発足した(十月十日)。
日本出版協会はその機構の内部に戦時の日本出版文化協会および日本出版会の役員を包括している上に、出版業者中に講談社、主婦之友社その他もっとも活溌に戦争協力をした出版社がそのまま巨大な資力をもって参加していた。陸海軍が蓄積していた用紙が不正に旧軍御用出版社に分与された事実もあった。民主的な出版事業の確立という点から民主的な出版業者から出版業界の民主化運動が起った。四五年十二月民主主義出版同志会が結成された。この運動は四六年一月にひらかれた日本出版協会臨時総会に反映して協会内に出版粛正委員会が設けられた。粛正委員会は第一次に粛正されるべき出版社として
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