ヌを中心とする伝統的な日本音楽はその復活の努力に二つの面を表している。一方はどこまでも古典的なままに日本音楽の伝統を生かそうとする努力である。他の一方は今日の日本の社会生活の現実感情に近づいたリズムやメロディーで新しい日本音楽を創造してゆこうとする努力である。琴においてこの努力をしつつある人々は、洋楽の音階を琴の絃にあてはめている。琴の弾音を利用してピアノまたはギターの効果を求め、一方でハープのやさしいひびきを出そうとしている。このような努力をしている人々によって試みられている新曲やエチュードは小規模なものではあるが今日の日本人に親しい感覚を与える。
 三味線のオーケストラが試みられている。三本の絃をはった小さい軽い楽器の伝統的な大きさを自由にしてセロのような低音のハーモニーを見出そうとしている。新しい琴と三味線と横笛との演奏は、単調で憂鬱な昔の「三曲合奏」に全く新しい感情をつぎこんでいる。
 能楽 日本の能楽は音楽とはいえない。一種の朗読法である。能楽は楽器を伴った朗読につれてそれぞれの性格を現す「能の面」(マスク)をつけた二人三人の登場人物が、動作のきわめて圧縮されたシムボリックな舞を舞う。日本の伝統的芸術の一つとして「茶道」と「華道」「歌舞伎」などとともに外国によく知られている。しかしこの封建時代の貴族と武士の娯楽であった能は今日の日本人の大多数の生活から全くかけはなれている。能の家元のきびしい封建的な権力争い、能役者の封建的養成法などは能の古典的存在さえ危くしている。この封建的芸術の領域では婦人の能役者というものは認められていない。
 日本には音楽の領域に入れられていながら、実は朗読法であり、物語りの一つの方法であるようなものがいくつかある。浄瑠璃がその一つである。これは人形芝居とともにきかれる。浪花節がそれである。浪花節はもっとも教養の低い日本の階層の慰みとして今日も多くきかれている、三味線の伴奏を伴った節つきの物語法である。能はそのテーマの多くを仏教思想によっている。浪花節のテーマは、封建的な武士が絶対権力を振った社会で一種の反抗精神を示していた博徒の世界を多く取り扱っている。このセンチメンタルであって同時に封建的な物語法が日本の民衆の趣味の中に残されている間は、日本民主化の現実が何処にか封建の影をもっていることを証拠だてる。
 外国人は外国の所謂「伝統
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