゚代古典として有名な小説家夏目漱石の門下であって多方面な趣味と教養をもっているこの新校長は、音楽教育の革新を決心している。彼は政府の勲章を貰って音楽を忘れているような古い教授をやめさせた。そのかわりに本当に音楽家であるヴァイオリニスト巖本真理のような若々しい才能者を教師として迎えた。音楽学校は各国の音楽に向って関心を示し始めた。この反面に今日の音楽学生は深刻な経済困難にさらされている。多くの学生はキャバレーやダンス・ホールで働いている。そこで彼等は割合によく金を儲けることが出来る。しかし音楽学生の真面目な研究心は損われつつある。音楽教育の民主化の問題はこのような矛盾の解決をも課題としている。
 純音楽 日本の指導的なオーケストラは二〇年の歴史を持っている日本交響楽団がある。このオーケストラは一二〇人の楽団員をもち三人の日本人指揮者によって指揮され、毎週二回のラジオ放送と月二回の定期演奏会を行っている。この日響が行ったブラームスの五〇年記念演奏会は注目すべき演奏会であった。
 一九四七年に東宝オーケストラが組織された。このオーケストラは劇場づきオーケストラの性格をもっているために、しばしばオペラやバレーに出演している。第一期の定期演奏会には、ベートーヴェンの作品を作品番号順に連続演奏をした。その他に四七年度の主な演奏会としてジョージ・ガーシュイン十年記念演奏会を行った。
 東京フィルハーモニー・オーケストラはアーニー・パイル交響楽団となった。アーニー・パイル交響楽団はアメリカの許可によって第一回公開演奏会を行った。
 日本人は長い間オペラを理解しなかった。自分たちで創作したオペラをもっていない。四七年度に入ってオペラとオペレッタへの関心がたかまった。いままで日本に唯一のオペラ団であった藤原義江の団体が「ラ・ボエーム」と「タンホイザー」などを上演したほかソプラノの歌手長門美保歌劇研究所が新しく組織されて活動を始めた。第一回公演の「ミカド」は始めて日本で上演され、外国舞台にない魅力で好評を博した。
 軽音楽 ダンス・ホール、キャバレー、ショウ、アトラクションなどとしての軽音楽は大流行で、無数の小軽音楽団体が出来ている。日本の軽音楽は主としてアメリカの軽音楽に追随している。この追随は一面的で日本の洋楽の低俗な感覚で受け入れ易い面だけを誇張している。
 日本音楽 琴、三味線な
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