I」音楽、舞踊、絵画などを理解しようとする場合、自身のエキゾチシズムを満足させる習慣がある。あらゆる国々の文化人の間に今日まで残っているこのような習慣は、世界文化に対する相互的な高さよりもむしろその低さをあらわす場合が多い。日本の伝統的音楽などに対しても、日本人が自分たちの歴史の発展の過程で、自分たちの民族文化をどのように健康に発展させようとしているかという方向から注目されなければならない。
 新しい音楽の源泉は今日一般人民の生活の中から少しずつ生れはじめた。各労働組合の文化部はブラス・バンドや合唱隊、軽音楽団などを持ちはじめた。学校のコーラス団も発達しはじめた。ベートーヴェンの第九シムフォニーのコーラスには専門学校の男女合唱団がしばしば参加する。いろいろな地域の自主的な文化団体でも音楽のグループは活溌である。一九四七年のメーデーに日本の労働者六〇万人は彼等の新しいメーデーの歌を持った。歌詞は国鉄従業員の組織している「国鉄詩人」の共同作品であった。作曲は民主主義文化連盟が募集して当選した一人のつつましい家庭の主婦の作曲であった。この歌は明るさと親しみ深さと元気とで専門家の間にも好評である。こういう自主的な音楽運動は主として「日本現代音楽協会」が指導している。保守的な音楽団体として「日本音楽連盟」があり、この連盟は八つの職能組合を組織している。

        4 舞踊

 伝統的な日本舞踊は物質的困難から停滞している。日本舞踊はその基礎の大部分を日本の花柳界においていた。伝統的な花柳界の崩壊とそれにつながる封建的な上層商人の経済事情が変ったことは日本舞踊の決定的打撃となった。古典的な舞踊の流派は藤間《フジマ》、西川《ニシカワ》、井上《イノウエ》、若柳《ワカヤギ》、花柳《ハナヤギ》等それぞれのリサイタルをひらいている。形式の固定した日本舞踊により広いヒューマニスティックな情感を加えて新しい発展を試みている人に西崎緑がある。この婦人は教養の高い上流人で、彼女のより広い趣味から新しい日本舞踊が研究されている。
 バレー は戦争からの解放を喜ぶ若い日本人の感情から急速に流行している。解放の感情を肉体で表現しようとする素朴な要求によってバレーは人気がある。同時にこれまで真面目な音楽や芝居にふれる機会のない生活をしてきた今日のヤミ屋の金持たちは、彼等の芸術への興味をバレーに見
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