サ断と、いわゆる専門批評家の、時にはむしろ混乱した饒舌との間で当惑している。もっとも代表的な民主的文学理論雑誌は蔵原惟人編輯の『文学前衛』である。
戯曲 今日日本の新しい演劇運動は、もっとも専門的な劇団から自立劇団に至るまで、新作戯曲の不足に悩んでいる。戯曲は小説よりも少くしか書かれていない。一九四五年十二月から四七年春まで職業劇団によって上演された戯曲の多くは翻訳劇であった。こんにち一般に日本人の生活を描いた戯曲が上演されることを熱望しているのに、戯曲がそれほど不足しているのは何故であろうか。歌舞伎や新派は自分たちの座つき作者をもっている。戯曲家として大舞台の上演にふさわしい作品を書く人は、従来少なかった。最近死去した真山青果のほか、中村吉蔵、参議院議員となった山本有三などのほかには、若い戯曲家は、主として小劇場の舞台のために書いていた。小劇場は殆ど焼失した。同時にこれらの戯曲家の生活をこめて社会事情は急に変化した。にわかに複雑になった社会現象は、これらの戯曲家の創作を困難にしている。雰囲気をおもんじ、比較的テーマの社会性の弱い戯曲を書いていた人々は、現在の荒っぽい現実を彼らの小規模でみがきのかかった過去の技術の中にもりきれずにいるといえる。
新劇の流れの中に成長した戯曲家は、まだ彼らの過去の業績をしのぐような作品を送り出していない。意力的な構成力をもっている久保栄の「火山灰地」は新劇レパートリー中の古典であるが、一九四七年に上演された同じ作家の「林檎園日記」は、「火山灰地」に及ばないものとしてみられた。
東京自立劇団協議会に組織されている東京附近の三五劇団は、上演創作劇四三の中、二〇ちかく勤労者自身の手になる戯曲を上演している。これらの戯曲は、過去の新劇や軽演劇の影響ももっており、一面に保守的趣味さえ示している。しかし日本製靴労働組合の服部重信の「蒼い底」、「労働者の子」、日立亀有の堀田清美「運転工の息子」、大日本印刷鈴木正男「落日」などは、注目すべき新鮮さをもっていると批評されている。
短歌・俳句 ヨーロッパ文学のジャンルにはない短詩の形式としての日本の短歌および俳句は、伝統的な形式の骨格を保ちながらもその表現の手法やテーマにおいて、より生活的に社会的に変化しつつある。
短歌の古い指導者たちは、ギルド的な自分の流派をしたがえて戦争中軍国主義の短歌をつ
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