ュった。
 新しい短歌グループは、『人民短歌』を機関誌として、短歌の三十一字の形式の中に、今日の市民生活のさまざまの場面と情感をうつし出し始めている。反戦的な短歌が少くない。これは日本の一般人の文学的形式として親しまれてきた短歌のこころが、さまざまの階層の人々の軍服の胸の下に隠されて前線に運ばれ、そこで苦しんだ刻々の心を表現しているからである。兵士たちは、彼等の日記その他貴重な人間記録を焼き捨てさせられた。この事実が小説やルポルタージュに反戦文学の少いことの一つの理由である。彼等はマテリアルも失っている。しかし、三十一字で構成される短歌は、作者によって暗記され易かった。そして、そのいくつかの作品がいま印刷されている。
 俳句は、十七字を詩形としている。俳句が伝統とした文学精神は、現実からの逃避であった。しかし今日だれが現実から逃げることができよう。よしんば彼のもつ文学表現の形式が十七字であろうと、二〇〇〇字であろうと――。俳句にも生活派の俳句があらわれた。生活的な俳句の指導者は、生活的な短歌の指導者と同じに戦争中はきびしく監視された。このように、二つの伝統的な文学のジャンルにも新しい風が吹きはじめている。
 反戦的な文学 一九四七年の後半になって、やっと少しずつ日本の侵略戦争に対する批判を表現した文学作品があらわれはじめた。
 梅崎春生の小説「日の果て」はいくらか通俗小説の傾向があるが、脱走兵のあわれな最後を克明に描いている。宮内寒彌の小説「艦隊葬送曲」、「憂うつなる水兵」等は、報道班員丹羽文雄の「海戦」には描かれなかった水兵の運命を描いた。野間宏の「二九号」は、軍事刑務所の生活を描いた。民主主義文学運動に参加している文学グループの中から新しく小説を書き出している若い人々の中から、短篇であるが「古川一等兵の死」のような兵士の悲惨な運命を描いた作品もあらわれた。
 東大の学生が編輯した東大戦歿学生の書簡集『はるかなる山河に』一巻は、文学作品ではないが、深い感銘を読者に与える。日本の軍部は前線から故郷に送る兵士の手紙をすべて検閲した。軍機の秘密に属さないことでも、前線の生活事情と強いられた環境の中での心もちとを率直にあらわした手紙は許可しなかった。明日は戦死しなければならない前夜に、許されて手紙を書くときでさえも、日本の兵士たちは、「滅私奉公します」と書いた。あわれなこ
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