ヲ力作家の活動を促したてた。
 一九四八年二月二十八日、中央公職適否審査委員会は、文筆家の具体的資格審査をはじめることを発表した。しかし「公職」という観念が、文筆活動そのものを内容としないかぎり、これらの戦争協力作家のいなおった[#「いなおった」に傍点]民主化攪乱作業はつづけられるであろう。
 今日の日本の文学運動の中には、日本の現代小説の伝統であった「私小説」からの脱却の課題があらわれている。日本の「私小説」はドイツの二十世紀はじまりに現われた「私小説」とは違った過程をもった。日本の社会が、封建的絶対主義につつまれてきていたために、「私小説」は個性の完成に伴う、より広くゆたかな社会的生存と、そこに集積されてゆく人間的経験の文学表現とはなり得なかった。官尊民卑の日本の社会で、文学者は一種の「よけい者」であった。文学者の生活環境は、孤立していて、政治にも実業にも、文化一般の活動にさえも参加しなかった。こういう社会性の狭さの一方に、重く息苦しい家族制度によって個人生活をしばられて、日本の「私小説」は、社会小説に発展する戸口をふさがれていた。民主的な文学者が、僅かに日本文学における社会性の欠如について関心を示してきた。今日「私小説」は、ようやくより広い社会環境に向って解放される可能を見出した。民主主義文学運動の展望におけるもっともプロスペラスな期待は、近い将来において民族的であるとともに、世界的である一定の社会生活の芸術的表現として日本文学を成長させるであろうという点にある。民主主義文学の広汎な運動は、新しく生れ出る作家の社会的基盤をこれまでの中産階級から勤労階級の間に拡げつつある。日本の作家は孤立した社会階層の環の間に封じこまれた人々ではなくなるであろう。新しい作家は、彼等の文学的能力をもって議会の中に、役所の中に、工場の中に――即ち社会生活の全有機的活動の網目の中におりこまれつつ、生きつつ、たたかいつつ、新しい日本のよりひろい人間性と社会性にたつ文学を生むであろう。日本文学のリアリティは、このようにして新しい表現と多彩な内容とを持つであろう。
「私小説」否定の問題について、丹羽文雄によって独特な説明と文学実践が行われている。戦争中海軍の特派員に動員されて「海戦」などを書いた丹羽文雄は、最近「社会小説」という問題を提起している。彼は日本の社会の条件が、一人一人の人をどの
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