ヘ、彼等の社会的文学的流浪の旅に、プロテスタンティズムの「内なる神」の観念を道づれとしたり、サルトルの実存主義《エキジスタンシャリズム》を加工した無の哲学を彼らの頭飾りとしたりしている。このグループの間では、まだ逆説や詭弁が好まれ評価されている。逆説と詭弁は、ある意味では屈従者の表現手法であるということについては余り重大に考慮されていないように見える。
一九四七年に入って日本の文学界には、一つの驚くべき現象が起った。それは、林房雄・尾崎士郎・火野葦平・石川達三その他、軍の特派員として前線に活動したばかりでなく、戦争煽動のために一〇〇パーセント活躍した作家たちが、殆どすべて再び執筆しはじめたことである。諸雑誌にのる短篇と新聞の連載小説が、これらの戦争協力者の作品でうずめられはじめた。林房雄は露骨なエロティシズムをもって、尾崎士郎は風俗的小説をもって、火野葦平は彼独特の神秘主義と病的な心情をもって、石川達三はインフレーション日本の崩壊した社会面を描くことで。
一九四七年度に起ったこの文学上の戦争協力者の復活は、日本政府が戦争責任追求に対して決して積極的でないという確信が彼等に与えられたことを動機としている。林房雄を中心とする戦争協力作家は、雑誌『文学界』を創刊した。石川達三は「時代の認識と反省」という文章の中で「私は後悔しない。日本がもう一度戦うと仮定すれば私はもう一度同じあやまちをくりかえすだろう」と公言しながら、日本の民主化という重大な課題に嘲笑を向けている。吉田内閣の時からは、政府ははっきり反民主的方向を示しはじめた。片山内閣は、文相として森戸辰男を任用した。森戸辰男が戦時中著した『戦争と文化』が、戦争協力の書籍でないというためには自然でない努力を要する。そのような文筆活動をした人が文相とされている以上、政府の意図はこれらの戦争協力作家にあまりにも明らかによみとられた。石川達三は、四国地方の反動組織の出版している雑誌に巻頭言をかいた。九州の反動組織の出版物は、喜んで林房雄の文章を引用している。日本政府は、開拓団などに名をかりながら全国に秘密に組織されている旧軍人将校などを中心とする反動組織の存在を、議会では否定している。しかし、世界はその否定を信じているだろうか? 日本政府は否定が信じられていないことを知らずに否定しているのではない。これらすべてのことが、戦争
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