の条件を溌溂とした心に映して、工夫を働かせて人の心も自分の心も慰めるというものもある。仕舞はそういうものではない。その場の思いつきで舞われた仕舞というような例は天下にない。ふさわしい場面で、その場にふさわしい曲が舞われるというのが即興として許される限度で、そのふさわしさの判断にあたってやはり一朝一夕でない伝統の理解がものを云うのである。
 百貨店の娘さんたちの朝から夕方店を閉じるまでの忙しさ、遑《いとま》のない客との応接、心を散漫に疲れさせるそれらの条件を健全でない事情と見て、反対の解毒剤として、所謂落着いた古来の仕舞は健全と思われているのであろう。実際に百貨店の娘さんたちの動きを見ていると、陳列台や勘定台の間を終始動いている動きは、劇しくせわしいけれども、動きそのものとして実に小刻みで小さい。若い脚がのびたいだけ伸ばされ、しなやかな背中が向きたいだけ大きく向きかわって闊達に動作しているのではなくて、台だの、持場だの、狭苦しい区画の間で気の毒なほど青春の肉体の動きを制約されている。足と手とを神経とともに細かくつかって、それで飽き飽きするほどである。
 そういう体のつかいかたをしている娘
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