的に明晰な判断を持たなければなるまいと思う。音楽が好きとか分るとかいうことだけが私たちの文化の内容ではなくして、今日ではもう生活と音楽との相互的な生理がわかるとこまで育って来る必要が示されているのである。
女店員たちの仕舞にしろ、そこには様々の興味ある問題があると思われる。謡曲が、文学として仏教の影響を深くもっていることや、能の発達が封建の大名のお抱えとしてうけつがれて来たことや、それらは誰も知るとおりである。日本芸術の遺産の中で能は独特な評価をもってみられ、それがわかるのが文化を理解するものの当然の嗜みと考えられている。
それはそうあってさしつかえないのだと思う。でも、女店員がその謡曲による仕舞を稽古するということに果してどこまで働く女性の感情にとって必然があるのだろう。能や仕舞は庶民生活の中から自然にわき出した動作が要約され芸術化されたものではなくて、貴族生活、武士生活の感情と思想とが洗練し集約しつくした動きに象徴されたものである。習ってゆく道すじから云うと、能や仕舞ほど形式への絶対の服従を求める芸は殆ど他にない位と云える。お花でも投げ入れとか、お茶でも野立てとか、その場その時
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