代工業のリズムを必要としている。近代工業のおどろくべき進歩は、二十世紀に西洋音楽に深く影響して、オネガやストラヴィンスキーその他の音楽家たちが不協和音を摂取するようになったし、文学でも即物的な要素を加えられた。
 そのような工場生活者の精神と肉体との組立てに対して、全く要素の異った詩吟というようなものが、どうして互によく調和し、休養と慰安と心の高まりと成り得るだろう。二つのものリズム・テンポの生理は、そもそもからちがっているのである。
 今日一部の青年たちの間に詩吟が流行しており、それを健全なたのしみとする人たちも決して少くないのは事実だと思う。だがそれは、今日の一部の青年たちが好んで黒の紋付羽織を着て、袴をばさばさとはいて、白い太い紐を胸の前に下げて歩いている、その好みと合致するものであっても、工場生活の人には合わない。云ってみれば、優秀な技術者の精神は詩吟向ではつとまらないのである。
 詩吟そのものは健全であろう。けれども、それのつかわれかたで、生活の文化の問題としては現実に不調和を来し、結果として不健全をもたらすことにもなる。
 私たちの文化への感覚は、自分たちの生活に関して現実
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