さんたちの若い肉体が、求める律動はどういうものだろうか。思う存分に手も伸ばし肢も背ものばし、外気と日光と爽やかな風の流れの欲しいのが自然だろうと思う。勝手に体を屈伸させ、さぞ跳ねたりもしたいだろう。肉体の健やかな自然の要求はそこに在る筈である。
仕舞は、整えられ美とされている線であるにしろ、そうやって既に制約されつめた動作を、又別の制約で鋳つける。きっちりときまりに従って、爪先を一分刻みに移してゆくような緊張を求められている。それも、或る種の娘さんの性格や感情には一つの快感であるのかもしれないけれども、そこには極めて微妙な女性の被虐的美感への傾倒も感じられなくはない。能の、動きの節約そのものの性質のなかには、明らかに日本の中世の社会生活からもたらされた被虐性、情感の表現を内へ追い込む性格が作用していて、しかも、ぎりぎりまで剪りこまれた外面へのあらわれの裡に、精神と情緒のほとばしる極限を表現しようとする芸術の手法である。自由な人間性の流露とは正に反対の手法である。
今日働く婦人として生活している若い女性たちの実感が、もしそのような芸術の手法にぴったりとするものであるとするならば、私た
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