であろう。月謝のためだけに昼間勤めてはいないのであろうと思う。市民税を納めることに、勤労市民の一人としての誇りを感じようとする心は、上級学校への道の封鎖や戸主であるなしの問題、その他の現実を思いめぐらしたとき、前途に洋々たる展望を描き出すことの困難さに当惑するであろうと思われる。青年に期待するというのは、どういう実際を指すのであろう。
昭和十一年三月という、今日では殆ど用に足りない古い統計でさえ、甲種実業学校の入学志願者は十九万人近く、入学者は十万五千三百九十八人という数を示している。
昭和七年に比べると、志望者は七万余人、入学者は二万人近く増して来ていたのであった。
女戸主
選挙法の改正のことは、急に実現されないことになった模様である。
戸主という者が資格として語られはじめたとき、私たちの女の心に閃いたのは、女の戸主はどうなるのだろう、という事実であった。あちこちの新聞雑誌でそのことにふれられていたけれど、その声がどのような形で上達したのかはわからない。
日本じゅうに婦人で戸主であるひとの数はどの位だろう。
二十五歳という年を中心にして有職者を見くらべ
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