どんな境遇におかれても、やる者はやるということはよく云われる言葉だと思う。特殊な例外の何人かにそれは当てはまる場合があろう。英雄伝はいつもそのように書かれるのが常套である。けれども、国民の日々の生気の溌溂さというものは、案外のところによりどころを持っていると思う。あながち食物の潤択さばかりにもない。物資の豊富さばかりにもない。
相当の空き腹で、相当に雨水のしみこんで来る靴で、少年たちが猶喜々としているとすれば、つまりは自分たちの胸底にあつく蠢いている自分たちの成長の可能への情熱の力によるのではないだろうか。そして、その可能性は具体的なものでなくてはならないのではないだろうか。
同じ学生でも、夜の学校に行っているものは、昼間勤めて月給をとっているという理由で、市民税を納めることになった。親の仕送りをうけている学生は市民税は払わない。昼間つとめている少年だの若者たちの得ることの出来る月給とは、一体いかほどのものであろう。
親の仕送りをうける学生は眼前に親の生活の経済的な助けとはなっていない。昼間勤めている夜の学校の学生は、月給の全部を自分だけで使ってしまっているという方が寧ろ珍しい
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