であるものを何とも云えない心持の眼のなかに見て行く。そればかりでなく、出てゆく当人も出入りにつけて、自分を祝う旗のとなりに語られている事の在りようを目から心へ刻み直される始末である。
 町会か或は在郷軍人会の、そういうところの人々がより合って、名誉を記念する方法を講じたとき、こういう情景が生じる場合もあり得ることを思っていただろうか。隣同士というものの生活がそこまで、まざまざと現れることへの想像が働かなかったのではなかったろうか。
 炭屋は米屋の家のものに対して、何とはなし善良な気の毒さを感じていたかもしれない。位牌を店先に立てておくようで、と思ったかもしれないが、ひとが立ててくれたものを自分の家のものの気持で引こめることも出来にくかったろう。
 ああいう立札は一周年が過ぎたら取りこめられてもいいのではないだろうか。
 用事があって千駄ケ谷の方へ出かけたら、一つの閑静な通りの二ヵ所に、同じ種類の立札があった。けれども、ここの町内のは小さく三角形の頂きをもったものではなくて、四分板へいきなり名誉戦死者の軍人としての階級も大書して、それを門傍の塀へ、塀いっぱいの高さに釘づけにしてある。火事
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