られていた一人の作家・評論家の読書が、近頃ではその水脈にさしつかえが生じたと共に、社会の大きな動きそのものがおのずからこれまでの読書の埒をはずさせる点もある。大体皆が同じものを読むことが多くなればなるほど、それに対して自分たちがどういう質の読者であるかということが作家・評論家にとって益々重大な意義をもって来る。そこが、はっきりとして初めて、その人々の読者にとってその作家・評論家がどういう存在であるかという点も明瞭につかまれることになるのである。
例えば今大変読まれている本にアンドレ・モーロアの『フランス敗れたり』がある。この本の読まれる理由は十分あると思える。日本の近代文学にフランス文学がどのように影響しまた風土化されたかということ迄を考えないひとでも明治以来、日本の文学愛好者の心情に、フランスの作品は常に一つの親愛な存在として感じられている。そこに素朴な空想が加えられているにしても、フランスときけば、芸術と自由な空気というものが感じられるようになっていた。現代文学の歴史のなかでフランスは文化の上におちかかる暴力への抗議者として、様々の矛盾を含みながらも動いたことは人々の記憶に新しい
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