フレは通過したのであった、と。『ヨーロッパの七つの謎』を土曜日までに読もうとしてけさも熱心によみ、且つ考えていたので、その対比を一層つよく感じます。人間的善意というものの質量についても。
『七つの謎』は、やはり面白い本であるし真面目な教訓にみちた一巻であると思います。人間の善意というものの成長について一つの時代を画したものであり、欧州というものの連関を知らせるものでもあり、善意が、ある段階において現実の推進にとりのこされ得るものであること、そういう場合、それはその個人の悲劇にとどまらず善意の悲劇であることなどを感じさせます。
 愛というものは、いつも淳樸であり、若々しく善良でその意味では稚いけれども、愛によって賢しと云うこともあり、愛によって勁しということもあります。善意というものはやっぱり若々しく永遠に若いものだけれども歴史の段階に即して成長するということは或種の人々にとって不可能なものなのね、つまりその結果は、善意が実功をあらわさず奸悪を凌駕する雄々しい美しい決断と智謀とをもたず善意はお人よしに通じてしまい、高貴な精神も萎えてしまうのね、現実の前に。
 この『七つの謎』をよむと、欧州の或る種の良質な精神が、第一次大戦から今次の大戦までの間に経て来た苦悩と努力と混乱(現実の見かたの小ささ。代表的個人――政治家で世界の平和が支配されているように考える誤り)とがまざまざと理解されます。
 本国の運動に対してさえ良識ある者は有害としたローゼンベルグの「神話」がこちらで売れたのは、悲劇の一つです。その亜流を輩出させたのは更に。一般に他国の文化その他を摂取するとき、素地との磁力関係で、精煉された面より、より粗な面が吸着するということは注目に価すると思います。どの国でもそういう危険をもっているのね。何故でしょう、歴史の喰いちがいの大きい二者の間で特にこのことは顕著です、文学者は、飽くまでも善良で、賢くつよくなければなりません。自身の善意を、悲劇たらしめてはなりません。ジュール・ロマンは、さすがに平静を失わず七つの謎を解明しようとして居りますが、善意が悲劇に到達したそのことについての反省はされていません。善意のボン・ノム加減で赤面していません。従って彼はこの本を書くことで崩れた善意像の破片の整理をしたでしょうが、果して、次の段階で新しい善意で羽搏き得る発展をしたでしょうか。生物として六十歳という年齢は成長期でないけれど、その人間が善意を貫徹して生きようとするならば、善意そのものの永遠の若さに従順となってその成長に応じて生物的限界を飛躍しなければならないでしょう。しかしこれをなしとげたものは歴史上ごく稀です。(まあ、もう十一時すぎよ。どうしたのでしょう。すこし心配になって来ました。最後の電車で帰るのでしょうか、一人でいるのはいいけれども。どうしたのでしょうね、本当に)
 十二時すこし前になって、ヤアヤアとかえって来ました。それでもよかったわ、何事もなくて。
 けさはゆっくり目をさまして今、朝のおかゆをたべたところです、曇天ね、曇天の土、日、はいやね、あしたの朝こちらからじかに行くのは混雑するから、今夜のうちに帰らなくてはいけないわね。
 開成山へ行くのはうれしいけれども帰れないだろうと心配です。切符があっても通交証がなくて。女の軍需会社重役はないから不便此上なしです。ではこれで、おやめ。

 三月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 三月二十八日
 三月十四日づけのお手紙、さっき頂きました(午後)。三月二日づけのは、つい三四日前に着き、これは二つへの御返事となります。
 きょうは、暖い一日でした。今、夜の八時前。食堂のテーブルに久しぶりでわたし一人。ホーサンを一杯といたビンと、黄色いガラスの瓶に二本の半開のチューリップ。南の庭に向うガラス戸はまだ雨戸をたてられず、月のある柔かい夜気が黒く見えます。廊下の方から室内をみると、夜に向ってしっとりしている大きいガラスの面やテーブルの上の花が、いかにも春宵という風情です。そういう空気を何とも云えずよろこばしいと感じながらこれをかきはじめました。どっさり、どっさりの話があります。先ず二つのお手紙について。
 そうね、こうしてお手紙をよむと三月二日ごろはまだ毎晩のように雪が降っていたのでした。お彼岸の日からすっかり春めき、ことしは珍しく明瞭に春の彼岸というものを心にとどめ、わが肌にとどめました。冬はきびしかったわねえ。このお手紙と次のお手紙との間に、梅は咲き出しているのも季節のおとずれです。そして、あなたの赤ぎれもいつか消えてすべっこくなりましたろう? わたしの手もわたしの手に戻りました。アロウスミスわたしはまだです。「風に散る」との相違は、たしかにおっしゃるとおりであろうと思います。そして、ルイスがジャーナリストとしての弱点に煩わされながらも、科学精神追求を主題としている点は、確に展望的です。文学の或る段階では、そういう主題にこころを誘われる作家が生れる程度に文学は前進しているが、そういう前進的テーマに着眼する作家の敏捷さがジャーナリスティックな迅さと相通じ、それが同時に強味で又弱点であるという興味ある現象を示すものと見えます。面白いことね、日本ではまだ科学に到着して居らず、せいぜい名人気質どまりね。横光の発明家みたいに、風格[#「風格」に傍点]愛玩で。この間、鷺の宮で書いた手紙にも出た話と思いますけれど、川端康成の作品など、或る意味で清澄でもあり純一でありますが、何とそのテーマ、芸術の世界全体が主情的でしょう。感情のかげりひなたにとどまって、人間性格というところ迄も切りこんでいないのはおどろかれます。浅薄ではありません、末梢なのね。冬の日向に鮮やかな楓の梢の繊細なつよさの美しさめいたものがあり、植物性ねえ。ほかの同時代人のあれこれの作には、そのような楓の梢の細かい趣、そこにこめられている生命感さえないのですが。康成が一流作家であると考えられるのは、少くとも命をひそめたる楓の梢であるからでしょうが。しかし、日本の文学が、科学精神追求のテーマをジャーナリスティックにでも、文学的にでも、哲学的にでもなく、科学者生活の勇気にみちた現実に立って描ける日を待ち侘びます。わたしが自身の興味をそういうテーマにもっているから猶更ね。一歩踏み出た文学の形態は、小説という過去の枠もあふれ散文の美しさの各面を活かし(評論的にも)しかも一貫した人生に響きわたっているようなものでしょうと思います。科学精神追求のテーマも面白いが、又「米」というような主題を、多角的に描けたら(そのことで即ち科学的に)実に素敵よ。日本の作家として、ね。わたしが小説でこころに描いている二つの仕事の一つは、科学的労働の人とその研究テーマとの人間的いきさつ、結核研究者が書いてみたいの。こういう時代の困難をもしのぎつつある、ね。研究所にガスが出なくなって薪で指をくすぶらせつつサッカリンを作り、それで必要な実験器具を手に入れたりしつつ努力している人物を。それが描けたら、米のような主題の扱いそのもので新しい線を描き得るような作品を。こういう小さからぬ希望のためには、本当に丈夫で、暮し上手でなければならないと思います。二十五日のような(火)しかられかたをしたり、声も出ないようにべそかき面になったりするようでは、まだまだであると謙遜しなくてはなりません。ユリの不揃いな成長、アンポンぶりは、時にあなたを苦笑させ、時におこらせ、奈良の薬師寺の国宝の四天王の眼のように四角い四角い眼で見られるとき、ブランカは、どんなにちぢみ上るでしょう。口答えも出来ないほどちぢみます。そして、小さな丸いきんちゃく[#「きんちゃく」に傍点]のようにちぢみ乍ら、心の底でびっくりしてあなたのシ、カ、ク、イ二つの眼を見ます。ああ昔の芸術家は、何と立派なモデルをもっていたものだろう、これは四天王にそっくりだわ。本当にそのままの、可怖い四角い眼だわ。四角い眼のまわりに睫毛があんなに生えていて、そう思って息もつかず見つめます。
 あの本のことはごめん下さい。お母さんのお手紙の調子で出しにくいようになってしまって。出しにもって行った人が、不受理で戻ったりしてそのままになってしまったから、あなたに出しましたといったことになってしまいました。
 島田行は、こんどはわたしとして大乗気です、もうもってゆく包みもこしらえ、もし途中の夜歩くといけないからカンテラまで用意しました。ほんのべん当、肩からいつもかけているカバン、風呂しき包み(いざと云えば背負えるだけの)で行きます。おみやげは、かさばらない布類でかんべんして頂くこととして。一昨日から、もう切符買いに着手しましたが、本月一杯は強制疎開が急テンポ、大量なので迚も手に入らず。どうしても来月四日以後でなければ不可能です。却って丁度いいと思います。やっぱり八日後に出かけます、寿は、こちらへ来るにしても持ってくる米がないからその配給の都合で八日に来られるかどうか分らないそうだし、てっちゃんも果してどうか分らないし。やっぱり八日まで居りましょう、その方がいいわ。そして出かけます、ゆっくりと。それまでにひまのときは、郊外へ泊りに行ってもいいでしょう? 例えば鷺の宮や成城の友達のところなど。
 ここのうちは、戦災、疎開受入れ家屋の実を果していて、次のような構成となりました。わたし、G夫妻、細君の両親、兄弟が出たり入ったり、一人の弟はこっちへ転出(配給をここでうける)Gの父(鉄道につとめ、家族赤羽で強制疎開となり)合宿暮しではやり切れないから、こちらで配給をとって一週一度ぐらい休みに来る。細君の従弟、親は疎開、一人でよそにいたらそこが強制疎開、こちらへお願い出来ましょうか。こういう組立です。だからあっちこっちから寄って来ると、八九人にもなり、さもないとG夫妻と三人となり。極めて、波のさしひきがきつく、従ってわたしは安心して、すこし風よけをいたせます。十日の払暁以来、前々便にかいた有様で、わたしとして開放的であることと、のさばることとは別であるという線をはっきり出すに、幾人いようとも数をたのむべからざることをいつとなしにしみ込ませるまでにはやはり半月はかかりました。それに裏にいた近藤さんが、妻子も自分も疎開することにきめたので裏の家もやがて空きますし。「女の、体のよわい宮本さんが、ちゃんとがんばって居られるのにどうも」という話です。「そんなことはあるものですか、わたしはここにいた方がいいからいる丈で、危険はよく分っているんですもの、どうぞ一日も早く疎開して下さい、わたしもその方がどんなにか安心よ」というのは、ね。近藤氏夫人かつて曰く「ええええ、この辺の人なんかサーッサと逃げて行きますよ、そんな人達ですよ、見ていてごらんなさい」そしてわたしたった一人の時、よく申しました、「これでお宅へ火がついたらうちはおしまいですよ。いくら消そうたって、叶うもんですか」だからね、わたしがおとなりの疎開をよろこぶわけ、おわかりでしょう。もうここの隣組でその家の人がいるところは殆どなくマヒ状態です。ひどいのは家財道具おきっぱなしで人はいません。全く焼けて下さい、という有様です。その間にはさまってブランカ火消しで落命したくはありません。
 ここが焼けて、いきなり行くところがなくてはいけないので、中野区鷺の宮三ノ三六近藤方にきめました。うらの近藤さんの老母がそこを退くのです。つい近くにもう一軒疎開手続をした家があって、そこがひろいから近藤さん一家が移る計画ですが、とっちもまだ空いてはいないので(次のドカンボーまでのことでしょうおそらく)一先ず老母の家へ近藤さんが移り、わたし達がやけ出されていったら二つの家の間で割当てて暮すという約束にしました、火にまかれるのが一番こわいわ。荷物をもった人波で動けないうちに、火に囲まれたら最後です。決して決して国民学校の地下へなんかかたまるものではないことね。麦が成熟する時期は郊外も油断なりますまい。
 十四日のお手紙、塩の物語[自
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