かったとくりかえしました。この頃は、わたしの歩く道はどこも焼けっ原で、はげしい人々ばかりで、風呂しきで頬かぶりして歩きます、成城には、まだこわいことが一度もないもんだから、まだ生活を味っている、という空気が往来にも漂っていて、家々の垣根もちゃんと手入れされ、芝生は芝生で日光を吸い、紅梅が咲いたりして居りました、風がなかったので、長い道ものびやかに歩き、親切に友達が縫ってくれたモンペをもらって、夜八時頃はらはらでかえりました、瀧川さんと。
 そして、こういうことを思いつきました、近いうちに、ここへ行って、二日ほど泊って、すっかり休んで来よう、と。考えて見ると、この新年以来、わたしの生活もなかなか大したもので、よく風邪もひかず、病気もしずしのいだものだと思われます、もっとひどくなるに当って、このガタガタな空気をすこしはなれて違った家で、ちがった話して、神経を休めることは大切な養生と思いました。来週のうちに、あなたの御都合のつくときそういたしましょう。土、日、は、東京がこの間うち、いつもやられたのでわたしがいないのは逃げた感じになっていけないと思って、きのうもはらはらし乍らかえった次第でした。時々そうして友人のところへ泊ったりして、段々わたしがいないことにならそうとも思います。一ヵ月に一度ぜひという用事があるという丈になれば、東京暮しにしろ場所は変り得るかもしれませんから。然しわたしの経済事情では、わたし丈別箇の生活というものを殆ど不可能にしています、そのことは、それから先の生活形態のことにも関係するので何かいい方法はないかと考え中です。生活費などというものは、この頃、予算[#「予算」に傍点]でやれるものでなくなりましたし、或意味では、金で駄目ですから、生活の場所というものは極めてむずかしいことになって来ました。このことは、頻りに考えているのよ、疎開[#「疎開」に傍点]の先をきめる上にも。開成山へ行くのは一番すらりとした道です。しかし、あすこには行きしぶります、わたしまであっちにかたまってしまうというのは、いいこころもちがいたしません。汽車が通じないものとして考えなければなりませんものね。あすこから往復も出来ないと見るべきです、現在もう、そうなのですから。ずっとずっと遠方だって、事情が何とかなれば、行ききりだっていいと思うわ。そちらでの生活が何とかなる見とおしさえつけば。東京との連絡は絶えますし振替とか為替はきかなくなりますし金銭そのものが大いに変化いたしましょうし。どうかいい智慧を拝借。あらゆる面で旅行はむずかしくなり停滞してしまうのではないかと気にかかって居ります。疎開荷物でさえ、今たのんだら倉庫で二三ヵ月の由です。人を運ぶのも、なかなかのようよ。人には人がいります。その人が不足していて。だからわたしも案外東京ぐるりでの生活が継続するのではないかと思います。先ず第一段として、旧市内より外に暮すところを見つけようと思いますが、それもつまるところ、ここがやけてからのことでしょうね。ここがなくなれば菅谷夫婦は、自分たちの便宜によって別になるだろうと想像されます、但菅谷が徴用ですから田舎へ行くことはないでしょうが、縁辺を辿って。「タシュケント。パンの市」という昔の小説のように、食物の確保されるところへ、と向って。わたしはそういうときついてゆく気にはなれません。
 この頃又バルザックよみはじめました。「ウージェニ・グランデ」。そして、何となし思います、文学の本質は何と善良であろうか、と。大作家たる人々は共通の善良さ、善良を愛さずにいられない心の衝動を生涯もって居りますね。俗人は、善良におどろかなくなるし、感じなくなるし発見しなくなるし自分で善良でなくなることをもって大人になったと思います。そして老いさらばうのです。芸術家や政治家の偉大な人々は、人間の善良を信じ、発見し、それに動かされる衝動を枯死させない精神力をもっていて、それ故に不思議な若々しさと単純である故の高貴さをもっています。
 わたしはバルザックを生き返らして、一枚の写真を見せてやりたいと思いました。それは数日前の新聞に出ていたものです、三人の人間が並んで写っていたの、チャーチルは厚外套にくるまって、ずんぐりで、髪がうすく、眼の碧さが写真でも分る眼つきで口が大きいの、あくまで、ゆるぎなきリアリストという風※[#「蚌−虫」、第3水準1−14−6]《ふうぼう》です。
 となりに笑い乍ら話しているセオドアは、めっきりふけました。この何年かの生活のはげしさがまざまざと見えます、彼の大テーブルの上の象牙の大小の象の列は昔のままかもしれませんが。やつれて、脚の不自由なこの男は、快活だのに、雰囲気にハムレット的な優柔さ動揺があるのは何と面白いでしょう、この人の輪廓は震動して居ります。彼の精神力の限度に達しているという感じです、まさに溢れんとしているようです、矛盾が。ハムレット的雰囲気というのは、実に実に面白い、こんな写真はじめてです。右の端に元帥服を着た人は、英語で交わされる二人の話に、笑顔で向いています、アゼルバイジャンの髭はなくなって格幅よくどっしりと若々しく手を何と上品にくみ合わせて、首を二人に向けているでしょう。気品というものは、かかるもの也という風よ。チャーチルは荒海で古びた指導のあざらしのように巨大ですが、あまりのリアリズムのために美を失っています。ハムレット風の顫動は、思いやれる様々の点での興味をひくとは云え、そこに感じられるのはよろこびではないと思います。アンの「北方への旅」にあるああいう揺れ(彼女のスケールでは、気の利いたようでもあり機智的であるようにもあらわれる、あの聰明さとそうでないものとの間の微妙なニュアンス)気品人間的尊貴の美しさというものは大した大したものね。わたしははいバルザックさんと見せてやりたいのよ。人類の、こういういくつかの典型を、あなたはどこまで描けますか、と。わたしは、バルザックが困惑するだろうと思って大いに笑えるのよ。彼も大きい心情により、その強壮な心臓によって、気品にうたれるでしょうと思います。しかし彼にその気品の再現は出来ないわ。彼が生涯をその間に投じた利害の波瀾、地位の争奪、奸計のどこの糸をひっぱっても、その品位に到達する筋はないから。品位の解説をするものは、一見それと全く違った文飾ない現実でありますから。面白いわねえ。わたしは、その一葉の写真が、これこそ現代史と呼ばれるべきと思いました。
 こういう写真が、こんな粗末な、刷のわるい新聞に出る、現代は正にそういうときなのです。
 そして、わたしは、十八の少女のように、自分もどうか気品ある人間になりたいと渇望を感じます。十八の娘は、そう感じる丈です。が、今のわたしは生活によって、そういう気品の価値はいかに高いものであるかを学んで居りますから、その渇望はひとしお切実であり、謙遜であり、且つ執拗です。ねえ、ほんとうに精神の輝は何と覆えないでしょう、才能だの、賢こさだの、というものでは到底輝き出せないつやと品位がとりかこんでいるような、その立派さの極単純になっているそういう複雑さ。ああ、ああ。わたしのリズムは高くなって、わたしのささやかなオーデをうたいたくなります。「わたしは知っている」という題で。わたしは知っている、その箱は出来のわるいみにくいものだけれども裡には一かたまりの純金。無垢なる黄金、よろこびの源。世故にたけた年よりは、きっとわざとその箱をこしらえておくのだろう。余り無垢なるものが、時より早く歳月に消耗されてしまわないように、と。無垢なる黄金が、小銭に鋳られてあっちに、こっちに、散ばってしまわないように、と。生き古りて来た年より、人類の、思慮ふかい吝嗇さ、いじわるさ。それらを、わたしは知っている。こういう詩の断片もあるのよ。明日は月曜日ですが森長さんの返事をもって参ります。

 三月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 三月二十二日夜
 今、十時十五分前です。そして珍らしい状況で、この手紙をかいて居ります、鷺の宮なの。そこまではきょう申しあげていたから平凡ですが、ここへ来て二十分もしないうちにわたし一人留守番をすることになって細君とまあちゃんが出かけ、七時頃帰るのが、まだ戻りません、ひどい風ね、ここの廊下に立ってガラス戸越しに見ると、南東の方が濛々と茶色にけむって居りました。そっちが市内なのね、日の出あたりの埃のひどさお話にならず、市中塵埃全く目も口も開きかねました。細君と娘とは、野菜のために出かけました。大した骨折りよ、ね。この風、あの混む電車、距離。でも、ここの台所を見ると、あるのは、くされかかったゴボー1/3本だけです。正直な窮乏の姿よ、行かざるを得ません。
 わたしは、前の手紙でお話したように、家じゅうとどろとどろで、おまけに寿江が来、まだ開成山からの娘も居り、寿江が例のとおり気づまりないかめしい在りようをしているので気が疲れて、迚も、出かけるからと云われて一緒に出てあのひどい駅で揉み通す元気がありませんでした。それで留守番をひきうけました。七輪に火をおこし、湯をわかし、ジャリジャリの顔を洗い、髪をとかし、おむすびをたべ、そして床に入って五時まで、ゆっくりと横になって居りました。
 同じ東京でも、目下のところ第一線的地域にいる人間、やけ出された人しかいないような地域にいる者と、こうしてまだ傷かない土、春の樹木のある地域とでは、こんなにして横になっていても何とのびやかさが違うんだろうと、どこかの窓のカーテンが展かれたようないい心地です。同時に、こう考えるの。この風に、そして、旦那さんの安否が不明なのに、電話がかかれば其をのがせなくて出かけて行く生活も大抵でない、と。今は、平常ののびやかさというものは、どこにもないのがあたり前となりました。例えば、わたしの行く家で一ヵ所として室内がちゃんとしているところはないわ。いざという時外へ出すものそういうものが椽側に出ています。壕代りに戸棚が開いていて、いろいろのものが出され積み重ねられています。うちだって、先ずあの風情ゆたかな玄関が、出そこねたコモ包みで荷揚場のようです。そして内玄関へまわると、すこし広いところに焼けぼっくいの材木やトタンがきな臭くつまれて居ります。
 七時に帰るのが十時とは可哀そうね。どんなに疲れるでしょう、帰ったら顔洗うように、とお湯わかしてあったのに、もう火がないわ、きっと。でも勝手に炭をつかうとわるいし。炭どこでもないないよ。お湯を、フトンの中に入れて来ましょうヤカンを。そしたらいいわ、帰ってお茶をのむにも、ね。
 留守番の間に、厚生閣から十五年に出た『短篇四十人集』というのを見ました。十五年頃の作品の内容は、ひどいものねえ。作家と云えないような、習作が作家いって並んでいます。なかでは、尾崎一雄のが作家らしいし大人の作品です。そして、読み乍ら、どうしてどの作品も文学らしい題だけもつけないのかと作家のカンについて奇妙に思いました。最後に集めてある室生犀星の古もの(庭におく石の手洗の話)の作なんか鬼ヶ島という題だったら一寸面白いと思える文章が作品のなかにそのままちゃんとあるのに「宝」です。川端康成でさえ別の作品集の中で「母の初恋」というつまらない題を平気でつけているんですもの、これなんかはもっともっといい題をつけていい作品なのよ文学的に。だのに。やっぱりこれも作中に「愛の稲妻」という言葉があって、それの上を切って稲妻としたらずっと文学なのにね。ホンヤクして見て母の初恋なんて、文学作品の題でしょうか。婦人雑誌のよみ切り小説だって、ましな題をつけます。惜しいし奇妙ね、全く。
 日本の人は、大体一定の様式をもちません。ナイーヴね、題を見てもそれを思います。短篇が断片に通じます。それにつけても『春桃』の中の「かかし」や「記念像」を思い出します。およみになりましたかしら。いい作品でしょう、きょうは久しぶりで十五年度の作品をいくつもよんで、様々の感想にうたれます。こういう程度の作品と作家とで、出版イン
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