獄中への手紙
一九四五年(昭和二十年)
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)采女《うねめ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)十字|繍《ぬ》い
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#二の字点、1−2−22]
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一月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
一九四五年一月二日
明けましておめでとう。爆竹入りの越年でしたが、余り近い所へ落ちもせず、しずかな元日でした。その上昨晩は思いのほか通して眠れたのでけさは特別よい二日です。寿江子が帰って来ていて、大晦日は、わたしが床に入ってしまってからブーの間にすっかりテーブルに白布をかけ、飾り、お正月にしてくれました。三十一日によそから届いたリンゴもあり。いまは、おそい御雑煮をたべて、炬燵のところに小机をもちこみ、足先を温くしてこれを書いて居ります。書いている紙の右端に風にゆれる陽かげがおどって居ります。
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この春はよき春なりとのらすれば妻も勇みて若水を汲む
このなますたうべさせたき人ぞあり俎の音冴ゆる厨べ
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三十一日の五時に壕に入ったとき、暁方の風情を大変面白く思いました。月がまだ西空に高くて、空気は澄み、しかしもうどこやらに朝の気配があって、暁の月と昔の人が風流を感じた気分がよく分りました。この節は何年ぶりかで早朝の景気のいい冬靄と、草履の下にくだける霜と朝日に光る小石の粒などを眺めて歩きますが、こういう冬の刻限の戸外の景色などというものは滅多に見ません。自然の景物の観賞というのも様々の時代の特色があることね。この頃のわたし達は壕に入るとこの風流で。それにしても三十一日の暁の景色は優美でした。
そちらはいかがな元日でしたろうか。大局的嘉日でしたというわけでもありましょうか。それが窮極のおめでたさね。
今年はわたしも今月中に家に来る人のしまつをつけて仕事にとりかかります。セバストーポリの塹壕の中でトルストイは幼年時代を書いたし、カロッサにしろアランにしろ塹壕生活の時期を泥にまびれただけではすごして居りません。わたしも、わたしたちの壕生活期に収穫あらしめようと思ってね。それにはどうしても今までの生活ではやれません。チジョサン[自注1]によび立てられてかけ出していたのでは、ね。サイレン丈で結構です。一日に一貫した心もちで過せる時間がなくては何をかくどころではないわ。あんなに手紙さえおちおち書く間がなかったりして、ねえ。四月から去年一杯相当骨を折ってわたしの手は勲章ものにひどくなったのだから、今年はもう本職に戻ってもよろしいでしょう。
留守に来て貰う人のことはなかなかむずかしゅうございます。この前の手紙で申しあげた伝八さんなる夫婦は、二人の生活費をこちらもちという条件なら承知するのです。しかし生活費は刻々上騰ですし、わたしはそれこそ大局的に可及的営養をとらなくてはならないしすると、生活費の負担は案外でしょうと思われます。ここの生活はどうやるにしろ、国府津の 280 の内からですから、雑支出を加えて容易でないでしょう。机に向っている時間、何か彼か考えを辿っていられる時間をとろうという計画なのです。国がハガキよこしてね、僕があっちへ行ったら敵機も追っかけてきて初空襲ありとありました。こっちへ暮す期間は益※[#二の字点、1−2−22]少いでしょう。あちらはもう雪だそうです。壕が庭でさむいし、子供づれだし、大変でしょう。手伝いがみんないなくなるらしいし。国も良人、父として苦労しているのも薬です。あの健康であの年であの知慧で、ひとからサービスだけされて暮すというのは法外ですものね。おのずから成立いたしません、今の時代には。
きのうの元日はうれしい元日で友達が三人来ました。一組の夫妻、この人は旦那さんが青森へ行くために。もう一人は先日山西省の学術探検から戻った人。いろいろの経験をして来たのですが、一米の間に二発ずつという風な機銃の集注をうけない限り、なかなかゆとりなきゆとりというものもあるものなのね。人間が、そんな風な危険に善処して、勉強もするだけして来ると、颯爽としたところが出来て、こころよいものですね。人は、その人なりの道によって、何か鍛えられる道を通ることが大切ね。そして、鍛えられるということを招く先ず第一の生活態度のまともさが大切ね。まともに生きない人には、天は決して人間鍛錬というような貴重な門を開きません。
年末に、おせいぼ、お年玉として書いて下すったお手紙。さっきお正月らしく元禄袖を胸の前にかき合わせて、もんぺの足どりも可愛ゆく門まで見に行きましたが、まだ来ていなかったわ。
この間の晩、一時間半おきには起されて、外へ出たとき、床に入っていてすぐ眠れず、うっとりしていて、昔の人の素朴さということを思いました。昔の人は、一筋のえにしの糸、と云いならわしました。そしてそれは紅色と思っていたのよ。だから妹背山のお三輪は采女《うねめ》の背に赤い糸を縫いとめて、それを辿って鹿の子の髪かけをふり乱しました。何となしほほ笑みます。えにしの糸が一筋なら、それはどんなに単純でしょう。一途というのも、とり乱しに高まるのが昔の情の姿だったのでしょうか。えにしの糸の色は無色透明よ、それはとりも直さずあらゆる天地の色をこめているということです。七色八色虹の如く多彩であって、それはあらゆるよろこびと感動とのニュアンスに照り輝きます。或るときは渡る風にも鳴ります。そのそよぎは伝わって光か風かという風に色のすべてをきらめかせ、人の力でとどめることも出来ません。色と色とは云いようなく快い互の諧調を知っていて、ちがった色どりをもってくることは不可能です。その色がそこにあるのでなければ、この色はそこに生じないという、そういう工合の調和です。えにしの糸は、天のかけ橋、虹の色という調子のものよ、ね。しかし、ちっともそれは芝居にはならないわ、壮厳微妙ですから。大らかすぎ、精神において演劇発生史以前ですからね。芝居と講談にならないということは大変慶賀すべきことなのね。西郷南洲はあらゆる芝居と講談と小説のたねにつかわれるが、日本の建設のためにあれだけの仕事をした大久保利通は講談にならない、木戸も講談にならない、これは何事かを語っていますね、と、鷺の宮の小父ちゃん[自注2]の言にしては犀利なり。きょう、ずくんでいられていいお年玉頂いたと思います、ありがとうね。
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[自注1]チジョサン――「中條さん」のこと。
[自注2]鷺の宮の小父ちゃん――壺井繁治。
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一月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
一月十日
さて、例の小机を膝の上にのせ、ああもう三時になってしまった、と思い乍らこれをかきはじめます。けさ、ふと気になってポストを見に行きましたら、入っていました。見ると、一月八日のなのよ。去年のおせいぼ、待ちかねているのにどうしたのでしょうね、未着です。お歳暮のしるしとしてすこしほめて下すったと伺ったからもしかすると、着かないのは余り珍しいなかみで、わたしのところへ来る筈のとは一寸様子がちがう、というわけではないのかしら。(勿論これはふざけ)
昨夜はちょくちょく起きましたが、大スピードで八時に床につきましたから第一回のまでに五時間ばかり眠っていて、あと途切れ途切れでもどうやら、きょうはよく働きました。けさ早く衣料疎開五十キロ五ヶというのを発送しに男が来ます。五時に起きてつらかったけれ共七時すこし過にモンペの紐を結び乍ら二階から下りて来たら、なかの口がパッと開いて朝日がさし込んで、そこを「お早うございます」といい乍ら、その男が這っているの。笑ってしまった。玄関のタタキに荷作りした菰包みがおいてございます。それを中から錠をあけなくてはならないから。
この男は小柄で黒いリスのような眼をしたヒシの実のような形の顔をした男で実に重宝男です。元来は煙突掃除だったのが生来の器用が時勢につれて「世に出て」(その男の表現)今では主として、荷物の世話をして「金に不自由はしなくなりました」荷作り、リアカーの運搬、いかけ、大工の真似、出来ないのはドロの方と植木屋の由。生きたものと、他人のものとには手が出ない由です。器用らしく小さい男で、いいとっさまで、昨今の苦労は、いくらかたまる金をどうしてもちのいいものに代えるか、という問題です。家作も買ったそうですが、これには自信もないのよ、やければ其っきりだから。なかなか面白い話しかたで、八日に荷作しながら「お宅の旦那さまは、いい方ですが、どうして印ばんてんなんか召すんです?」というの。成程ねえ。わたしは台所で洗いものをし乍ら「動きいいんだとさ。あの人は美術学校なんか出ていて、昔あすこの生徒は豚にのって学校へ行ったっていう位だから、印バンテンなんかちょいと着たいんだろう。」「そう云えば絵をかく方なんか、みんなちょいと風が変っていますね。わたしの知っているおとくいの旦那で、社長さんなんですが、うちへ帰ると、きっと酒屋のしめる前かけね、あつしの、あれをかけるんです。旦那又酒屋さんですかっていうと、ああ、これをしめたら暖くてやめられないよ、という話でしてね」そこでわたしが又云うの「下町のひとは、着るもののしきたりなんか堅いけれども、山の手のものは平気だね、めちゃめちゃで」「マァそうですな、かまいませんね」つまり馬崎というその男は、ひどい風をしてのんきなのは私一人だけでないことを知っているというわけです。
三※[#濁点付き小書き片仮名カ、517−17]日だったかの新聞に衣料疎開七日迄受つけとよんで、開成山へふとん類を送ってやったのです。一人ですっかり菰をかけるだけにしたから、へばりよ。荷作りも随分やって上達いたしました。姉なんかというものは妙なものね。こんなに骨を折って、やっぱり皆が助かるだろうとそんなものを送ったりして。別にたのまれもしないのに。
八日のお手紙、あんなに寒そうにしていらっしゃるのに、こうしてお手紙よむと、ちっともそんな風に思えず、一層沁々と拝見いたします。健気であればある丈いじらしくいとしいという心もちは、母だけがもつ心もちではないと思います。今年の正月は、全くわたしもすがすがしい気分が主潮をなしていて、清朗であり、そこに光りもとおして居りますけれど、思えば思えば御苦労さま、というところもひとしおで、そのすがすがしい清朗さに、云うに云えないニュアンスを優しく愁わしく添えて居ります。こんな風にして、わたしたちの清朗さも、単に穢れなき浄潔から益※[#二の字点、1−2−22]人間的滋味を加え、わたしたちの人生から滴るつゆは、益※[#二の字点、1−2−22]人間生活の養いとなりまさるのでしょう。その肌に立つ一つ一つの鳥肌が、アナトール・フランスならば、真珠というでしょう。わたしの手や腕が、こんなにひびだらけになり、踵の赤ぎれが痛くてびっこ引いて居りますが、それも生活の赤き縫いとり飾りだと思ってね。赤い糸の、こまかいびっちりの十字|繍《ぬ》いなんかそうざらにはないわ。ほめて頂戴。でも、原始の人たちの生活のように春を待ちますね。動物はどんな気もちで春を待つのでしょう。
昨日、いつもお正月にお目にかける寄植の鉢をたのめました。すこし時おくれですが、其でもやがて小さい梅の花も咲き福寿草も開くでしょうと思って。ささやかな眺めとして、ね。凍らないもののあるのはたのしいから。留守番の人は一寸申上たように始めの若い夫婦にきまりました。生活費と云っても配給もの丈でしたら、この節として仕方ないでしょう。それに一方の人は、余り大勢で壕に入りきれないし、この数年のうちに揉まれてすこしルンペン性が出来ていて、万※[#濁点付き小書き片仮名カ、518−16]一失業したりしたとき、うちがやけずにいたりしたら、いつか一
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