つ一つと何か見えなくなって行くような可能もあり、実は一番そこを気にして居りました。だから自分の腕で働き、小僧さんから叩き上げ、人物を見こまれて肴町の春木屋という鳥やの娘をもらっているその男の方が、小堅くていいでしょう。細君が来ましてね、厚みのあるきもちのいい人よ。ざっくばらんに何でも話してあっさりやろうということにし、そのひとは良人のために好きなものをこしらえて食べさせたいだろうから台所はその人がして、わたし掃除ということにしました。うれしいわ。少くともこれ迄よりよほど楽になります。この夏時分はひどうございましたもの。日比谷から帰ると六時、それから台所をして夕飯八時でした。
そちらが早朝なのは辛いけれども、夜は何にもしないで臥ることを専門に考えて、在宅日の午前、そういう日の午後と活用すれば本当にようございます。ともかく主軸となって台所やってくれる人が出来るのはうれしいわ。マンスフィールドの日記なんかよんでも、本腰で仕事しようとすると先ず家事担当者をいろいろ苦心していて、どこも女は同じと思いました。その夫婦は大体七月頃までこちらにいて、あとはどこかへ勤めが変るのだそうです。ラジオやさんです、技術徴用で会社の電機具の方に働いているのですって。国男がその人の少年時代から知って居りまして、その方がいいでしょう。国は感情的だから、そういう人のことなら忍耐出来ることも、わたしの方から来た人の場合辛棒しにくいでしょうし、又おのずからコマの会う面があるのでしょうから。
「ボンボンの歌」について。歳月の風雪に耐えるとあり、本当に詩の力は不思議と思うの。詩は風化作用を受けないものと見えるのね、それが本ものでさえあれば。うたの力が人間をして風雪に耐えしめる、とさえ思われるでしょう? ところが、そのような古びない魅力を創ったのは、外ならぬ人間なのだと思うと、その人間の大切さ。いかばかりでしょう。お約束の指頭花も御披露いたしましょうね、幾度自分でお読みになったものにしろ、愛誦歌であればあるほど、読ませて聴く趣も深いでしょう。読まれる一つの節は、こころのうちにあるもう一つの節を、次から次へと呼びさまして、ね。
東海道線は、公用軍用鉄道のようで、なかなか普通で切符は買えません。何とか考えましょう。あちらへ行ったらちょいとでは帰れないかもしれないわ。だって、あっちなら、夜も、すっかり寝間着に換えて眠れるのでしょう? 食べるものよりもわたしは其が欲しゅうございます。とび起きて、モンペはく丈にして眠るのには馴れてもいやです、もし行けるとして月末でしょうね、さもなければ二月初旬。(こっちの方でしょう)実におみやげがなくて閉口ね。おみやげを当にしていらっしゃらないにしろ、自分のこころもちとして、何年ぶりかで、はいこんにちわ、ケロン。としているのは気が弾まないわねえ。下駄はないし。あなたの衣料切符の点がすこしのこっていて、一月二十日までですから、羽織の紐でも買っておきましょう、行くにしろ行かないにしろ。(行かないというより、行けない[#「行けない」に傍点]かもしれないにしろ)そういうものはみんな送っておいて、自分は例のノラクロ姿にヘルメット背負って弁当二度分もって、或は何里も徒歩連絡の決心で行かなくてはならないのだからかなりの仕事となりました。罹災者として以外の旅行は益※[#二の字点、1−2−22]困難ね。
寿江子は一昨々日千葉へ一寸帰り、今又来て居ります。あのひとも千葉を動く気になって居ります。主として経済上の理由から。あっちはちゃんとした野菜や何かの配給がないから物価の高騰が菜っぱ一本に響いて迚もやれないらしいの。二人家内で四銭の野菜などというものは、大きい蕪1/4に小カブ一つよ。葱ですと、二本です。やって行けなくはある[#「る」に「ママ」の注記]が、其しもやはり土台で、天井知らずのものしかないというのは生活の安定性がなくてやり切れないらしく、北多摩の辺に見つけたがって居ります。せいぜい見つけて頂戴と云っているのよ。ここがやけたら目下ユリちゃんは行くところがないのですから。
国男たちきっと新年のハガキもあげないのでしょう、御免なさいね寿江子だって。云っているくせに。うちの連中ってひどくナイーヴで眼玉に映っていないとケロリとしてしまうのね、わたしだって同じ扱いうけたのだわ、但、そのときは寿が熱心で助りましたが。では又寒さを呉々も御大事に。
[#ここから1字下げ]
〔欄外に〕
「風に散りぬ」について一寸おもしろい話ききました、次の手紙で。
[#ここで字下げ終わり]
一月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
一月十三日
けさ、二十九日(十二月)のお手紙到着しました。ありがとう。
まず昨夜の話からいたしましょう。ゆうべは、一昨夜眠り不足のままでしたから九時頃大いそぎで湯たんぷをかかえて二階へ上りました。寿江子はいやがらせに「いいの、床へ入るとどうせすぐよ」と申します、「いいとも。五分だっていいよ」と床へ入って、さて一眠りして気がつくと鳴らないじゃないの。まあ、と枕の下から時計出してみたら十二時。じゃあ三時頃かな、と又いいこころもちに眠って、又目がさめたら、まだ鳴らない。おはなしのようでしょう? 時計を出したら五時すぎなのよ。さてさてきょうはめっけものだ、これなら朝も大丈夫と、又もや一つね返りを打って、一息に九時半まで眠りました。凄いわねえ。ずっと眠る心持よさ。いつもこうして眠っていたのね、そちらもおらくでしたろう? よかったわねえ。そんな風に臥ましたからきょうは元気だし、天気もよかったし、寿江子が台所に働いている間、ポストへ行きました。そして二十九日のに、やっとめぐり合ったという次第です。
いかにもいいおせいぼだったのにおくれておしかったこと。其でも結構なお年玉であることに変りはございません。
本当に去年はなかなかの年でした。精一杯にやってその日その日を送ったので、回想というところまで時間のへだたりがまだ生じて居りませんが、わたしたちの生活の中で、色調つよき年であったことは疑いありません、四月以降相当でした。でも、おかげさまで病気に戻りもしなかったからようございました、それというのもブランカとしてはここでどうしても暮す、という不動の目的があるからやれたので、さもなければ一寸辛棒しませんでしたろう。腹を立てたりしてね。特にわたしとして内部の収穫多き一年でした。船酔いでもありそうな日は、とあり、あんまり適切なので笑えました。あなたお酔いになる? わたしは、船と飛行機は駄目です、普通の酔いかたで、みっともないが単純なのではないのよ、到って行儀よくて何一つ胃から逆流させませんが、血液循環がどうにかなって、脳の貧血、全体の貧血が起り、眼をあけたまま夢中になってしまって、飛行機なんか下りて半日は病人です。それが一定の時間を超すと、そのまま死ぬのですって。閉口ねえ。ですから、船酔いのありそうなとき、良質の空気が助けとなるということの適切さは、それこそ命の素というわけです。あなたも、余り気持よくなさそうに船酔いでも、と書いていらして面白いこと。泳ぎの上手い人は酔わないのじゃないの? やっぱり酔うの? 尤も船酔い、人当りいろいろ毒素は放散されますものね。
親舟子舟のいきさつは、相当もう保証つきと思われます。子船としての便宜、というようなこせついたことを考慮する段階は主体的にも客観的にももう通過してしまったと思われます。子船が丈夫に役立つようになったというばかりではなく、ね。あの船たちは、綱を切られてしまうか、それとも、親船にきっちりとうまくはめこになって更に遠洋の航海に耐えるか、二つに一つという時をいつか経たと思います。そして、幸組合わせうまく造られていて、工合よく堅牢にきっちり航行態勢が整えられたのであると見えます。見た眼にさえその姿はすがすがしいでしょうと思うのよ。そして、人間の生活ということについて、すこし心ある人ならば、新しく思いを誘われるところもあるでしょうと思うの。そこに人生詩のかくれた力、芸術家たる所以、作品をして永生させる根源の力がひそんでいると信じます。人生は森厳であり、そこ迄行ったとき、初めて萎靡《イビ》することのない美しさ、平凡になり下ることのない高邁さが生じるので、もしそんなところに行けるとしたら、肺活量のゆたかさについて感謝しなくてはならないと思います。それにね、「空気」ということを、わたしは幾重にも興深く感じます。空気は恐怖を感じさせない不思議な力をもって居ります。いい空気ほどそうよ、それは美味であるし快適であるし、益※[#二の字点、1−2−22]こころよく其の裡に心も身も浸そうと欲するものです。わたしに、そういう空気があり、混濁した瓦斯っぽい中で息苦しくなると、その空気を心から吸い、そして元気をとり戻します。その空気の流れるとおりいつかついて行って、そこには特別な躊躇だとか狐疑だとかいうものはちっとも起りません。これは考えれば考えるほどびっくりして、マア何と性に合っているのだろう! と満悦と恐縮を感じます。だってそうだと思うのよ、すこし謙遜な人間なら、自分に、それ程性の合う天のおくりものをさずかったら、ありがたさに恐縮せざるを得ないと思います。しかも、その空気は、本質の良質さを明瞭にするために、実におどろくべきテストを経るのですものね。実に恐縮です。そして、そのような滴々是珠玉のような空気によって、わたしが健やかにされ、天質のプラスの面を引き出されてゆくのかと思えば、殆ど空おそろしい位です。自分に果して十分の消化力があるかどうかと、畏れます。あに、精励ならざるを得んや、というのは真実であるとお察し下さい。
お手紙がうれしかったせいもあって、きょうは二階へ水を運び上げ火の用心をし、さてそれからチャンスと思って風呂をたきつけました。いい工合によく燃えついていい気分で、台所の裏で石炭集めしていたら、どこかでザアザア水が流れる音がきこえ出しました。又どっかで水道パイプが破裂したのかと思って燃《た》き口へ来て見たら、どうでしょう、いい焔を上げていたカマの口から、地獄の洪水みたいに黒い水がザアザア流れ出して居ります。循環パイプのカマなのよ。上り湯のパイプがわるくなっているのを思い出しすぐ上り湯をあけました。それが原因だと思っていたら、さっき、みかんの皮(ミカンの少々の皮、ふろに入れると手のアレ直し)を出しに浴槽をあけたら、湯槽の方の太いパイプがそこ抜けになってしまってすっかり減っているの。ああやれやれと歎息してしまいました。これで哀れなブランカは何日かヒビだらけの手でお湯に入れなくなりました。今こんなパイプの直しなんかおいそれと引受けるところはありませんし、どうなることでしょう。もしかすると、これで当分フロおじゃんということかもしれません。そしたら目白の家でつかっていた丸形のをお医者様のところから引上げてでも来るしかないでしょう。一休みして、二階へ干したふとん始末に上ったら又ここでも水騒動。太郎が生れたときこしらえた大ダライに水を満々と張ったはいいが、いつも風呂場のタタキにあってわからなかったスキがあって畳がすっかり水を吸っているというさわぎです。バケツでかい出して屋根からすててね。漸々《ようよう》其でコメディア・フィニタ。ブランカも多忙でしょう? この頃は何でも老朽で、其を直せませんから、こうやって用が二重になったりいたします。
老朽と云えば毛糸足袋下。はいてみたら、何と云ってもこっちが暖いわ。いくら私がこしらえたって薄いものは薄いのですもの、あなたがおやせになったせいばかりとは申せません。今年はじめて別のをおはきになったのですものね、鷺の宮であなたの足袋を縫ってくれるというので、ネルや帯芯をもってゆき、もう出来ましたって。近々足元がいくらかましにおなりでしょう。鷺の宮やてっちゃんは、歳月で褪せない暖いこころがあって、うれしゅうございます。
「風に散りぬ」の話というのはね、この間偶然、あちらに永年いた婦人
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