に会い、その人はよく様子を知って居り「今昔物語」の紹介なんかしている人ですが、その人にどうしてあの作品は大作なのに終りがああ弱くて、展望的でないのだろうと話したら曰く、「そこが南部の伝統ですね、ヴェラ・キャーサの作品なんかとその点全くちがいます。南部は今でも南北戦争を争っていますよ、経済的にすっかり駄目になっていて回復出来ないでいましたからね。尤も今度の戦争のあとは異って来るでしょうが。今度のルーズヴェルトの選挙でも半分は南部の投票でした」今までは棄権ばかりしていた由、北部の重工業がドシドシ南部に移動したのだそうです、人的資源と労働力の低廉を求めて。そしたら黒人の大量的北部移動が起ったそうです。今はメキシコから労働力を入れるに大童の由。そしてこのことはメキシコのメキシコ的主張のバックとなるわけでしょう。アメリカ発達史以後の話でわたしには面白うございました。殆どこれで全部ぐらいの話でしたが。
今夜又ずっと眠りたいことね。何かおまじないをしましょうか。昔岡本一平がフーオンコロコロという占いを漫画で描いたことがあります。それで占ったらわたしは、勲章下げて空のおはちをかきまわしている図というのに当り、今だに苦笑いたします、おまじないの方は一寸思い当る方法ございませんね。わが身を小さき珠となし、その懐に眠らばや。
一月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
一月二十九日
きょうは、大御無沙汰のあとで久々にゆっくり書きはじめました。しかもきょうの手紙はね、百合子というだけのさし出し書きではすこし不足で、危くふっとぶことを免れたブランカより、という風な書きかたが入用です、昨夜九時すぎに来た一機が照空燈(サーチライトをこういうのよこの頃は。)に捕えられて上空に来かかり、きっと割合腰抜けだったと見えて周章していきなり、ポタンコ ポタンコとやりました。京浜地区警戒を要すというラジオでいつも壕へ入る仕度いたします。菅谷夫妻は、いつも泰然ですが、昨夜はいち早く来て主人公外へ出て、壕のふちに立っていたら、来ましたよ、来ましたよ、ホラそこ、真上でいやがる、というの、わたしには全然見えません。入りましょうよ、と細君と壕に入ったらとたんに何と云ったらあの音響と地響が表現出来るでしょう。つまり夢中になってしまうような音がして叫ぶようにキューンという鋭い音がいたしました。思わずかたまってちぢみこみました。又、キューンというの。焼夷弾よ、見なくちゃ、さア、ととび出して見ても分らない、うちに、パン、パーンとごく近くで落ちたのが爆発する音がいたします。近いわ、そのつもりで。とわたしは二階へかけ上り、あっちこっちあけて様子を見たら南の高村さんの屋根の裏がもう火の手です。やっぱり電話局よ、白いからね、と見ているうちに火はひろがり外へ様子見に行った菅谷君の話では電話局の前の通りで林さんというお医者もやけてしまったらしいとのこと。細君は、肴町の通りの春木屋という鳥やね、あすこが生家ですから、そっちを心配し御亭主はかけて見にゆきそこらの状況が分りました。細君も実家を見にゆきたいというのよ。風が北だからこっちは安心だから行くといいわと云ったら息せき切って戻って来て、奥さんそれどころじゃありません、団子坂の角がやけていて門の前から非常線で通れません、というの。じゃ一寸見て来るから、と門へ出たら門から非常線で団子坂の角の米やがあったの御承知でしょうか、あすこから鴎外の家のあったところ、そのずーっと先まで火の由。いろいろの情報を綜合してこちらは丁度巨人の歩幅の間に入った小人のような位置だったと分りました。うしろと斜前、横、爆弾でした。それぞれ小一丁もはなれて居りましょうか。
第二次、第三次と来たときまだ火が見えて心配し、電燈もとまり警報もきこえず月明りをたよりに土足で家じゅう歩きました。日大病院もやけました。相当の範囲ね。こちらの側は、団子坂の角あたりと、その線をのばしてすこし上へ上ったところで星野という家につき当る角がありました、あの一寸入ったところ位で止りました。
けさは疲れて八時前御見舞に来てくれた国男の友人に会ってから又、湯タンプをあつくして眠り十一時までぐっすり眠りました。千駄木小学校・駒中・郁文へ避難した人々が一時集っていて、こちらの前の通りの人通りは遑しゅうございます。
水が不足ね、何しろ乾いて居りますし。凍って居りますし。大体どういう風と分ったのはいいが、あんまり瞬間の判断も出来ない程の突嗟のことで、其には閉口ね。本当の塹壕生活ならいいが、こうして日常性とそういう異常性とが交錯した生活はこれから益※[#二の字点、1−2−22]大変でしょう。こちらの組の米、味噌、マッチ類の配給所もやけてしまいました。今度の月番は大変でしょう、こちらは丁度昨日で終りました。マアこんな風で、ブランカも恙《つつが》[#「恙」は底本では「※[#「恙/虫」、527−5]」](妙ねすこし)なかったことをおよろこび下さい。机の上に、内科読本など揃えてそのままとんでは哀れを止めてしまいます。
二十五日のお手紙、ありがとう。一昨日頂きました。あなたのお手にも紅糸綴りが出来ましたって? まあ。ねえ。ことしはあなたが瘠せていらっしゃるばかりでなく三十年来の寒気の由です。そのために、どこもここも凍りついて水道のパイプはこわれるし、直す資材はないしこちらなんか大不自由して居ります。十年ぶりに起きておすごしになるにしては愛嬌のなさすぎる寒中です。残念なことです。こう凍りついてキンキンかたいと、春ある冬の詩趣だけでお暖り下さい、と思うには、ブランカもすこし人間くさくて空々しいほどの詩情は披露いたしかねます。そのくせ、つくろい物はのろのろおっかけというのではどうも器量が上らないこと夥しい次第であると思います。手袋もそんなでは何とかいたしましょうね。変に指をひっぱってはめたようなずらしたような工合にしていらっしゃると目につきましたが、おそらくあれはつまり指先は持って生れた皮ばかりという手袋になっていたのだったのね。
さて、こちらの留守番の人夫婦。他人と棲むとしては申し分ないとすべきと思います。〔中略〕面白いことにね、この節の暮しというものは、元はよく、ホラ、御飯だけ炊いて貰っておかずは各自という共同生活がありましたろう、あれがこの節は、おかずは一緒で御飯は別なのよ。この間うち、朝起きて顔をみるやどうしてこう御飯が足りないんでしょう! と頬っぺたの赤い、がっしりした細君が訴えるの、そちらへ行くというその朝の忙しさの中でさえ。寿が、十五日にこの二人が来ても帰らずずっといて、あの人が又お飯好きです、それでぐっと食いこむのね、そこで、御飯は別々ということにして面倒でもこちらとあちらと炊くのよ。そしたらすっかりそういう煩悶も解消で工合よくなりました。〔中略〕しかしこうして他人が来ても、前もって居るという話になっていないあの人がいるという点なんか、ぐーっと押しで無視して、こんどは用のない人の粘りで粘られるから、わたしのような人間は業《ゴー》が煮えます、キモがいれます、島田の言葉で申すと。わたしは自分のしたいこと、手紙かくことさえ時間がない暮しだのに、〔中略〕
さて、きょうは三十一日になりました。朝八時すぎにこうした手紙をかきはじめるというようなことは珍しゅうございます。けさ八時に国が富士というところへゆくために出発したのでこんな時間が出来ました。
きのう(三十日)帰りに三丁目から南江堂へまわりました。あのひろい間口の店が半分だけになっていて、本と云えば全くあの棚にチョビリこの棚にチョビリで埃だらけの台に雑誌が並んで居ります。衛生の部には工場能率増進についての本が二三冊、営養関係の本と申せば乳幼児に関するものだけ。お話の外です。国民服を着て奥で喋っている男に訊いたら曰く「さアわかりませんな、この頃ちっとも扱いませんから」そこで別送の雑誌一つ買って一円七銭のところを五十銭出したら突かえして「こまかいのありませんか。雑誌なんかおことわりしたいんですから」という挨拶です。びっくりしてしまいました。自信がないのね。医者の本を扱っているくせに学問の恒久性というものがちっとも分っていず、商売[#「商売」に傍点]のつまらなさでくさっているのね、こんな代表的な本やでこんな人間が今の時期店番をしているということは一つの恥辱の感じがしました。本を買いたい人は、呉服屋へ行くのじゃあるまいし、熱心に探求心をもっているのですから。そのくせ、その男は奥じゃ変に亢奮して飛行機のおっこちたときの話かなんかやっています「映画にある通りそっくりですな、こう」と手真似してね。実に今の下らないタイプをまざまざと見学いたしました。仕方がないから向い側のやっと開いている一軒古本やへまわって見ました。やはりありません。金原の、あの叢書ね、あれの腸間膜の病気についてのが売れのこり、小児の梅毒か何かの本があり、歯科の本があり医事年鑑などばかりです。何とも手のつけようのない有様です。さがしても見ましょうが(神田辺を)目白の先生にたのんで見ましょう、何かあるかもしれません。そしてこちらの営養の本を見つけましょう、仰云っていたのを、ね。本のないこと、本のないこと! 一寸通って御覧になってもあの通り街の店の八分通りはしまって居りますものね。
それから肴町へ出て、非常線を通して貰って焼あとを通りました。相当なものです。東京からみればそれは一部に軽微な被害ですが、界隈に住むものとしてはつよい印象です。鴎外のいたところもどこも分らなくなっていて、煙の彼方に根津かどこかの樹立がぼんやり見えて居ります。団子坂のすぐ角まで、左側――そちらの方の側は、表からひとかわで止りましたが。林さんという医者の低い煉瓦の門が四角くのこっていて、そこに瀬戸ものの表札がわれもせずきれいにのこって居りました。面白いものね。そういう風にしゃんときれいに表札がのこっていたりすると焼けてもその人の命はつつがないという晴々した感じでした。このお医者はこちらの古馴染でわたしも世話になり、日頃電話局の前だからあぶないものだと云っていましたから気にして居りました、見舞ったら一家無事で何よりでした。
十二時頃帰ったら昨日はこちらもお見舞の人が多く、国は三十一日までという所得税の申告書きでねばっていて、到頭わたしは手紙もかけず。ですから今日はうれしいのよ。
「指頭花」が氷結したような工合になって居ります。しかし、氷花の中につつまれて、咲いている不思議な可愛い花の姿は又格別の眺めです。忙しくて、びっくりして、火がボーボーで、でもちらりちらりと燦く霜柱の宮のなかに、ちんまりと暖かそうに、浄らかにおさまっている花を髣髴して、いい心持です。詩の御披露までに氷はとけませんけれど。
二十五日のお手紙に、氷の裡で詩も作れないのが現実とありましたけれども詩の功徳は不思議なものよ。凍っても生きている花の美しさがあるし、詩の生れ難いほどの凍結のきびしさを縫って、猶点綴する花飾りが想われますし。ことしの冬は、氷垂《つらら》のなかにこめられた指頭花ですね。そこに独特の可憐さもございます。
二月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
二月三日
氷のとける雪というものもありますね、初春らしいこと。氷ってしまって困っていた水道が雪で出るようになりました。これで喉をわるくしていた人もましになりましょう。でもきょうの風はさむいこと! 真北で。二十八日以来、風向きに気がつくようになりました、西北だったからこそ助ったのでしたから。焼跡の雪景というものは独得な眺めです。
きょうの帰り、北風特に身にしみたのは、あなたの「もう駄目だね」が相当きいていたのだろうと思われます。駄目だね、はこれ迄も頻りに伺いましたが、もう、というのは耳新しいわ。たった二字ですが。御自分で気づかず仰云ったのでしょうね、気づかずおっしゃった二言に、どんな真実があるのでしょうね。でもマア気にいたしますまい。自分で自分をはげ
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