まして、もう、でも、そろそろでも到頭でもいいことにしておきましょう。駄目だね、が実際である以上、自分で其を承認している以上、上につくものへ注文してもはじまらないわけですものねえ。更に明瞭なことは、何がつく駄目であるにしろ、ブランカはやっぱり駄目だねと云われ|に《るべく》あくせくするのですから。
 さて、南江堂の目録は、幸にもちゃんとありました。これを見ると、全くこういう本も出した、という記録品の感じがいたしますね、南江堂のがらん堂については前便で書きました通り、二十九日のお手紙で列挙されている本たちもその影だになしよ。しかし手帖に書いておいて(!)古本やをすこし見ましょう。古本やが用をなさなく成って居りますけれども。目白の先生にたのむときこれらを書いて見ましょう。一冊でもあればいいけれども。それから『営養食と治病食』。見つかりません。病気関係の本は一まとめにして一つの本棚に入れておいたのですが、どうしたかしら。自分で売ったりはいたしませんから、いなかった間にまぎれて行ってしまったかしらと思います。
 もう一度さがして見ましょうが。御免なさい。
 ブレブロールはそちらへ一ビン行っています。二度目と思ったのはポリタミンとごっちゃにした記憶でした。肝油は一ビンとってあります、大切にして。あとは目下品切れの由、きょうききましたら。品切れで閉口いたします、何も彼もだから、やりくりも遂につまってしまいます。
 エビオスの定量。あれは酵母剤で、そんなにむずかしいものではないらしいのですが、今もしもと思って買ってある粉末のは一日三グラム以上とあり、粒にして六粒―十粒ぐらいのものではないでしょうか。栄さんは愛用者で十粒ぐらいずつのんでいるようです。腹工合のさっぱりしないときは、すこしよけい、という風にしているようです。ビンに書いてなかったでしょうか。大体ああいう薬は、早くなくなるといけないという商売的用心から一度に二粒とよく書きますが、そういうときは、あんな性質のものは十粒(一日)ぐらいでいいのではないかしら。御自分の工合でいいのではなくって? のぼせるものでもないのだし。
「動かぬ旅行者」というのは適切だと感服いたしました、そして熱帯と寒帯とを通るということも。「絹の道」「北極への道」人類が雄々しく踏破した道は幾多ありますが、歴史は動かぬ旅行者の歴史から歴史への道というものを出現させました。本当に熱帯と寒帯と、思えば整備員の不熟練、質の低さは決定的なものです。
 今年は、お着になるものなど、怪腕をふるって、われ乍らびっくりものです。わたしは地道な人間で怪腕はよかれあしかれもち合わせないのですが、事一度裁縫に関すると、振う腕ごとに怪腕になるのだから凄じいわね。技術を習得しても怪腕に変化はいたしますまい、それはどうぞ御含み下さい。そういうことの器用人は又別でね、わたしのは、必要を極めてがんばって主張したという風な裁縫なのよ、あなたの針仕事を女性化したという程度ね、おそらく。でも、幸、わたしは、台所はしませんでした、何はしませんでしたというような消極人でないから、おそろしい綿入れだって何とか征服いたします、あなたとしては、時おくれやとんまや、その面だけがお気づきでしょうし、其は実もって尤もですが、わたしの昨今の諸事業征服は、そうそうすてたものでもないのよ、公平にみれば。気力でやりとげる的縫物でさえするのですもの(!)
 最近材料をそろえて、鷺の宮へ行って足袋縫いをいたします、ついでにお風呂に入って、国男がいるから泊って来ます。昼間風呂をわかさせてはすまないし、夕方入れば帰るのが困るし。今市電十時で終りですから。
 国男たちがゆっくり眠って休むように、と開成山へ誘います。たしかにねまきになって髪もほどいて眠って見たいわ、けれども、この一ヵ月ゴタゴタつづきで、やっと寿が帰ったと思うと国で、わたしはおちおちした自分の時間がありませんでした。一人でいたいの、実に一人でいたいのよ。本をよみ、手紙もかき、そちらでは覚えていたことをいつか忘れるような毎日でない毎日が送りたいのです。一週間、仮にのんびり眠ったとしても、食べて眠るだけに、安らかさはあるのでないから、わたしは矢張り参りません。子供たちは見たいけれども、キャーキャーワーワーで、気が安らかでないと思います。本やとの話が気にかかって居りますからね。わたし一人ならここで何とかして昼間休むことも出来るのだし。「わたしども」の暮しぶりをチャンとやれるのが、一番いいし結果的には其が休養となります、あっちこっするのは少くとも私には却って不安をまします。
 やっと人が来たのに、自分がガタクリ動いては何の甲斐もありませんものね。国は十日かおそくとも十五日いて帰る由です。あのひとも、そうやっていますが、徴用のことがあるから、どうするでしょうね、そうしたら東京にいなくてはならないでしょうが。そうなればブランカ恐慌です、御察し下さい。
 段々汽車の旅行が困難になりつつあり、其は加速度的傾向です。ブランカにとって長途の旅行はあらゆる事情から困難となります、疎開先についてあれこれと考えて居ります。好都合に近く運びたいと思います、地方半定住のことも、想像していたようにゆきそうもありません。地方的偏見がつよいから、そして混乱期のそういう偏見の結果は計らざる不幸さえ招きますから、東京にいてさえわけの分らない目に遭うものを、そういうあぶなっかしさにあうのは愚劣ですから。暮しかたはむずかしくなりまさりますね。よくよく練って研究の必要があります。それに、本が一層不便になる場合、生きた雰囲気が活溌に送りこまれることは最も必要なことでしょうと思います、そして、そういう生活雰囲気は、同じ小さい空の下で、ましてや歩くのは一本の道と限定されて会う人もとやかくという環境では、極めて流動をかきます、動いてしかも動かない旅行者に近い事情に生活することは大局からよくないでしょう? 補給の上からよくないでしょう? この頃そう考えて来て、しかし乍らここの家もいつまで無事か分らず。さてさてと思って居ります。いずれにせよ、船のいらない疎開先でなくては困ります、船はタヌキの舟でなくても沈むのよ、ユリは酔うのよ、空気は性にごく合っていても、袋に入れて吸入用にならないし、クラウゼさんの云い草ではないが、長い補給路ほど辛いのですからね。半年後に日本の旅行は全く異った相を呈するでしょう。汽車は去年の種から生えないのが不便です。電車にしてもね。人間の足幅だけで、地べたを刻んでゆく旅行が再出現したとき、どのような「奥の細道」が創られるでしょう。「十六日夜日記」が出来るでしょう。ブランカの足が刻める距離ということも冗談でない或時期の考慮にのぼって参ります。条件がいかにも複雑ね、そして反面には残酷に単純です、ふっとばされなければ、という仮定について考えてみれば、ね。この二つの面を縫って、何が先ず大切か、という判断だけが正しく進退せしめるというわけでしょう。手がかじかみます、本当にさむいのね。

 二月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 二月十八日
 きょうの静かさ、陽の暖かさ、身にしみるばかりです。一昨日は、相当でしたね、ヨーロッパ的規模に近づいて参りました。朝、小型数十機という情報をきいた瞬間、段階が一飛躍したと感じました。一昨日は夕飯前まで戸外(壕)と台所の板の間とで暮し、夜は国が食堂に臥てラジオの番をいたしました。わたしは、又次の日どんなにして暮さなければならないかしれないから二階でふだんのように眠りました。きのうはましでしたね。しかし遠からず、あの時はまだ延千ぐらいだったのだものと云うことでしょう。益※[#二の字点、1−2−22]よく暮し度胸もよく暮したいと思います。
 国、昨夜十一時に開成山へかえりました。咲の方が手つだいいなくなって、手紙かく間もない生活となり、何かあったら全く太郎一人が対手なので、切符入手出来たのを幸、一番安全そうな時間を見計らって急に立ちました。菅谷君出張、細君田舎行。昨夜|又候《またぞろ》たった一人で、田舎から帰れるかどうか分らないから三四日は一人とあきらめていたら、けさ其でも細君帰れました。これでよかったわ。女だって二人ならば、ね。いよいよ地下生活の時期になった、と新聞で書いて居ります。これ迄も壕で昼飯をたべたことは一昨日までに一二度はありました。うちの壕は入口のフタの傾斜がゆるやかでカンノン開きで見てくれの薄板で、それが弱点ね、機銃の玉なんかいくらでも通ります。其に、生活万端やるとすると狭いわ、一人で一杯です、電燈もないし。
 国は荷物もってゆくつもりで例によってどたん場まで愚図愚図して居たら、一昨日以来一般小荷物受付中止で、家じゅうひっちらかしたまま、自分のふとん[#「ふとん」に傍点]さえしまわず行ってしまいました。〔中略〕まあ今時の往来ならそんなものかもしれませんけれど。当分小包も受付中止よ。田舎からは来るのでしょうね、さもなければ、わたしたち干物よ。
 この間の火曜日、ね、お目にかかって帰って来て、午後から友達が来ました。何だか四角いものをふろしきに包んで、はいとくれました。近頃は勘がよくなっていてね、其はすぐお重とわかりました、が、どうして又こんなおみやげがあるの? と訊いたら、いやあね、お誕生日じゃありませんか、とぶたれてしまいました。本当にそうだった! マア、マアとびっくりして、よろこんで又呆れられてしまいましたが、わたしはしんから可笑しゅうございました。だって、火曜日にお会いして、十三日なのをわたしは勿論忘れていたし、あなただって決して特別に意味のありそうな顔つきをしていらっしゃいませんでした。こうしてみると、誕生日そのものよりも、日々をどう生きているかということが切実なのだと改めて思い又、いかにもいそがしいのだと痛感いたします。忙しがって生きて、誕生日を忘れているのも今時のお目出度さなのかもしれません。十二月二十日に国が開成山に発ち、その午後寿が来て、一月二十九日、国の帰る日まで居りました。それからきのう迄、国がひとを使う使いかたと云ったら。使っているようでは一つもないけれど。〔中略〕
 わたしはきょうは、本当にお風呂にでも入って髪でも洗ってさて、と自分の暮しをとり戻したさっぱりしたよろこびをあらわしとうございます。残念なことにどっちも出来ないわ。お風呂はボイラーの底抜けが直らず、目白からもって来た桶はまだ煙突がないの、おまけにすこし底があやしいのよ。髪を洗うことは、疲れすぎて昨夜風邪ぎみでしたから、やめなければなりません。
 きょうは、どこの家でもくつろいでいるのね。こうやっていると、カナリアの囀る声に混って、うれしそうにさわいでいる隣の子供の丸い足音、人の声がいたします。さっき台所の裏の氷った道を、組長さんの近藤さん(うらのはなれに住んでいる画家)が鼻歌をうたい乍ら通りました、そんな気分なのよね、だれもが。国が来たらお米の不足の騒ぎまでひとりで才覚しなくてはならぬ始末でした。国という人は永生き性よ。留守の間に二人分配給のあった米が、不足な訳はない、という根拠で、わたしが気をもんで苦心していても感じないか或は一言もふれないのよ。凄いわ。そして、自分は「田舎のおなか」で東京暮しをいたします。寿が逗留していたにしろ、寿は米をもって来るべきであり、従って来た筈であり、わたしが寿にお米なしでは駄目だと云えないということはあり得ないこと、なのね。そういう生活態度は何か憎悪を起こさせます。そして、こうやってあなたに毒気を吹きかけたくなるのよ、御免なさい。わたしは、私たちの生活上必要な一つの〔検閲で削除され不明〕だと考えてこういう生活もちゃんちゃんやって行こうと決心していて、それで大分辛棒いいのですけれど、まだまだね。どうしても毒捨袋の口がゆるんで、ついあなたに何か訴えてしまうから。
 図書館ゆきのこと、金・土と実現不能で気にして居りましたら、目白の先生が昨夜見舞によってくれました。早速お手紙を引きくらべ
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