て顧問になって貰ったところ、今の雑誌は百害あって一利なし「医者さえ騙かされるんだから」読まないに如かざるものの由です。『戦争と結核』という本はおよみになった方がいいから探してくれる由。営養の本の中では桜井『栄養科学』マッカラム『栄養新説』がよむべきものだそうです、両方とも誰かから都合してもらってくれる由。
『絹の道』はまだよんで居りません、〔検閲で削除〕親しく響きます、そして、クラブに大書されていた言葉の美しさその意味の深さ実現されたらばその勝利の人間らしい見事さにうたれます、それは、おそらくクラブの白い壁に横長く貼られた〔検閲で削除〕の赤地に白くぬき出した字で書かれていたのでしょう。〔検閲で削除〕に、そういう一ヶのクラブが立ったというそのことが既に、沙漠における人間叡智のかちどきだったのでしょうね。あっちの女のひとは髪を編み下げにしているのよ。顴骨《カンコツ》が高い角丸の、眼の大きくない顔で、よく往来を歩いていました。沙漠に生える蕁草《いらくさ》のように背の低いがっちりさです、かたくて。
この頃わたしは屡※[#二の字点、1−2−22]思います。鴨長明でなくても東西の賢人[#「賢人」に傍点]たちは、人間があかずくり返す破壊と建設を、ただその反覆において一つの愚行だと見て来ました。結果人間は愚かなものだ、という風にね。でも、果してそうなのだろうかと思う方は大したものだと思って。
きょうはもう二十日となりました。早さおどろくばかりね、壕生活を、わたしはすこし張り切って居ります、というのはもとより望むところではありませんし決して永もち出来る風土的条件ではありませんが、それでもそうなったらわたしは自分のこれまでの諸生活の形態から学んだやりかたを十分活かして、最大に快活に健康に堂々とやって見ようと思って。そのときこそわたしは人間はいかに生きるかというキリキリのねうちが知られると思います、厖大な家を、ゴミだらけにしているユリちゃんばかりが、わたしではないのですもの、ねえ。
二月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
二月二十三日
二十四日
二十五日
きのうの吹雪は東京に珍しい光景でした、本当の吹雪で。一尺近い積りかたで庭の雪景は眺めてあきません、二階の庇が重くなったらしくて雨戸が動かなくなったり。
父の亡くなった十一年は二月に入ると大雪つづきでした。いかめしい建物の庇合わい[自注3]にうずたかく凍って、いつまでも白く見えていた残雪の風景を思い出します。楓という樹は若葉が美しいばかりでなく、秋が見事なばかりでなく、雪を枝々につけたとき大層優美なのね、末梢が細かいから、そこに繊細に雪がついて。きのう沁々とながめました。雪景色の面白さは、こまかい処にまで雪が吹きつもって、一つの竹垣にもなかなかの明暗をつくる、そこが目に新しく面白いのね。雪は本当に面白いわ。そして、薪を雪の下から出して、サラサラとはいたらちっとも濡れていなくてすぐ燃えました、雪の下の地面は、降ったばかりのときは全く干いているのね。ほんとにこれなら雪を掘って人が寒さよけにするわけと感服いたしました。これまでも見ていたのでしょうのにね。もしこんな雪の下に芽ぐむ蕗の薹《とう》でもあったらどんなに春雪はやさしさに満ちるでしょう。昔は、わたしがたどたどと小説のけいこをしていた部屋の小庭の松の下に蕗があって、丸っこくて美味しい芽を出しました。わたしには、家のぐるりに、ちょいちょいと茗荷だの蕗だのというものがとれたらうれしいという趣味がるのよ。そして楓の多い庭がすきなのよ。季節の抑揚ある樹木が庭らしいわね。紅梅の濃いのがほしゅうございます、よせ植えはいかがな様子でしょう、それでも梅は梅なりき、という風? 蕾がそだって居りましょうか。一本の濃い紅梅の下に、蕗の薹《とう》がめぐんでいて、雪の上に陽炎《かげろう》が立ち、しめた障子のなかにわたしの一番仕合せな団欒があるとしたら、そんな図柄は金地の扇面にこそ描かれると思います。雪はそんなに日本らしいのね。五月の新緑のときの、灰色空の嵐、驟雨、ぬれた街路樹の青々した行列、稲妻、そんな風情はこってりとした濃い感覚からどうしても油絵でしかあらわせません。日本の美術は春嵐という六月は描けたが、人を夢中にする五月の嵐は余り表現いたしませんね、そういう自然の横溢が美しくてこわいような裡を、わきにいる人からうける安全感に護られ乍ら、顔を雨粒にうたせつつとっとと歩いたらどんなに爽快なことでしょう。こんなに書いて来たら、到頭とっておきの白状をしたくなりました。云ってもよくて? それはね、わたしは自然のいろいろの様子がごく好きです。霜のある夜や月明の夜、野原を歩いて見たいと何度思うでしょう、市街の夜更けや明け方も面白いわ。そういう心からの歩きをしたいとき、わたしは傍に自分の影しかないことを痛切に思います。わたしは、臆病というより自分の身に責任を感じるから、所謂物好きは決してしないたちでしょう? 危険においても人的組合わせにしても。そういう歩きに、つれだって歩いてほしい人がほかにどこをさがして在るでしょう?
ブランカの慾ばりは、大より小に至る千変万化ですから、御苦労さまね。しかし、それらのまことに些細な慾をもみたしてやったらさぞ愉快だとお思いになることでしょうね。
きょうは、何となしなめらかな感情の肌の上に、ほの明るく雪明りがさしているような工合です。どうも久しぶりであざらし[#「あざらし」に傍点]のようにお風呂に入って、そのさっぱりした皮膚に、雪の白さや雪明りの空気の快よさが作用し、おまけに夜中起きずに十二時間眠った休息が及ぼしているらしいと思います。
やっと一人になってのうのうして、おまけに雪でしょう? 人も来ず。ね、それに、一緒の細君がやっと居馴染んで来て、私の気風も分って、安心しはじめ、日常的な用心をゆるめて来たので、何となし平滑な日暮しになって参りました。これから、わたしが仕事する、ということに馴れて貰うと、万事好都合ですし、御主人が在宅なら夕飯後は自分たちのところへ引こもるから、わたしは一人で呑気。でもね、ごくなみの意味で、いい方という一括的結論に到達させるまでには、こまごました朝夕の心くばりが多いものね。そして喋るということさえ何と一つのおつとめでしょう。安心して云わないでいいことを云わないで暮せるようになる迄には。特に女のひと対手の場合。少し黙っていて暮したいようよ。
さて、きょうはあれから南江堂や南山堂めぐりをして、いくらかの収穫がありました。金原商店で、横手社会衛生叢書というのを出して居るのですね、それが幾冊か出ていて、芥川信著行刑衛生。佐藤秀三『社会と医療機関』竹内『公衆衛生』などあり、『海軍衛生』というのも買ってみました。特殊な生活における保健状態が興味あると思って。何かの御参考になるでしょうかしら。江古田療養所から出ている『結核』これは病理的? らしい雑誌です。南山堂で『治療』というのを出していて、これは体質の治療的関係を扱った記事がどうかと思います。一寸見たところわたしには要領の説明が出来かねますが。『医学中央雑誌』というのを見つけました、各科の文献集録ですが、この号は「内科」で呼吸器を扱って居りますから。『日本臨床結核』というのも、どのようなものかしら。『結核研究』は出て居りません。
きょうは、(二十五日)警報で一日がはじまり。又雪になって来ました。積もりそうね。こんな天気にB29[#「29」は縦中横]で壕入りは閉口と思って居ります。大挙来襲しそうに見えたのは、詳報なしの由、よこへそれたというより、手前で稼いだというわけでしょうか。Bでヘキエキするもう一つの理由は、急に食堂の大ガラス戸が二枚動かなくなりました。Bときくと全家開放なのよ。小型機ときくと雨戸をしめなくてはならず。〔検閲削除〕マア二十分後に到着ですって。〔検閲削除〕
二十六日。きれいに積った雪が庭では一尺五寸もありそうです、ところで、昨日、手紙あすこまで書いたのが殆ど午後二時。三時すこし過には、このあたり大修羅場を現出して、一月二十八日の夜の数倍の轟音と、すぐうしろの藤堂子爵の火の子で大奮戦をして五時すぎやっと安全となりました。夜中のブザではもう体が動かず、三つ四つの轟音をふとんかぶって失敬しました。日暮里の方に向って、うちから半丁ばかりのところに大疎開道が出来たということには何かの理由があるでしょうね。一ヵ月に一度ずつ、こうしてつい十四五間先にバクダンがいくつか落ち、火と闘っていると、いやでも度胸が出来ますね。どういう線があるのかしらないけれども、うちはその線の下で、いつもほんの指のかげん(ボタンを押す)みたいなところでタマはまぬかれて居ります。しかし保たないでしょうね、ここの線はB29[#「29」は縦中横]線らしいわ、そっちの受持ちらしいのね。寿が、いい工合に前日(二十五日)来ていたので昨日は火の見張り、水くみ、けさは雪かき、情報ききと親身に活躍してくれて、大いに助かりました。いる女の人は火が近い、となると、自分のものをもってうろうろして、私が云ってやっとバケツもって出てゆく程度ですし、最後まで安全と思っていたところが案に相違して、ひるも夜も同一線に落してゆくというようなことで浮腰たって居りますし。今にきっと何とか云い出すわ。そのときわたしは是非いてくれ、とは云いたくないのよ。寿が来てもいいと云ってくれるから、そういう時は寿がここに暮してくれるよう、開成山に談判しましょう。国が用事で上京する、そのとき寿がいては困るというのは余りひとを馬鹿にした話だしするから。でもね、国に云わせれば姉さんがいるからそういうことになる、というかもしれないわ。
けさは七時すぎサイレンで起きましたが、ありがたいことに来ず。又午後かしら。午後はBだからいやね。動坂の家の先に富士神社があったでしょう、きのう以来、あのあたりもあったところということになりました。うちのすぐ前の交番の横通り。こんどはあすこよ。なかなかでしょう? 昨夜は、ローソク生活でした。今夜つくかしら。水道・ガスなしです。そちらは灯つきましたろうか。日暮里駅のところでえらい目を見た目白の先生が後へも先へも行けずこちらへ逃げて来たら、火の手が余りなのでわたしが果してどうかしらと思っていたら大きい声が聞えたので安心した由、タンカの上で全く意識を失っていたときの様子[自注4]が(夏の病気のとき)すぐ思い浮んだそうでした、勿論そちらはお変りなし、ね、そう思って書いていて、急に何だか自分の安心に愕きました。あなたの御気分とこういうことの安全とは別なのにね、何と永年わたしは大丈夫と思って暮して来たことかと思います。自分も何だか大丈夫と思っているのよ。可笑しいわね。では明日。
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[自注3]いかめしい建物の庇合わい――市ヶ谷刑務所の建物――父の死んだ時、百合子はこの建物の中にいた。
[自注4]タンカの上で全く意識を失っていたときの様子――一九四二年七月、巣鴨拘置所で百合子が熱射病でたおれたときのこと。
[#ここで字下げ終わり]
三月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(和田三造筆「戸穏神楽舞」の絵はがき)〕
三月七日 余り手紙のつきがおそいからこんなハガキさしあげて見ます。きのうの帰途きょう、どちらもすぐ解除で安心いたしました。雪と雨とで壕がしめって大事にしまっておいた封緘の糊がくっついてしまったので、今コタツに入れて干して居ります。これから雨が多いとしめって困ることね。パール・バックの支那の空という小説があります、お読みになる気があるかしら。近作です。「大地」などとタッチが違い、書いている場所の相異を思わせます。
三月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
三月十一日 ウラに書くの、やめましょうね。裏と表とがぬけてしまうとつまらないから、ね。
二月二十三日のお手紙頂きました。ありがとう。今年のおそい大雪は、路をゴタくりにい
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