注9]、感銘深くよみました。この頃の生活ではいく分その大切さが切実となって居りますし、わたしは肝臓の病気してから、ショーユより塩がすきな時があって、塩愛好です。しかし、そちらの「発見」は。塩の美味さは料理法の上から言うと、極限を意味します。最も優秀な原料を最も優秀に味わせるに料理人は苦心して塩でその持味を活かします、そして又、人間が最低の味の単位として使うものは塩です。一つまみの塩、ね。大したコンプレックスであると思います。
 調理の知識、料理法を活用せずんば、とは同感です、本当に。人間は、知能の複雑さにふさわしい食物をとるべきものです、一時間ものを書くということは、一時間歩くと同じ労作であるということがはっきりわかった食べもので生活するのが道理です。でも考えると一人の人間のもち前というものは大したものね。わたしに二時間つづけて歩けといわれたらどんなに困るでしょう。しかし二時間書きつづけることは、平常事です、もう、今日だって二時間は経ちました。快き二時間として感じます、疲れるとしても、ね。今日は友達が荷物あずかってくれるというので、午後中島田の荷と一緒に整理して夕飯まで、ひどく働きました、風邪気味の中を。だから大疲れのわけね。しかし書いていて、いいこころもちよ、やっと、やっと自分に返ったように。
 きょうも一時ごろ思いました、のどかだったでしょう? いかにも春らしくて、ね。畑の種が芽生えました。そんなこと思ってゆったりしていたら警報で、あののどかさから遑しさへの急転直下、何かきょうは面白く、新しく感じました。何たるどうでん返しでしょうね。ああいう明るい、のどかな、春の陽の下で生活はいきなりでんぐり返り、家がなくなったり死んだり、一大事が通過するのです。あきれたものね。でも人間はやはり生きて行くわ。正気を失いもしないで生きて行くわ。わたしは今のような時に、いち早く奥山に逃げこんでしまえないことを寧ろよろこんで居ります。これで、もっともっと丈夫だったらどんなに愉快でしょうね。
 あなたのお手紙を二つ並べてくりかえし読み、こんなことを感じて居ります。こうしてお手紙よむと、そこにはいつも変らぬあなたのテンポがあり、それは弾力にとみつつアンダンテで快調です。十日以後、あなたの話しぶりがいくらかお忙しそうね、プレストです。そんなにぺこなのだろうと思います、時間のないということはこの頃いつもだけれども。とかくプレスト時代ですからこうしてアンダンテのリズムをきき、ところどころカンタビーレの交っている諧調は耳ばかりか心を休め、養います。では明日ね。

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[自注9]塩の物語――塩分が身体に不足していて塩の美味さを痛感した話。
[#ここで字下げ終わり]

 四月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 四月六日
 けさ、畦をこしらえた畑の土の上に雨がおとなしく降りはじめました。すこし足の先がつめたい位ね。庭の白い木蓮とコブシの薄紫色の花がいかにもきれいです、楓や山吹の芽立ちとともに。
 きのうは、暑くなかったので、昼飯後、日本橋と新宿へ参りました。この頃久しぶりで地下鉄にのりました、去年の六月、青山へ墓参にゆくとき乗った頃には、まだ地下フォームも明るかったのに、今は暗く、車内もくらく、乗車券にペンチを入れず、映画館の入口でモギリの女がやっていた通り、あいまいな顔つきの女が、手先だけ動かして切符をもぎります。
 三越のところまで乗り、何年ぶりかで内部をぬけ、ここでもびっくりしました。当然のことながら。ああいう場所に漲っていた消費的な光彩というものが根底から消滅して、それに代るものはなく、がらん堂な赤いカーペットの中二階にグランドピアノがありました。なかなか一種の感じよ。
 日本橋まで歩いて行ったら、白木屋も使えるのは一、二階だけらしく上部はくすぶった焼籠のようです。あの辺すっかり平ったくなっていて、「講演会」のあった国分ビルの横通りで、立のき先出ているのは、栄太楼のほか唯一つ。それは何とかいう人が富山県へ疎開したということです。タバコやもその横の露路も、焼けぼっくいの下に消え果てて、裏の大通りまでつつぬけになって居りました、この辺は小さい小さい店舗がぎっしり詰っていて、一間の間口で都会の生活を営んでいたのですからこうなると、もう一望の焼跡で、生活の跡はどんな個性ものこしません。日の出[自注10]あたりだと、猫の額ほどの跡にでも立退先と書いてあったりしますが、この辺の小さいところのはかなさは凄じいものね。火の粉と一緒に、生活の根がふっとんで、もう跡もなしという形です。タバコやがマッチの箱ほどの店をはっていて、その露路の、わたしの身幅ぐらいのところの左手にガラス戸があって、「東京講演会」と書いてあったのにね。講演の速記と、その原稿を再生させて、駅売りパンフレットをこしらえて、幾人かの男が生計を営んでいたのでした。森長さんに、もし分ったらば教えていただくようたのみました。駅売りパンフレットも紙なしでもう駄目でしょう。しかし速記者はやはり其で生活してゆくのでしょうから。
 銀座がやけてはじめて通りました。実に変りました。御木本もなくなったし、われらのエンプレスが支那料理やになっていたのもないし、めがねやの金田も、焼けて居ります、尾張町から日比谷へ(新宿行で)向うところ、強制疎開の家屋破壊で大変だし、麹町の通りも、新宿も。こわされている家屋を見ると、本当にこわすべきと思います。もろくて、燃《た》きつけ以外ではないのですもの。そして、団子坂下あたりの店のこわされているのと、日比谷あたり麹町あたり、同じ細くやにっこい内部の組立てを露出しているのには、つよく感じを動かされます。近代都市ということは不可能な建造物です、この前の震災の後、都市計画というものを立て直し、何本かのひろい道は出来ましたが、しかし家屋については、実に惰力的態度だったのねえ。近代生活の感覚が市民の日常に入っていないし、経済力も近代都市化し得なかったわけでしょう。
 新宿のこちら側(池袋より)は被害なく用を足しました。そして、又ぐるりと電車で帰って参りましたが、初めて瞥見したところが多く、蒙っている損傷の観念もいくらか具体的になりました、そして、この傷だらけの東京に愛着を覚えます。赤坂あたりに桜が咲きはじめていてね、疎開の砂塵の間に、薄紅の花を見せて居ります。さくらは、ぐるりの景物と似合わなくて、哀れです。花を見てふと忘れていた春を感じるというだけの影響もことしの桜はもっていないようです。まあ、桜が咲いている! 言外に、さくらの間抜けさを語っているようでさえあります。ふとん包みを背負った女が電車にのって右往左往して居ります。
 島田行の切符は、二十日すぎからたのんで幾度も骨を折ってもらいましたが、駄目でした。今の切符は実に大したもので、誰も「買う」とは申しません。「手に入る」「手に入らない」と申します。「手に入れる」ことは容易でなく軍関係、強制疎開、罹災者で一杯のようです。わたしとしてはもう一つ最後の方法がありますから其を試みましょう。其が駄目だったら本当にもう駄目よ、わたしが罹災するか疎開するかしない限り。疎開は先へゆく丈で帰りは買えません。
 持ってゆく荷物をこしらえて、土蔵にしまってあります。きのうは三越へ降りたついでに、輝《あきら》と勝《まさる》のためおもちゃを買いました、其は色も何もついていない、ちょいとした積木ですが、二つで十一円何十銭かでした。ほんの小さいものなの。わたしのわきで、子供をおんぶしたおかみさんが、三十何円かおもちゃを買いました。どんなのかと思ったら、三つほど小さい箱が重って渡されました、ズック製の犬と何かのゲームよ。しかし考えてみると、木とか布とか、今は貴重な品なのだから高価なのは尤もね。でも、苦笑いたしました、島田の田舎の、ものがまだゆとりあるところで、こんな木片のおもちゃが五円も六円もすると誰が思ってみるだろうか、と。
 もし切符が買えて、行けたらば、ゆっくりしていろいろ御役に立って来ましょう、どうかその点は御安心下さい。何しろ行ったらばなかなか帰れないだろうと(又切符や制限で)それを心配している位ですから。島田も状況によっては、もっと山の方へ子供やお母さんはお住みになる方がいいかもしれませんね、線路に近いし、すぐうしろは光への大道路だから。あっちも決して油断はなりません。特に今後は。光井から島田へ来るようになるかもしれないわね。〔中略〕
 わたしが、こんな気持でこの年月暮して来ているのに、安心してあなたに叱られようとしない、ということは妙なことね。云いかえると、何もあなたが、自分の仰云る原型のままをさせようと思いなさるのでもないということを、ふっと忘れて惶てたりするのは、妙なことです。人間の卑屈さというのは妙な形で妙な部分にあるものなのね、安心して叱られないのも卑屈さの一種のようです。自分の意見に自信のないのも卑屈であるが、何というかわたしの場合は、対あなたでなく、第三者に対したとき、自分の意見には常に十分自信をもって居ります、対手につよく其を主張もいたします。ここにも一つの矛盾があるのでしょう。状況から来ている点もあるのね。わたしたちは一つ家に久しく一緒に暮していろいろなことについて自分の意見ももちよって処理する夫婦の暮しかたをちっともして行かれず、いつも、短い、ゆとりのない話の間に事を運んでゆくのだし、あなたのお暮しから云って、わたしとしては、せめて自分へおっしゃることは抵抗なく流通させようという先入的なゆずりがあって、そういうものが、場合によって、却って、わたしの、ほかの誰にも示すことのない混乱や卑屈さとなるのでしょう。心理のこんぐらかりというのは、変な思わぬ結果を生じるものであると思います、わたしは心理的[#「心理的」に傍点]に生活することはさけている人間だのに、ね。そんな心理にひっかかる丈、つまりわたしは十分自身として強固でないといえます。書いて、分析して見ればこういうことと自分にも分りますが、はっとして赤面するときの気持は愧しいばかりです。妻がそんなに赤面するのを見るのは夫としてさぞ面映いことでしょう御免なさい。

[#ここから2字下げ]
[自注10]日の出――巣鴨拘置所附近の日の出町。
[#ここで字下げ終わり]

 四月十八日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 四月九日
 きょうの雨は、しずかで春らしくていい心持です。わたしのすきな雨のふりぶりです。珍しい珍しいことがあるのよ、久しぶりに本当に落付いた気になれて、自分の部屋をこしらえました、寿にてつだって貰って。
 病気してから目がわるくて、光線の工合が実にむずかしくなりました。これまで、二階の奥のひろい室に机を置いて居りましたが、廊下がふかいので光が不足している上、だだ広くて、ちっとも落付かず食堂でばかり暮しました。コタツがある故もあって。冬の中は、ね。
 ところが、この節のうちの暮しは、雑多な人々が出入りして、食堂で食事いたします。小机一つひかえていても、室の空気というか、床《ゆか》というか、人々の気配で揉まれていて、そこにいることは疲れます。
 暖くなって来たし、光線の工合もいいので、同じ二階ながら、北向きの長四帖に机と椅子と紫檀の飾棚だけをもちこんで、きょうは部屋つくりいたしました。
 この、よく働いた大テーブルに向って物を書くのは、もう三四年ぶりです、十六年の十二月九日以来よ。病気あがりの時は体の力がとぼしくて、こんな大きい机にとりつく元気がなかったし、去年の四月以来は、家政婦暮しで寸暇なく、やっとこの頃すこし自分のひまが出来はじめ、体も丈夫さが増して来て、この机がうれしくなつかしくなって来たわけです。
 この頃は、実に早寝です、十時までには床につきます。そのためか、よほど疲れが直り、又いくらか平穏なので、大助り。この北の小部屋は、短い手すりのついた(あなたが、夏、長椅子代りになさったような)はり出しがついていていき
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