海道、いくら考えても目に浮ぶのは札幌のアカシヤの並木や美しい植物園の緑の風景、父の建てた道庁や大学の姿です。そちらの方はブランクなのよ。本当に変な遠い遠い気もちがいたしました。それから地図を出してよくよく眺め、人にきき、紹介貰いに歩いているうちに、そちらの町もリアリティーをもって来たし自分のゆくこともたしかに納得されて来て、もう大丈夫よ。一人でゆくのが大変ですが、さりとて適当なおともも見つかりませんでしょう。ごく簡単な荷物で、能率的に組合わせて身軽に参りましょう。そう云っても寒いところに行くのだからかさばるわねえ。何年ぶりかで零下何度の冬を迎えるのはたのしみです、そちらのマローズはどんなでしょう、あんなに太陽が照ってキラキラかしら。
 自分のいるところに自分のこころもあるというのはいいこころもちよ。わたしはもう十何年か、東京を体がはなれているときはいつも心ばかりそちらにのこっていて、しんから楽しい旅行などしたことがなかったわ。これからは、そういうことがなくなりましょうし、そこの辺を旅行したにしろ、丁度子供が外を歩いて来てああちゃん牛がいたのよと報告するという工合に、ここはこんななのよ、マアこっちはこうよという風に話せるでしょう、そしてそういう話もふむそうかとおわかりになりましょうしね。いいわ。そちらは、暗く重い東北よりもわたしの性に合います、わたしのジャガイモ好きから丈でも。わたしを育てたのはゲルンジーの乳牛ですが、ゲルンジーは今も居りましょうし。あなたが全く新鮮にそこの環境を吸収していらっしゃる様子を想像いたします。そしてさぞ感想は多くその共感を求め表現を欲していらっしゃることでしょうと思います。万葉の歌人たちは「古今」の歌人と比較にならないほど旅を大きくして居ります。しかし陸奥どまりでしょう、津軽の海は未知の境でしたと思えます。ましてやその辺は。日本のうたはそのあたりにも拡げられました。そこに美しい詩もうたも在るようになりました。面白いわね。関先生の折紙によって、一かどの歌人でもある由のわたしは、今にそこで、いくつかの秀歌をつくるかもしれないわ。そして一生に一冊だけは歌集も作ろうという空想も実現するかもしれません。ちっとも淋しくない寂しさ。ゆたかなる寂寥というものは生産的よ少くとも文学にとっては。そちらでの生活をたのしく想像いたします。人口がまばらだということもいいわ。
 こうしてわたしはもうそちらの生活に半ば入って話して居りますが、あなたのお疲れは、さて、いかがでしょう、どんなにかこたえていらっしゃるとは思いますが、同時に、どんなにか、ほっとなすったところがあろうかとも思います。巣鴨は焼けてからは実にでしたものねえ。こんどは、わたしもここへ来て、夜の眠りの深いのにおどろきます。房総南端より、という情報が、どんなに距離をもっているかとおどろきます。十四五日までのうちにもう一度帰京して、二十日ごろそちらに立つ予定です。本月中にはお目にかかりましょうね。呉々もお大事に。

 七月九日 〔網走刑務所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(封書)〕

 七月九日
 おひるごろ炉辺に坐っていたら「郵便が来ました」「はい、どうも御苦労さま」というのが、うしろできこえました、わたしは、「遊歩場の楡樹」をよみかけて居りました。すると、咲が、はい、はい、はいとヒラヒラさせてもって来てくれたのが、七月三日づけのお手紙でした。本当にありがとうね。
 新しいようなさきの堅そうなペンで書かれた字を、うちかえしうちかえし拝見いたしました。そちらが番外地というのは愉快ね、その上は何と読むのでしょう、三眺 ミナガメというの? それともサンチョウ? 三眺めらしいわね、一度で足りず三度も眺め、しかも飽きないというわけでしょうか。いよいよ愉快ですね、三眺めの番外なんて、健之助に云わせると全くシュテキ(素敵)だネエだと大笑いです。健之助はイイネエ! という、いかにもよさそうな感歎の表現とこのシュテキだネエを知って居ります。
 夜八時頃の上野、ひどかったでしょう? あの広いところに一杯の人々とその気分。成程とお思いになったでしょうと思います。こちらへ来る日(五日)は十時の仙台行臨時でしたが、八時から列に立ったのよ。まる二昼夜おかかりになったのね、しかし順調の方でしょう。ずーっとぶっ通しでしたろうからお弁当や何かのことも不便だし、さぞ、お疲れでしょう、おなかは揉まれたせいね。どうぞお大事に。東北の美しさには、独特な原始生命が感じられるの、御同感でしょう? 西のように人馴れしていないわ、まだ歴史に織り込まれず、自然は自然のままその営みを営んでいるようで、一種情趣がございましょう?
 木造の室にお暮しなるというのは気が楽のようです。空からのことは閉口だけれども、そこの流氷とコンクリートと結びつけて考えると、凍えるようですから。やっぱり虫が少いのね、痒いことが少い夏はどんなに快いでしょう。東京から来ると、ここでさえ、こんなに蠅が少いところではなかった筈だのに、と思い、まア何と蚊がいないのだろうと、清潔さにびっくりいたします。猶更でしょうそちらは。
 この頃すこし冷えるのね、きょうも紺がすりの下に肌襦袢を着て居ります。
 隆治さんとお母さんへのたよりは、これのあとすぐ書き御近況もおしらせいたしますから御安心下さい。
 速達はおくれたところへこちらへ廻送の分となったのでしょう。このお手紙は三日にかかれ、六日目について居ります。市内では半月以上かかりましたものね。この間多賀ちゃんから手紙が来てわたしが去年から多賀ちゃんに手紙書かない、と云って歎いて来て居りました、そうだったのかしら、と信じ難く、生活の遑しさを省みました。本当にひどかったのねえ。多賀ちゃんにもゆっくり書き、お母様もこれから御心配いただかないように書きましょう。殆ど毎日書いていたそちらへの手紙が、本年になっては、この間うちあんなにまばらになってしまったのですものね。それで十分がたがたぶりがわかるというものです。ああいう風なガタガタ暮しは、もうおしまいよ、うれしいと思います。今のうち潮が高くなって来ないうち、大急ぎで、手につらまって飛石づたいにそちらへ移ってしまえば、もうそれで落付きです。この頃のことだから、どこへ行ったにしろ其々今らしいことはつきものでしょうが、其にしてもね。内地[#「内地」に傍点]はもう2/3ばかりわたしの背後の景色となって居ります。こういう場合になったとき、経済上の理由でわたしが動けなかったりしたら、余り情けないと思って、一豊の妻を心がけていて、ようございました。つつましく暮せば一年や一年半何とかやれましょうし、そのうちには又いくらかの収入の途もつきましょう。筑摩の方からは、予約の1/3しかうけとって居ず、この間会って、あとをダラダラ借りせず、今にいくらでも入用のとき、そのときは又、片はじから返せるわけでもあるから、そのとき予約の倍も三倍も出して貰うから、と話しておきました。
 六月一日に御注文の衣類。忘れたのでなく手おくれになってしまったのでした、御免なさい。合いから夏ものみんな田舎でとりよせるのが、間に合わなかった次第です。シャツは壕の中で時機を失った到着を歎いて居ります、小包がきかないからうけとる方法もややこしくておくれました。本は、行先へ送っておいて、とおっしゃったけれど、ここまで来ていて、本人がいらっしゃらないうちそれが理由で紛失しては残念と思い送りませんでした。明日小包こしらえて送ります。ここからならすぐ出ますから。こんなところにしては珍しいでしょう、うちの門を出て草道を半丁ほどゆくと、赤いポストが立って居ります。これもそこまで入れにゆけばいいのよ。バルザックの「農民」は世田ヶ谷からかりて自分が読もうとしてもうここに来て居りますが「木菟党」はわたしのは千葉で寿に云ってやってお送りさせます。
 あっちからも小包はききますから。三冊ずつ本がおよめになるというのは本当にうれしゅうございます。わたしもそちら暮しとなり、本を一ヵ月に三冊ずつ補給するのは、どういう風に行くんでしょう。便利と不便と交※[#二の字点、1−2−22]ね。本がないのが何よりの不便。かりる人もろくにありませんから。今のうち(十二三日に帰ったとき)何とか打ち合わせしておきましょう。本そのものは、やけない北海道にたくさんあるわけだけれど、人間を通して出現するわけだからそこがどう行くかしら。今度帰ったらそのことすこし本気で考えましょう。疎開のつもりで、かしてくれればいいのだわ、ねえ。ヴィタミン剤のこと承知いたしました。ほかの「かんづめ」などはいかがな都合でしょう? 江井(覚えていらっしゃる? あの律気なもとの運転手)がお見舞と云って二つくれたのがあって大切に大切にリュックに入れてここまで背負って来て居ります。安着の御祝にさし上げたいこと。
 切手のことわかりました。本と一緒に送りましょう。封緘はどうでしょう、このお手紙は何だか切手のはりようのトンマさに覚えがあるようですが。十枚も送っておきましょうね。
 連絡船についての御注意特別ありがたく頂きました。自分でも一番気になって居りました。御承知の通り、わがこゝろ 雲のごと 天かけれども 身は あはれ金槌。ですものね。必ず昼間にいたしましょう。万一[#「万一」に傍点]ユリがゆくときではなく。きっと。この海をわたるときユリは大蛇《おろち》よ、こわいでしょう。太ったゆっくりした大蛇を思うと、凄味がなくて笑えるばかりね。あなたも、ちがったところで、そんなおろちを御覧になるのもわるくないでしょう? おろちのうれし涙ってあるでしょうか。「古事記」の語りてはそういう愛すべきおろちは存じませんでした。

 七月十日 〔網走刑務所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(レスリー筆「黙想」の絵はがき)〕

 きょうは壕入りがいそがしい日です。こちらは小さい子や動けない子がいるので鳴動的ですが、全体から見ると、こわさは林町とくらべものになりません。小包をその合間にこしらえます。中華国語、三省堂日本地図・農民それに封緘十、一銭二十枚、二銭十九枚(これしかなかったのよ)村の司祭[自注16]はかりたと思ったのにありません。それにこうして見ると何と僅かの本でしょう。ほんとに何と少しばかりの本でしょう。ここでも感じますが、大きい自然の中では人間が押し出されたものが見たくて、たとえばセザンヌのような(人物)絵がほしいとお思いになるでしょう? 面白いことだと思います。

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[自注16]村の司祭――バルザックの「村の司祭」。
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 七月十四日 〔網走刑務所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(湯島小学校六年 デジママサコ筆の絵はがき)〕

 そこは三つ眺めとよむのね。きっと美しい三つの眺めのあるところなのでしょうね、そちらも地区によって名の系統に変化があるらしいようです。
 体の痛いのと、ガタガタで、東京へゆくのもすこしおくれますが、大奮発をしてそちらまで辿りつきましょう。その上でのんびりすることにしてね。ここに風呂がないのよ。わたしは東京であれ丈疲れて来たから痛みがおこって来たのでしょう。近所の爺さまの家の渋湯に入って、大いに一がんばりいたします。

 七月二十七日 〔網走刑務所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(封書 速達)〕

 七月十四日
 このところ、払暁から、紙やペンを、お見覚えのあの袋につめこんで空をにらむ日がつづきます。こちらは子供がいるし、全体としてぼんやり安全感があるせいか(うちのものは、よ。東京に比べたら、というところがあって)緊張も準備もぼやんとして肉厚で、妙です。このゆっくり緊張でも只今のわたしは辟易よ。脚のうしろがつれたり腕がつれたりして大分、ブリューゲルの何とか聖泉の病婦人めいた形で歩いているのに、やっぱりもんぺはくし、号令をついかけるし。きょうも、今まで横になっていて(午後五時)北方の空もおだやかになりましたからこれをかき出しました。
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