す。視野の点で非常にちがいますから。
こちらへ来る二日前に、本類そちらからつきました。相当ありました。いろいろ。おっしゃっていらした日本地図、中華語の本、衛生の本みんな出て来て別にしておきました。東京からは第四種も駄目となり本を送るのは一層不便となりました。しかし何とかして田舎へ送っておきましょうね。
そちら、どうしていらっしゃる? 気候不順ですから調節範囲のせまい身のまわりで御不便でしょうと思います。一寸一枚下に重ねたかったり、一つかけたかったりいたしますものね。薬はまだありましょうか。この辺の薬やはね、薬を疎開させていて何一つないのよ。焼くよりは、と東京では売り出しましたから対照が面白いこと。三越なんか売っているのは薬のみというようですって。
わたしは江場土であんなに休んだのに、あれから一ヵ月の間にめっきりやせて、この頃は相当のものよ(やせが)病気でなくて、こんなになったのは、初めてではないかしら。あなたもいろいろでいくらか細くおなりになったと思いました。お互さまね。わたしは忠実な妻ですから、あなたが細くおなりになるにかかわらず自分は益※[#二の字点、1−2−22]丸くなるという工合には行かないのよ。天の配|剤《ザイ》[#「天の配剤」の左に「いかにもむずかしいハイザイね」の注記]はよろしきを得て居ります。輪はそろってまわります。
きょうは、初夏めいた風のややきつい空の美しい日です。庭の芝の先に楓の低い生垣があって、その下は低く、ゆるい起伏ある耕地、森、町の方の煙突、そして三春方面の山並が日光にとけて見えて居ります。(これは東)北側に大きい池があって桜並木越しに嶽《ダケ》の山々が見えて居ります。(アラ、もうお昼休みがすんだのよ。バタバタガーガーがはじまりよ)
今年は天候不順で田も畑も困難が多いようです。きのう、国がジャガイモの花つみをしていました。林町のジャガイモは芽をつんでしまってるのよ、花は咲かないわけでしょう? 淋しいわね、それでもああいうヒヨヒヨのに実をつけるためには芽をつんでしんをとめるのですって。わたしが来る前胡瓜に手をやらなければならなかったのですが時間がなく、うちの連中はおよそそういう人達でないから、胡瓜は困ったことだと思って居りましょう。島田のおいしいうずら豆ね赤っぽいところに斑の入った、あれを蒔いたらよくのびて、これはわたしが手をやって来たから安心です。ここの畑のさやえんどうは樹がのびすぎて豆少々という姿よ。うっそうとして茂っては居りますが。キャベツが西洋の子供の絵本にあるように見事に大きく葉をひろげしんが巻きかかって居ります。林町のはどうしたかしら。虫くいになりかかっていましたが。こんな話題も入って来るとおりこういうところで暮していると、咲なんか話しかた話題実に変りますね。話しかたが変に誇張的です。どういうわけかしら。人の好意に対して誇張も加る感謝したりしているうちにああなるのかしら。そして小さい小さい話題をくどく話します。それは事が少いからね。こんな世界の大波濤の時代でも、その煽りをだけくって、狭い無智な生活にかか[#「かか」に「ママ」の注記]んでいると、そういう工合になるのね。田舎生活のもっているこわさというものを感じます。人間生活として、果してどっちがまし[#「どっちがまし」に「(東京のこわさと)」の注記]かしらなどと思います。しかし考えれば、どちらが、と対比さすべきではなくて、犬死にをせず退嬰しない、ということがなすべき生活ですね、わたしがこう感じるのもここ[#「ここ」に傍点]のこの人達[#「この人達」に傍点]のせいね。
きょうはあとで、島田へも手紙さし上げましょう。そして、「北町のばっぱ」のところへ行きましょう。これは一郎爺という祖父の代からの知合いの娘でもう七十何歳かです。わたしの子供時代を通り太郎や健坊を孫扱いにして家の世話もよくやいてくれるばさまです。
健坊がおきたら参りましょう、今二時、昼ねよ、健坊はね、さっきわたしに抱かれて体をじかに撫でられているうちにトロンコになって眠ってしまったのよ、笑い乍ら。撫でるということは何と動物らしいそして人間らしいやさしさでしょう、わたしの掌は愛するものを撫でそれを休ませ眠らせたいとどんなに希っていることでしょう。この頃は荒っぽい仕事をどっさりしなくてはならないから、この掌もいくらかは硬くなりましたけれども、愛するものを撫でるに硬すぎる掌というものはこの世にないと思うわ。ふと思いました、感覚から人間を聰明にすることは出来ないものかしら、と。聰明な人間でなくてはいい健全な感覚の鋭さもない、しかしその逆は利かないものかしら。こんなことを思ったことがあります。ここに深く結び合った二人があって一方が何かの障害で知覚を失ったとき、二人だけの最もインティームな感覚の表現が、そのものにとって正気に戻れる刺戟となり得るのではないだろうか、と。どんな精神科の医者も試みない実験でしょうと思います。しかし烈しい愛情はそれを試みさせるのではないでしょうか。ところがね、この崇高な熱狂もすこしあやしいのよ、高村光太郎氏の智恵子夫人が精神病になったときは良人が分らなかったのよ、そしておじぎばかりしたのよ。同時に又光太郎さんは、私のようなインスピレーションは抱かなかったらしいの、おじぎで心の髄をしぼられて泣き泣きそこをぞ去りにけるという風だったらしいのよ。人間は常に思いがけない奇蹟を思いつき行うものね。健坊が、余り人間らしく可愛いので(愛撫のうけかたが)わたしの掌には電気がおこりました、そして愛の独創性ということに思いが到ります。このテーマは素敵ねえ。全く万葉の詩人たちでさえも自在性に瞠目するにちがいありません。そういう自在性流露性と、知性の最高度なものとがとけ合っている味いというものは、神様をして恐縮せしめるものだと思います。「神々の笑い」というようなオリンパス的表現をヨーロッパ文学はもって来たけれども一九四五年五月は、それにまさる人間の笑いがあり得ることを文学の上に実証いたしました。神々は嘗てエデンから追放した人間が、エデンなんかいつの間にか無視して、こんな橄欖《かんらん》の園を建設し終せたことに、どんなにおどろくでしょう、自分たちが、人間に創られたものであったという身の程を、どんなに犇《ひし》と感じたことでしょう。その哄笑には、飲まず食わずで雲の上にばかりいた神々の理解することの出来ない歓喜、苦悩の克服のよろこびがこめられて居ります。今世紀のユーモアは此の図絵よ。そして、この一巻のユーモアは、人類史におけるユーモアの質を変えました。ミケランジェロの描いた人間の宇宙的な姿、しかしそこを一貫する哀愁を、今理解すると思います。ミケランジェロは高度な人間性で人類の宇宙的質を直感したのだけれども、それは未だ少なからず渾沌の裡にぼやかされ眠らされつながれていて、どこがどうつながれていると解明出来ないままにあの哀愁をこめて巨大さであったのではないでしょうか。今、そろそろとあの巨人たちはヴァチカンの天井からぬけ出してきもちよさそうにのびをし、四肢を動かし、あの眼の玉をくるりとまわすのだと思います。宇宙的なものは真の誕生を与えられるのです。
シェクスピアは何ぞというと申しました「神々も照覧あれ」これはロミオも叫んだし、マクベスの悪妻もうなりました。現代のブランカは、神々がどこかでかさこそさせているのを感じるなら、こう云うと思います「あなたがたも見たいの、じゃあ、さアどうぞ。余りそばへよらないでね」だって神々なんてひどい未発育よ。何万年も無邪気のままいるというんですもの。人間のすることではきっとけがをしてよ、うっかり好奇心をおこしたりすると、ね。わたしは親切ものなんですもの。
こういう風なブランカのひとり笑いに交ってカッコーは盛に鳴いて居り、咲がおみやさんの遺品わけをして話している声がきこえます。あなたもこの冗談はお気に召すでしょう? 明日は本当に帰れましょう、おそろしいがらくたきゃらばんで帰るのよ。わたし、国、そのおみやの親類の物すごい婆さん、瀧川。(わたしの手伝いに)ではね、一日に行きそうであぶなかしくって。
六月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(封書)〕
六月十八日
きょうもまたこの棚のところへ坐りました。どうでしょう! 切符が(国のよ)夕刻までにしか手に入らず、しかも駅は何とか山のムカデのように七巻半のとぐろで、明日立つということになりました。
わたしは腹が立ってやり切れなくなって、引こんで、ブリュラールをよみはじめました。それからすこし気がしずまってからモンペの紐に芯を入れてしまいました。そして、おべん当にする筈の握り飯を生蕃袋からとり出してたべました、その握り飯は、柏の葉にくるんであります(なかは平凡だけれど)
それから健坊と遊び、又ブリュラールにかえり、さて又帰るべきところへと帰って来てしまった次第です。この頃の旅行って、まるで昔の旅ね、汽車にのる迄は分らないのね、そして、ここの人たちみたいに人まかせな人は、実にたよりないこと夥しいものです。今日の一日がどういう意味をもっているかということをちっとも実感として感じていません。〔中略〕
けさは珍しく八時すぎまでしずかでした、ブンブンが。だもんだからわたしはわざわざ廊下まで出て行って「何か情報が入っていないかしら、飛んでないから」と云ったら「アラ先生大丈夫、こういうこともありますのよ」と瀧川さんが申しました。
ブリュラールはどんな印象でしたろう。一種の書き方ね。自伝を書こうとすると、全く私自分というものにひっかかります。スタンダールが其を気にしているのが同感されます。自分の場合だったらどうかしら。おなじみの伸子をつれて来る方が話しよさそうね。時代の相異も自分というものの観かたの角度もあって、わたしは自分を、時代の一人の女、それによって語られるその時代の生活という風にしか或モティーヴをもち得ません。スタンダールのナポレオン観のポイントは、いつもよく分らないのですが、これをよんでもまだ(第五章)よく分らないわ、何と判断しているのか。この中でも特長をなしている彼の考察[#「考察」に傍点]は、静的ね。そして、精密であるが情感を貫いて考察[#「考察」に傍点]されず「感情生活を考察する」、という風な性質のもので、それが彼の小説をパルムの僧院のようなものにするのだろうと思いました。情熱的でしかもその情熱をいつも不安に皮肉に監視しているのね。ナポレオン後の聰明さはそういう特長だったかもしれませんね。わかるようにも思えるわ。
才智の萌芽の信じがたいこと、「何物も天才の予告とはならない多分執着力が一つの徴候であるだろう」というのは面白く思いました。最近こういうエピソードがあったのよ。わたしのところへ女の子で舞台監督になりたいひとが来ます。日本で、女で、この仕事をしたいというのは、丁度寿が、指揮者になりたいと思っているのと同じに実現のむずかしい願望です。山本安英に相談したりしてもやはりわたしが見当つけられる範囲しか見当がつかずとどのつまり戯曲をかきました。自分で一年ほど芝居をやって。はじめ書いたのは、対話でした。次のは少女歌劇じみていました。この間もって来たのは、チエホフ風の味で、しかも十分芝居になっていて、情感もゆたかでなるほど芝居のかける人はこういうものか、と素質のちがいにおどろき、よろこびを感じました、その娘さんは戯曲のかける人なのよ。そしてそれはやはりザラにはないことです。まだ二十三四なのよ。近代文学の中で婦人のドラマティストは殆どありません。岡田禎子なんか、会話や人の出し入れの細工が面白いという程度の作家だし。
いろんなそんな話していたらばね、そのアキ子[自注15]さんがいうのよ、「わたしが(その人)芝居やめたいと思っていたら何とかさんがふっと女の人は逃げ道があるもんだからじきやめたがったりする。いつか先生が(これはブランカよあなかしこ)芝居の人たちにお話をなすったとき、よ
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