光景。そこから離れてこうやって月明りの昔ながらの道を歩いている自分。全く異様で、納得しにくい感じでした。涙がこぼれかかるような思いでした。東京は可愛いわ。あんな東京で必死に生きている人々は、いじらしいいとしいと思います。東京のいじらしさには、特定の個人が中心となっているというばかりでなく、私の知っている、そして経験した様々の善意と努力とがそこにあるのですものね、ある特別な人にしても云わばその凝結のようなものだから、こういう痛烈な時期に、それがまだそこにのこっているときに自分だけ離れて来るということは本当に、出来にくいことです。あんな悲しいこころもちは初めてよ。あんな夜道は忘れ得ません。全く新しい一つの責任と義務として理解しなくては、月のうちにこちらに引上げて来るなどということは不可能そうです。そして、こうやって不意に来たここの家の生活は、わたしのそういうこころの中と不調和な日暮しです。新しい場所で新しく生活しはじめるために、暫くここで休む。そういうためにはいいのですけれども。
 今この手紙は家の東に面したからりとした客室の書院の低い棚板の上で書いて居ります。わきにミシンがのっています。客用卓が立てられています。座布団がつみ上げてあります。ふとんが出ています。それらの様子は、手の足りない旅舎の団体室の閑散な一時めいて居ります。どこにも中心のない大きい室。寝て、食べて、そして又寝に来る室。そういう風です。だが、床の間には祖父が書いて貰って昔からかかっていた安積事業詩史という字一杯の双幅がかかって居り、書院の柱には天君泰然百體從令、心爲形役乃獸乃禽という二本の聯がかかって居り、書院のランマには菊水の彫があります。いつかここへ来たときこの室のことを書いたと思います。が今は、又一つの感想がございます。この前、何と感じたか覚えて居りません。が、今のわたしの気持では、祖父の一生に貫徹した骨が一本在ったということに同感を覚えます。その骨は、時代の性格、祖父の性格などによって進歩性に立ったものでありながら主観性に煩わされ、狭いものとなり、事業の結果に対して、満足よりも人事的煩わしさをうけとったようになったらしいけれども。その菊水の彫りにしろ事業詩史にしろ聯の文句にしろ祖父はそれを自分の人生への態度から照り返したものによって自分で選び、自分でかけ、つまり自分でこしらえました。その室に今つまれているふとんざぶとん家財類。それは全然無性格よ。生活がそこに語られているとすれば、それは生存せんとする姿として在るので、生活意欲とは云いかねます。ふとんは誰でもねるし謂わば誰のでもよくて、この室に其がこうやって出し放されてあるという状況には、今日という時代、その間にこうして生存しつづける本能的な人たちが反映しているばかりです。わたしは、そこのタンスによりかかって「アンリ・ブリュラールの生涯」をすこし読み、本をおいて感じを新しくいたしました。わたしの気分には、この読み下せもしない詩史や聯にあらわされている生活意志というものに対する同感があり、その間にころがっている家財、ふとん類とが、その同感の邪魔として、又はギャップとしてうけとられると。わたしは、ここに納れない自分をむしろ祝福いたします。新しい環境は努力を求められますが、それは其なりに甲斐があって、ここのように家の在るところが村の特別場所だと同じような一種の特別的な隔離がありません。二ヵ月位すっかり休んで事情が許せば先へ移ります。もし早くなればもとより其が結構よ。ねえ。江場土に行って見て来た生活ぶりと何たる異いでしょう。ここで人間は成長出来ないわ。祖父が、謂ってみれば功成り名遂げて村からおくられた土地というようなものは、その位置が景勝であればある丈隠居ですね。でも凄じい時代の推移でこの東に向って地平線まで開いた廊下は、機銃に対してこわいところとなりました。角度がうんと大きいのですもの。あっちの方からだって、空から人が動くのが見えるのでしょうから。
「伸子」の中にかかれたこの庭は、今芝生の隅に壕がほられて、白いマーガレットが野生に咲いて居ります。きょう、わたしは杏の葉の美しい井戸端でもんぺと肌襦袢とを洗いました。あした着て帰るのに。又大汗をかくでしょう。戦闘準備よ。やっと国男が動き出します。切符の都合でどうなることか、わたしが一人先になるか、国と一緒に行けるか。一緒に行きたいと思います。帰るのは、こわく、しかしうれしいわ。心が休まるわ。でも、帰った時家がなかったらどこへ泊ろうねというような話です。親類たちも皆やけてしまったのよ。咲の兄、姉、従弟。本当に、どこに泊るのかしら。やけのこりの近所のどこかよ。今の東京を見たら国もすこしは活が入るでしょう。そして、自分の将来ということについてもいくらか真面目に考えるでしょう。
 昼飯のとき太郎が(もう五年よ。すっかりこっちの言葉になり、東京の子に見られないふっくりした少年となりました、)お父さまア(と、こっちのアクセントで)こっちさ来て商売は何なの? 商売はないよ、お前の学校の先生になろうか。先生になんだら田植しなくちゃあ。お父様だったら作業みんな良上にすんだべ、からいから。わたしがきいていておやじの点のからいというのが分らないのよ。何故さ、そんなに耕作が上手なの? そうじゃねえけんどさ、子供だから其以上説明出来ないのね。含蓄多き会話です。
 四つの健之助はまだ幼児で丸い頬をしてすこし泣きむしでおやじに大いに差別待遇をうけゲンコも貰います。妙ね、くちやかましいし閑居して不善をなすの口で、ひる太郎が神経バカ誰? と云っているのよ。こっちでは気狂いのことを神経って申します。そんなものいないよと私が云ったら、太郎が居んだと笑うの。誰なの? するとなお笑って健坊がそうきくと、健ちゃんと返事するのですって。それを親父が教えたのですって。咲が、そういう点じゃ問題になりゃしないのとひんしゅくします。止めさせる威厳がないのね。そしてそういう威厳があっては妻となっていられないのでしょう。わたしは健坊をつれて客室の方へ来て掃除をしながらおどります、手をふって。健坊も大よろこびでおどるのよ。気がからーりとするらしくて健坊はすっかりいい眼つきになります。おばちゃんよウと呼ぶのよ。ああちゃんよウ、兄ちゃんようと。泰子は全く泰然よ、仰臥したまま七歳となりました。そして健ちゃんは赤ちゃんだと思って、泣くとあやしに行きます、しかし連れられて自分も泣き出すの。話がわかるのよ。お名前は? というと、ナカジョウケンノスケと片言で申します。みんなナカジョウよ、こちらでは。
 この九日頃、おみやさんという七十何歳かの老女がここで死にました。この女のひとの一生もきのどくなものよ。でもね、従妹ベットにしろ生活力の明瞭な意力の通った女の生涯は同じ孤独にしろ親類のかかりうどにしろ物語りになるけれど、このおみやさんというように意志がないようで一生気の毒に過した女の生涯は小説にさえならないのね、植木の成長と枯死のようで。日本の女のみじめさの大部分は、少くともこれ迄はこういう工合だったのね。自然主義時代の小説がひととおり書いたらもうおしまいという位の内容のおくれかただったのね。これからの女の暮しはそうは行きません。ペンにしろ、良人はルソンです。この何年か散々要領[#「要領」に傍点]で立ちまわった揚句、要領果てと申せます。ペンはその惨憺の意味を感じるにしては小さい人間ですが、其でもこの頃は、もっともっと大きい淋しさのためにうんと準備しなけりゃならないと思うわと申しました、今の淋しさに比べてね、絶対の喪失に対してです。そうでしょうと思います。この人たちの場合は。だって、要領よく立ちまわったつもりで、余り目前で細かく立ちまわって一まわりしてあっちへぬけてしまったのですものね。もともこもなしだわ。要領なんて何ときびしい返報をするでしょう、人生は嘘を許さないと思います。
 明日帰って一週間か十日猛烈に忙しく、又手紙もさし上げられまいと思います。
 わたしは毎日少しずつ手紙かこうと思っていたのよ。日記として。そうしなくては一ヵ月が長すぎて。ところが昨今の暮しは一ヵ月の長い感じはそのままのくせに、一日がやたらに疾走して、朝から夜まで事、事、事、でつまってしかも其は、田舎から人が突然来た、荷物をたのむ。急に切符が来た、じゃあ荷物をとって来なくちゃ。そういうことで。こっちへ一応来たらばこれはすむでしょう。わたしは予約したのよ、もうこれ丈うちのために骨を折ったんだから二ヵ月はバカにならせて貰うからって。寿は信州追分の方へ行くかさもなければ青森の方へ行くかするそうです、わたしと一緒に暮したらいいのに。或はそうなるでしょう。七月十日頃までには、いずれにせよ必ず動く由。こちらへ来る前電報して会ってきめさせました。たった四十円しか全財産もっていなかったのに切符と一緒に新橋の駅のスタンドで本を買っていて財布を下へおいてとられちまったのよ。そういう気分でいるから行くところも手おくれになるのだと例のわたしの小言が出ました。
 本気になっていず、何となし斜にかまえているからなのよ。其だけが一応全部であるけれどもあとにはまだ、という気があるから其が隙になってとられます。小事の如きだけれど、寿の半生は、其でいつでも後手ばかり打って来たのですものね。怒濤時代にあんなささやかな者が自分だけポーズして其が何であり得ましょう。ことしはノミ、蚊、蠅ひどくてあわれブランカはボツボツよ。

 六月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(封書)〕

 六月十七日 開成山。
 ここでは、夜のしらしらあけから盛に飛行機がとびます。子供飛行機――つまり練習なの。しかし夢の中でその音が刺戟となり朝はいつも何か空襲の夢を見るから閉口です。けさは、あなたが何だか助けに来て下すって、門の樹蔭のようなところにかがまって、甚だそういう場合であることを残念に感じながら目をさましました。実にひどい音なのよ。今丁度昼飯時で、空のブンブンも御飯に下りていて、しずかに鳥の声がきこえて居ります。
 わたしは、梅干の種が一つ入っているお茶わんをわきにおいて又書院の棚のところに居ります。ブリュラールと。梅干は、ゆっくり横になっていて、御飯ぬかしたから(朝)お握りを一つもらってたべたからなのよ。梅干を入れて貰えるのは凄いでしょう?
 ブリュラールは、ほんとに話すように書かれているので、これをよむと心が流れ出します。こういう珍しい休みの中にいて、こういう本をよむとわたしの全心が音を立てるように一つの方向にほとばしりはじめます。そして、書き出さずにはいられないの。
 きょうほんとうは、もうここを立つ筈でした。ところが、東京へ国が来るための切符が又候出来ず、座席もない汽車にわたし一人乗って行くのもへこたれるので待ち合わせ、明日一緒にということになりました。咲は、焼けたところを見ていないから、荷物の整理なんて、自分がしたときのように出来そうに思って、欲ばりよ迚も。ああいう火と爆弾の間を縫って何かしているような気分は、もう絶対に分らなくなっているようです。疎開なんて、その点いやねえ。作家なんかがいち早く疎開したら、一生のうちにとりかえしつかないピンぼけの一区切りが出来ます。昨夜その話が出て自認しているからはたが迷惑だよ、と笑いましたが。
 ここにもよし切りが鳴いて居ります。カッコーカッコーカカカと閑古鳥もないて居ります。でも、ここでは不思議とうたが一つも浮んで来ません。ごたごた生活のせいもあるし、まだ用の途中でそれどころか、ここへ来ているのさえ用のうちだからでしょう。国も、全く、ね。わたしがわざわざ来なけりゃ動かないなんて実に、ねえ。
 こちらでは、朝日新聞が東京から来なくなって福島民報一本立てとなり地方独立単位にはじまりました。毎日、読売、朝日と併合となっていますが、地方新聞の型を脱せず、国際情報なんかありません。記事の扱いかたもバランスが妙です。こういう新聞しかよめないのは弱ったことだと思いま
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