なくなっていました。全くあのときはホホーと思ったものでした。
夕方になったら冷えて来て、わたしの鼻の中が妙に痛くなって来ました。薄ら寒いのよ。これは風邪の下地です。もう五時四十五分ですからわたしも夕飯こしらえて、たべて暖くして早く横になりましょう。咲は火曜日にはどうしても帰るのですって。そしたら又わたしの司厨長よ。ですから風邪は迷惑です。
これから台所へゆきます、何をたべましょうね、有っての思案ではなくて無くての思案よ。忽然として天に声あり、エレミヤのラッパのように鳴ります、「カロリー。カロリーを忘れるな」と。笑ってしまうわね。鞠躬如として答えます「ハイハイ、油気が入ればようございましょう、油は貴重品ですから」と。よって、油で御飯でも焙めてたべましょう小松菜の切ったのでもまぜて。こんなところが上々の部ね。
御報告いたします。御飯いためにタラを入れました。いいでしょうそれなら。タラは一切れで何カロリーとは云えないけれど、いいのよ。いいことは。
さて、今湯タンポのお湯をわかしています、これがわいたら上りましょうね、あなたももう下に格別用事がおありになりもしないでしょう。きょうはふとん干してポコポコです、風邪ふせぎに丁度ようございました。天気さえよければ干すので、色がさめて気の毒よ。動坂で使っていらした茶色縞ね、あれをまだ丈夫でつかって居ります。それと、西川かどこかでお買いになってあちこち旅行した草花模様の。あれ二つです。よく永年用に立って可愛いことね。色はさめても香はのこるというわけです。
お湯の音がしはじめました、ああうがいもして臥よう、ね、このようにわたしは養生やです、それは本当よ。まだ時間が早くてあなたはまだ本でもよみたいかしら。でもどうか今晩はつき合って下さいまし。ああふいたふいたお湯が。
どうものどが渇いてしまって。仕方がない、下りて何かのみましょう。鼻の奥の痛いのはなおり、一眠りいたしましたが、これはすこし本ものね。あしたきっと喉がいたいわ。今十一時半ばかりです。島田から頂いたエーデルがほんのぽっちりのこっているのでものみます。
さっきは湯たんぽを当てて、すぐぽーっとなってしまいました。
こんな風に暮してみて分りましたが、もし万一ここがやけのこって焼けた人々と共同の生活をするようなことになれば、この食堂と客用の手洗場とをこめた一角を使うと、なかなかコンパクトにやれると思います、ここにガスの口があります(もとストーブ用のが)それに手洗場の水道をつかって、外のすのこを流しにすれば。でもほんとうにどんな生活がはじまるのでしょう、歯は早くなおさなくては、其につけても。痛まずかけました、私の歯はよくそうなのよ。
ゴビの砂漠という写真帳をかしてくれた人があります、学術探検隊が行ったとき読売の写真班がついて行ってとったのです。ヘディンの蒙古に関する記録をよんでこれを見ると面白いのでしょうが、そんな気おありにならないでしょうか。うちにヘディンはかなりあります、『馬仲英の逃亡』『さまよえる湖』(ロブ湖のこと)『熱河』など。上二冊の部分ね、ゴビは。大気のよく澄んだところの写真はきれいです。ラマの祭りの仮面踊りはアイゼンシュタインの「アジアの嵐」という映画にあの時代らしい手法で、比喩的にフラッシュで使用されていました。蒙古人の食物も不味ではない由。青いものが少いらしいのね、しかし牛乳製のものが主食だからいいのでしょうが。レーニングラードに蒙古人で日本の父をもっていると称する女がいました。全くの蒙古人の証拠に、日本語の発音の自然な適応性がちっともなくて、顔つきもこの写真帳の女のようだったわ。ふしぎな女。医者でしたが。
十七日、きょうもいい天気です。美しい光線です。けさ新聞に、林町と道灌山の間が建物疎開地域になって居ります、そうでしょう、このあたりは入りくんで人が一人やっと通れるような道で抜けていたりしますから。それからあの動坂と林町の間のゴチャゴチャ区域。あすこも危険地帯です。本郷は菊坂辺もそうの由、わかりますね。林町の裏には大きい貯水池が出来て居りますが。
喉は、夜中に湿布してきょうは快方ながら油断無用と申すところ。明日ドラ声女房で現れないためにね。二人あそび終り。
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[自注8]アホートヌイ・リャード――百合子がソヴェト同盟滞在中に知った場所。
[自注9]西からかえったら――百合子が西ヨーロッパからソヴェト同盟へもどったこと。
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四月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
四月三十日
きょうは、又、のんびり二人遊びで暮そうと金曜日から楽しみにして、先ずその前祝いとして昨夜は九時に床につきました。全くぐっすり五時間ほど眠って一寸目がさめ、ぐっすり五時間眠ると一通りは眠ったことになるらしいのね。暫くパチクリして、ああ何と伸々していいのだろうと、床の中でうれしくのびたりちぢんだりして、雨戸すこし明け、朝の空気入れて又眠りました、すると、中條サン、中條サンと裏の画伯の妻君の声で、おきて手すりから見下すと、満開の山吹のしげみを背景に「ボークー演習」と小さい声で怒鳴ってくれました。「あら! 今日になったの」「そうですって」そこで遑てて紺モンペはいてへんな布かぶって、かけ出しました。七時半から九時半まで。きのうだったのよ。きのうは国が居りましたから「たまに出た方がいいわ」「うん」というわけだったのが、七時にサーッと降って来ました、それでおやめ。十時に晴々とした天気になりました。「いいとき降ったネエ」しんから嬉しそうです、というのは十一時五十五分でカバン二つ両手にもって水筒さげて開成山へ立ったからです。すんだと思っていたのよ、ですから。でもいいあんばいに大したことはなくて終了。しかし、きょうは防空壕の検査があるといので、モンペはぬがずいると、十時半ごろ警防団員、警察官三人で来ました。「ああ、これなら安全です」よかったけれど、バクダンは、これらの人々のように物わかりが果していいでしょうか。あやしいものね。こうやって、若々しい楓の枝かげに、芽《メ》を出したばかりの春の羊歯《シダ》の葉に飾られてある壕は風雅ですが。十分深くもあるようですが。
それが終り一仕事片づいたわけです。十一時に河合の春江という従妹が来ました。咲の姉よ。一番わたしと親しくして、今つかっているペン(赤い軸の。覚えていらっしゃるかしら? モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]、ベルリン、ロンドンと一緒に旅したペンです、そして、様々の夜昼を共にもして)をくれたひとです。おくさんらしく用で来たのですが、わたし一人ときくと(電話)「アラマア可哀想に、じゃおひる一緒にたべましょう」と食料もって来てくれたわけです、一緒にパンたべ、玉子もたべ(大したことでしょう)ゆっくりして、いろいろ家のこと、その他(鶯谷のすぐそばで沿線五十メートルの中に入り家がチョン切れることになったので)話し、今、息子からさいそくされてかえりました。
そこでわたしはお握りを一寸たべて、早速かけこんで来たわけよ、あなたのところへ。ああ、やっとよ、というわけで。
さっき、その従妹の来ている間に配給のことで二三度立って、その一度は外へ出て、二十七日づけのお手紙頂きました。ありがとう。
体のこと心配して下さるから、きょうは、二人遊びの中にすこしこんな話も交えましょう。
疲れることは、相当つかれます。しかし、御承知の通りの家の中のゴダクサつづきで去年の夏から心持よくしっとりした日というものがなく、巣鴨へゆく時間だけが一番心理的にも健康というひどさでした。やっとこの節一段落で、自分の体のための食事についても遠慮したりしないでよくなって、公平に見て、こんな単純な体のつかれと、今の暮しかたから得ている心持の伸びやかさ、合理さ、食事の合理性と、釣りかえにならぬプラスがあると思います、この頃の日常というものは、けわしくてね。先頃のように十分働く必要もないのに、いなくてはならないという雇人の人たちに、奥さんが落付かないまぎれにおだて上げて万事まかしていた状態は、云ってみれば生活でありませんでした。
ほかの友達たちも張合のある気で親切してくれます。自分が、きりもりしていますから、今日は疲れていると思えば、そのように注意して食べ、さもないときは次の用意にまわしておくと、万事一目瞭然で、ほんとうに心持よい暮しです。夜は十時ごろ必ず眠ります、そして眠りは深淵のようです、病気しなかった頃のとおりで、夢もみないという位になり、これもわたしはうれしゅうございます。そして又うれしいことは、誰でもこの家に出入りする人は家の新しい活気をひとりでに気づいて、「一人と思えないわね、何だか賑やかな気分よ」ということです。これは千万言よりうれしいわ。こんなガラン堂のような家が、私の暮す気分で艷をもって家じゅう荒涼とはしないで、却ってしっとり艷があるなんて、どうか旦那様も扇をひろげてよろこんで下さい。その艷は、廊下にゴミがあるということとは別なのよ。廊下にゴミがあったって、其は埃よ。心もちから積んだ沈滞ではないわ。うちは垢ぬけました、それは心のあぶらがゆきわたったからよ。この間国にそのこと話して「気がついている?」と云ったら「そう云えばそうだね、不思議だ」というの。「人が住んで荒らす生活だってあるよ。つまり、姉さんは相当なものなんだという証拠だけれど、わかるだろうかね」と云いました。「そうらしいね」と云って、「うまい、うまい」と里芋《サトイモ》をたべました。この人には里芋のうまさの方から、姉さんのねうちがつたわる口ね。ともかくそういう工合で、この暮しに使い立てられては居りません、夏になる迄、これでやろうと思います、暑くなると買出しや隣組の月番の外出がこたえますから、そしたら方法を考えましょう、夏の暑さには抵抗力がないから。暑気負けは、どうしてもそうですね。その夏までに、又万事がどう代りますか。それに応じてね。
食事のことなど、御安心のためならば献立かいて上げていい位に思うけれども、わたしとしてそれは辛い心持なのよ、よう致しません。一言にして申せば、あなたの上るものよりも確実にいい食事をして居りますから。特にこの頃は。ですから、わたしのその心持を汲みとって下すって、どうかまかせて御安心下さい。ほんとうに、この一ヵ月、私が台所をやるようになってから改善され、筋も通った衛生的食事をして居りますから。無いならないように、有れば有るということをはっきり身につけ暮して居りますから。隣近所とのつき合も、この節はむずかしいが、自然に、私流に、親しみが出はじめました、それでなくては、こんなときやれるものではありません。誰も彼もが時間を浪費し骨を折って暮しているから、あの人も同じだ、というところに心の和らぐものがあるわけです。
心が和らぐと云えば、わたしはこの頃そうなのよ。ゆっくり先のように手紙かいている時間もないみたいな暮しになりはしましたが。暮しぶりにはわるくないと思って居ります、金曜日28[#「28」は縦中横]日のことは、お目にかかって。これもすらりと行くらしい様子です。
世田ヶ谷の人から、ドイツ語の本もらいました、「緑のハインリッヒ」をかいたケルラーの「三人の律気な櫛職人」というのと、シェファーという人の「ドイツ逸話集」。アネクドーテンというのね、北の方ではアネクドートです。この人もひどいつとめらしい様ですし、「茂吉ノート」の先生も大した様子で、何だか二人とも(特に本の人は)短気になり、面白くなさそうでおこりやすいわ。細君が、すこし気を張っていて可哀そうです。子供二人は元気で、節造という三つの男の子はほんとに男の子よ、可愛くてそれには目尻を下げて居りますが。「どうもこの息子はユーモラスなところで親父まさりらしい」と云ったら、親父さんへへへとうれしそうでした。あなたにそのこと話したら、あなたはフフフフとお笑いになるだろうと云ったら、おやじさん、俄然もち前の笑い声でハ
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