よくよく自分の顔を、検査しなくてはいけません、画家が自画像をかくように、他人の顔として調べなくてはいけません。自分の弱さ、下らなさをそうやって見張り、又いじらしさをいつくしんでやらなけれバいけません。
 手紙いつ書いて下さったかしら。わたしも御無沙汰いたしましたが。この頃は毎朝カタカタと門まで郵便出しに出てゆくのよ、よくよくのぞいて、まだ来ていない、と思って、石じきを犬にじゃれられながら戻って参ります。あの石じきの両側には、今山吹の芽がとんがった緑でふいて居ます、いい紅色の楓の稚葉もひろがっていて、石の間には無人の家らしく樫の葉が落ちて居ります。
 夕方なんか、ふっと待っているところへ入っていらっしゃるのはあなたでありそうな気がしたり致します。目白のもとの方の家の二階の灯の下で待っていたのを思い出します、アンカは小さくても足の先は暖かでしたね。
 きょうは、日がさしはじめたけれどうすら寒いもので、可愛いアンカ思い出したのでしょうか。
 では明日ね、風邪をお引きにならなかったでしょうか。

 四月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 四月十六日
 きょうはいかにも若芽の育つ日の光りです。咲が帰って来て殆ど一週間わたしは公休でしたから、疲れもやっときのうあたりからぬけて、きょうはげにもよい心持です。久しい久しい間こんなに暢《のび》やかで、しずかで愉しい、気持ございませんでした。
 きょうはね、一日ゆっくり二人遊びで暮せるのよ。素晴らしいでしょう。あっち二人は国府津の家を人に貸すについてとり片づけに出かけました。月曜の夜かえるでしょう。うちにはわたし達、あなたとわたし丈なの。それにわたしの疲れは休まっているのですもの。七時頃いい心持で眼がさめて、お喋りや朝のあいさつをして、なかなかあなたの御機嫌も上々のようよ。
 すこし床の中にころころしていて、それから降りて来て珍しく紅茶とパンをたべました。パンがやっと配給になりましたから。但しお砂糖はこれ迄〇・六斤のところ又〇・一斤減るそうで、決して安心してサジにすくえません。でも、きょうは、こんなにうれしい日なのですもの、いいわと自分に云ってお茶をのみました。
 庭へ出て、今ボケが咲いている、それを剪って来て小さな壺にさしてテーブルの上において、その花の下蔭というような工合でこれを書きはじめて居ります。
 食堂にいるの。大きいテーブル、長さたっぷり一間ほどのテーブルですが、その長い方にかけていると、左右に十分翼があるので大変工合ようございます。いろいろの人がこの位の大長テーブルで仕事したのがわかります。ペシコフもこの位の机よ。この位の机をつかったのがトルストイやペシコフで、チェホフのヤルタの書斎にあった机はもっと小さかったのも、何かその人々の特徴があるようで面白うございます。白と藍の縞のテーブルかけがかけてあるので、ボケの花の薄紅やみどりの葉の細かさもよくうつります。
 十日のお手紙ありがとう。あのお手紙のかきぶりを大変心にくく思いました。ああいう風に慰めるものなのね。そしてそれは本当に与える慰安であって、愚痴のつれびきでないというところを感服し、一層なぐさめられました。十日のお手紙の調子全体は、ブランカのいろいろをすっかりわかっていて、その上で、一寸こっち見て御覧という風でした。なんなの、と見て、おやと思って、眺望の窓と一緒に心の窓もあいたようになって来る、そういうききめがありました。〔中略〕わたしは二十年以上もこんな気分の、不安定な家族の中で暮したことがなかったから、出直り新参です。新しくやり直しというところね。しかも私の条件が変って居りますからね。お客に来ているのではないから、ね。
 火曜日にはすこしのんびりした顔つきを御覧に入れられると思います。
 わたしの畑のホーレン草は、さっき花を剪りに行ったとき見たら、ほんの毛のような青いものが見えました。あれが芽でしょうか。心細いがでも生えるでしょう、一年めは駄目の由です。肥料をよく注意しましょう。ここでも、あっちこっちにつくると結構出来そうです。うちに子供たちがいなくなりましたから犬やこんな畑や気持の転換になります。籠の小鳥はどうしても苦手よ。囀る声はこんな天気の日の外気の中にきくのはわるくありませんけれど、それよりも時々山鳩や赤腹や野鳥が来ます百舌鳥も。その方が林町らしくて面白うございます。そうそうこのお盆に南瓜の種が五粒あります。これは隣組配給よきっと。この週は南瓜週間なのですって。週間の推移様々なりと思います。わたしは南瓜をすきと云えません、けれ共ことしはちゃんと植えます、前大戦のドイツはインフレーション飢饉で二十万死亡しました、それは御免ですから。このあたりの隣組は全くわが家専一で、家の中のカラクリは垣根一つこちらからタンゲイすることは不可能です。したがって飢じい思いをしたり、ひからびたりするのはお宅の能なしということなのよ。凄いでしょう? 飛び散ってしまえば其までながら、さもなければ、私はまだまだ小説を書かなくてはならないのだから、南瓜でも豆でも植える決心です。それでも、こんなものはかよわいものですね、ドシャンバタバタの下に入って、猶も青々しているなんて芸当は出来ません。そう思うと、土の中に埋めるものはノアの箱舟のようになります。ノアはあらゆる家畜一|番《つが》いずつを入れたが、日本のブランカは、焦土に蒔く種も一袋という風に。やけ土はアルカリが多くなってよく出来るかもしれないことよ、但し蒔く人間がのこればの話。
 天気がうららかとなって、一つなやみが出来ました。まだ眩しいのです。光線よけをかけなくてはなおりそうもないの、痛い位だから。傘もささないと苦しいし。駄目ですね、キラキラした初夏の大好きな美しさにあんな眼鏡かけるなんて、しゃくの極みです。あの眼鏡ごらんになったわね。嫌いでしょう? 眼のニュアンスは眼鏡かけている丈でさえ損われている上にね。〔略〕
 この間護国寺のよこの、いつも時局情報買っている店でヴェラスケスを見つけました。ヴェラスケスの自画像があってね、それはゴヤのあの畏怖を感じる慓悍な爺ぶりでもなければ、セザンヌのおそろしい意欲でもないしレンブラントの聖なる穢濁の老年でもなく、いかにもおとなしくじっと見てふっくり而もおどろくべき色調の画家らしい自画像です。
 ヴェラスケスの絵はたのしい絵ですが、ウムと思うのはゴヤです。ゴヤはヴェラスケスが描いたフィリップ四世のデカダンスの後をうけて全く崩壊したスペインに、愛着と憤怒とをもって作品をのこした画家で、あの時代として男の中の男というような男ね。淋漓というようなところがあります。声の響のつよさが分るような、面白くねえという顔した胸をはだけた爺よ。それであの優婉なマヤ(覚えていらっしゃるかしら、白い着衣で長く垂れた黒い髪した顔の小さい女が、ディヴァンにのびのびとして顔をこっちに向け、賢くておきゃんで皮肉で情の深い顔しているの)を描くのですものね。ヴェラスケスはセザンヌとちがうが純絵画的な画家ね。ゴヤはちがいます。ゴヤは表現の欲望そのものが、生《なま》に人生をわしづかみにして来てしまうたちの男ね。描く女も従ってちがうわ。ゴヤの女はどれも女の肉体に衣服を着て、その肉体はいいこと、わるいこと、ずるいこと、うそさえ知っていて、しっかり大胆にタンカも切って世をわたっている人たちです。大公爵夫人にしても、よ。ゴヤの女たちが、みんなしな[#「しな」に傍点]をしていなくて、二つの足を優美ながらすこし開いて立っているのは、何か人生への立ちかたを語って居ります。ヴェラスケスやヴァン・ダイクは衣服の華美さを、絵画的興味で扱っていて、人間が着ていて、裸になったって俺は俺というゴヤ風のところはなく、顔と衣服とは渾然一つの絵[#「絵」に傍点]をなして居ります。小説家はゴヤに鞭を感じます。
 こんなに色刷の貧弱な絵の本ももうこれからは何年か出ますまい。そう思うと十年以上前に大トランク一つ売った絵を思い出します。パリで妙ななりをしていても、これ丈は、と買ったのですが。惜しいのではなくよ、どこの誰がもっているやら、と。いずれは日本の中にあるのだから、わたしも日本の美術のために数百円は寄与したわけです。マチス素描集なんかがどこかでヘボ野郎の種本になっていたりしたら笑止ね。
 ああああ、どうしても歯医者へ行かなくてはならなくなりました、上歯の妙なところに穴がポッカリあいてしまったわ。
 歯医者へゆくとわたしは全くいじらしくおとなしいのよ。眼医者へゆくとしおらしく不安なのよ。歯医者は、肴町の近くのところへゆきます。メタボリンが岩本さんにも手に入らなくなっている由、「万難を排して」買って下さる由、県視学となって下関へゆくそうです、頂上の立身でしょう。下関とは、しかしこわいところね。お祝いを云ってあげなくては、ね。豚娘(!)さんが赤ちゃん生んだそうです。女の子をこう謙遜して云われると笑い出してしまいます、西郷南洲を見込んで好いた女は豚姫といったのですって。

 四月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 四月十六日
 ね、二人遊びは面白いでしょう、きょう一日あなたは私のするいろんな細々したことのお伴で、夜床に入らなければ放免にしてあげないという工夫です。
 さて、さっき始めの封をしていたら、庭の方からカーキ色服の男の子が現れて、「魚やの配給です」「ああそう、どうもありがとう」「僕とって来ましょうか」「ありがとう。でもきょうは居りますから自分で行きます。」この男の子は裏の洋画家の長男です。父なる画伯は縁側に坐っていろいろの絵をかきます。その仕事ぶりは笑えないわ、そうやって描いて一家六人をやしなっているのです。
 前のポストへ手紙を入れ、これを(十七日)けさ又受けとったのよ、七銭不足の由で。三銭四銭と恥しいほど長くはりつけることになりました。前かけかけたなり目白でやっていたようにカゴを下げて犬をつれて団子坂下を一寸むこうに突切った魚やへ行きました。魚やは初めてよ。三人で冷凍のタラ三切。三十銭也。となりの文具やへよったら封筒らしいものは一つもなし。坂を又のぼって下駄やへよったら隣組配給になるのですって。九日から二十五日までにさばいて警察に届けるのですって。下駄やの斜向うに菊そばがあります。ゆうべかえりにそこ丈明るくて男や女がワヤワヤ云っていたの、何かと思ったが、見ると今晩軒という札が出ていて午前十一時より千五百人売切れとあります。ホーレン草の束を運びこんでいます、「今晩軒て何が出来たんでしょう」「雑炊です」「まあ菊そばが今晩軒になったの」「いいえ、代が変って菊そばは引こしちゃったんです」あの下の方のところには土間に板の床几が並んで居ります、ホーレン草の入った雑炊売るのね。附近の人は大助りでしょう。外食券なしで買えるし、食べさせるのですから。いずれはうちも十一時までだから十時半などと云って団子坂の上まで列に立ったりするのでしょう。
 魚やから戻って、これから一寸することがあるの。小遣帳の整理です。小遣帳たるや、この私に[#「この私に」に傍点]二冊もあるのよ台所用。自分用。この頃は、出たところ勝負で買っておきたいものがありますから。そしてこれは、こんなものいるのかというようなもので。例えばね、この間、そこの帰りテープ買ったのよ、ゴムの。下着用の必需品。これが立売りしかありません。細いの一尺五十銭、やや太いの七十銭。六尺五寸ずつ(たった二組ずつのためです)それが七円八十銭かでしょう? これですもの。
 立売りは面白い現象です、アホートヌイ・リャード[自注8]に一杯立売りが並んでいてね、塩づけ胡瓜、卵、キャベジ、肉、殆ど何でも売って居りました。胡瓜なんかの価をきくときはパ・チョム? の方を使って、スコーリコとはきかないのね、スコーリコはもっとまとまったもので、百グラム何銭にいくらというような食品なんかみんなパ・チョムでした。それが一九二九年の十二月、西からかえったら[自注9]、一人もい
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