獄中への手紙
一九四四年(昭和十九年)
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)騎《の》って

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)五年前|熱川《あたがわ》にいた

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#二の字点、1−2−22]

〓:欠字 底本で不明の文字
(例)種子板のいれ入り〓し、
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 一月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

[#ここから3字下げ]
   初春景物
笹の根に霜の柱をきらめかせ
  うらら冬日は空にあまねし
[#ここで字下げ終わり]

 こういう奇妙なものをお目にかけます。うたよりも封筒をさしあげたいからよ。[自注1]かいた手紙は厚すぎて入らず。
 二日

[#ここから2字下げ]
[自注1]封筒をさしあげたいからよ。――この手紙は日本風の巻紙に毛筆でぱらりと書かれている。歌の行を縫って検閲の小さい赤い印がちらされている。封筒は正月らしい色どりで若松に折り鶴が刷られたもの。
[#ここで字下げ終わり]

 一月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 一月二日
 あけましておめでとう。ことしの暮はめずらしい暮でした。従っていいお正月となりました。そちらも? でも、大笑いして居ります。餅のような、という言葉は、子供の頬や女のふくよかな白いなめらかさに形容されて、日本にしかない表現でした。美しくて愛くるしい表現でした。ところが、もし今年の餅になぞらえて、あなたはほんとにおもちのようよと云われたらそのひとは、どんな返事が出来るでしょう、と。こんなにブツブツでうすくろくて、愛嬌がなくて。餅もそうなっているというところに、何ともいえないいじらしさはあるにしてもね。憐憫と、うれしい愛くるしさとは別のものですもの。
 ことしは、大分わたしの意気込みがあって、大晦日には二階はちゃんと煤もはき、よく拭き、御秘蔵の黒釉の朝鮮壺には独特の流儀に松竹梅をさしました。そして壁にはこれも御秘蔵のドガのデッサンの複製をかけました。赤っぽいものは机の上の飾皿だけです。なかなかさっぱりときれいです。花はこれを書いている左隅の障子際においている白木の四角い書類入箱の上にのって居ます。今坐って居りますが、七日ごろになったら久しぶりで机の高い方を出して腰かけにします。
 元旦から今年の計画に着手して、なるたけわたしは自分の部屋暮しを実行いたします。日記もつけ出しました。こんな暮しの中では一日にどんな勉強したか、何をしたか、一日ずつちゃんと見てゆくのも大事です。今年本やに日記というものがありません。日本出版会は日記の統制もやって、従来の日記はつくらないのだそうです。わたしは十六年の日記を出して、つけます。曜日が三日ずっているのよ。これを当にして、とんちんかんをやって、叱られやしないかと実は苦笑している次第です。
 何がどうあろうと私は何となしに元気を感じ、新しい暮しかた、勉強を期待して、きちんとした気分の正月です。どうしてだろう、と考えます。こんな瑞々とした愉しさのたたえられたお正月の気分というのは。新しい年がおとずれる、というでしょう? 新年になった、というのと、年が新しくおとずれた、というのと、心持はちがうものなのね。大変ちがうものなのね。わたしのところには年が新しくおとずれたと思います。支那の昔の女の詩人のうたではないけれど、南に向うわが窓は、年久しくも閉ざされて、牡丹花咲く春の陽に、もゆるは哀れ緑なす草、という風なところへ一条の好信、春風に騎《の》って来る、というようなところがあります。そのよいたよりというのがなんだときかれたら、わたしは何と答えることが出来ましょう。見えもしない、聴えもしないところにも、いいたよりがあるものなのを知っているのは、雪の下なる福寿草。
 三十一日に、二十九日づけのお手紙がつきました。それを、食堂のこたつであけてよんで、あと働き用上っぱりのポケットへ入れて働きました。バルザックのほかによむものの話、そうだと思います。
 この御手紙の前半にあることね。わたしは本質的には、しわん棒なんかの反対なのよ。しわん棒が義理のつき合いに骨折るなんて例は天下にありませんしね、詩を自分から溢らす人間がしわい性根ということもあり得ません。そういう印象を得ていらっしゃるとしたら、其はわたしがそういう方面が下手で、時々こわがっているそういう瞬間が結果としてそう映るし、そういうことにもなるのね。わたしに対しては、しわいという評は当りません。実際の技量が低くて、重点を巧みにとらえゆく力量が不足で、そちらの緊要に鈍感で、世間並から見ればおどろくほど大きい気で暮しているから時々妙にこわがるという結果です。それはわたしのような気質のものが、自分で無理なやりかたをしているとき(ひとまかせで結構、という人間が足りない腕で自分で万事思案してやるから)生じる哀れな滑稽です。滑稽で終らない結果もおこすから、わたしとしてはそういう自分の未鍛錬の部分も自分にゆるしているわけではありませんけれども。でも、あなたもよくおくりかえしになることね。わたしがおどろいて笑うと、きっとあなたは、だって其はブランカがそれ丈くりかえすということだよ、とおっしゃるでしょうね。
 わたしに百万遍しわん棒と云っても、私はニコついているだけよ。しかし、ブランカは自分の人生をすっかり入れこにした心で暮しているのに、そんな風に思える時があるというのは、よほど、やりかたに下手な未熟なところがあるのだね、と云われれば、其は全く一言もないわ。きっとあなたに私のそういう弱点はいくらかにくらしいのね、どうもそうのようよ。あなたのおどろくべきところは、ものの批評が深く鋭くのっぴきならなくあるにしろ、辛辣な味というものの無いところです。その立派さでひとは説得されます。わたしは、自分よりよほど立ちまさった天賦としてそれを見て居ります。魯迅が細君にやっている手紙の中で、女のひとが、辛辣以上に出る例は稀有だ、と。わたしの修業の一つに其が項目となって居ります。むき出された鋭さ、鋭さをつつみかねる人間的器量の小ささの克服。もしブランカ的素質[#「素質」に「習癖(?)」の注記]のために、折角のあなたが、家庭的な細部から辛辣さを滲ませるというような癖になったら其こそ一大事です。わたしとして慚死に価しますから。ことしは一度もそういう苦情はお云わせしまいと思うのよ、確かにわるくないでしょう。わたしをその点で御立腹なさらないで下さい。そして何となくにくらしいみたいに思わないで、ね。
 ことしは思いがけず「春のある冬」の続篇が刊行されました。ごく簡素な装釘です。でも、内容の美しさはひとしおよ。近刊の続篇は「松の露」という、実に清楚な、而も情尽きざる作品です。
 文集には「珊瑚」というのもあります。めずらしいうたですから、月半ば以後におくりものといたしましょう。きょうはさむい日なのよ、雪がふったら面白いのに。では四日に。

 一月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 一月九日
 なかなか寒うございます、頭がしーんとなる位ね。
 今のわたしは珍しい納り工合で、これをかいて居ります、二階でね、坐っているのは例のとおり例の机です。こう冷たくては堅い木がむき出しではたまらないから、机かけでもかけた方が落付ける。でも程いいのもない、厚くて、ものをのせたり書いたりしてずらないようなのは。ああ、昔父がロンドンでつかったオリーブ色のぼったりした野暮くさいテーブルかけがあったっけが、どうしたかしら。虫くいかしら、あれならいいが。こんなこと考え考えしているの。そして、更に更に珍しいことには、机の横に火鉢というものが出ていて、その中に火というものがあるの、びっくりなさるでしょう? どうしてこんなに自分をもてなしているかというとね、或はお客があるかもしれなかったのでした。古本やさんをやっていて河出につとめたTさんという人が、今度徴用になって立川につとめます。出征ではないけれども、字ばかりひねって四十になった人が、キカイを習うというのは、やはり改った事と思って細君と赤ちゃん一緒によびました、赤ちゃんが人工営養で、ゆっくり出来ないと云っているうちに公衆電話がきれてしまったの、五銭きりもっていないんだけれど、というところで。だからもしかしたら来るかと思ったので、炭をはずんだところ来ず、わたしが珍しい納りかたとなりました。机とかぎの手に、二月堂机をおいて。大したもので、お正月のようです、膝にも毛布かけて。その毛布たるやわたしが生れて百日目に札幌へゆくときくるまれて行ったという年功ものですが、なかなか暖いのよ、まだ。
 今年は、二日の手紙にかいたように昨年と暮しかたを変えて、自分の線をはっきりさせて生活しようと考えています、そのためにたとえばきょうにしろ、こうやって二階に落付いていられるのはうれしいの、そういう気分になれている自分がうれしいのよ。国咲は国府津へ行っていません。先なら気がもめてくしゃくしゃしたのに。生活の責任というものをどう考えているのかと思ったりして。Tも赤倉まで行って甘酒しるこも食べて、雪をすべってかえって来る位なんだから、こちらでこせこせ気をもむがものはないと思って。そこで、こうして静心《しづこころ》でいる次第です。わたしもいくらか修業出来たというものでしょうか。
 今年は又スペイン風邪大流行の由です。どうぞ、どうぞお大事に。わたしは経験があるから大きらいです。大いに注意して、かからずにしのごうと思います、一家総倒れになりがちで、ね。いつも、そういう大流行のときは看護婦はなし、薬はなし、というのがつきものです、規則正しく早くねて、冷えないようにしてカロリーカロリー。ね。
 営養読本は、来週中にかえして貰います、かりたひとは先をうつして返すのですからすこしゆとりをつけました。
『同盟週報』は毎週土曜日発行ですね、どうかしら、半年も払っておきましょうか、毎週きっちりつい行きかねますから。
『外交時報』は又神田ででもないと駄目らしいわ。この次の火曜日かえりによりましょう、隆治さんに本を送る中に、何か一寸可愛いものを入れてやりたいから。それも買いがてら。この頃は実に何もなく閉口ですが、神田に井上という美術専門店があって、そこにはちょいと愛嬌のあるものがあります。
 きょう『同盟週報』の一月一日号買えました。面白いというのもいろいろの程度ですが、これからお先に一目失礼いたすことにいたしました。
 片方の読書の報告をしないで又々バルザックですみませんが、どうぞ辛棒なさって下さい。「木菟党」をよみ終り、一七九五年頃のブルターニュの状況、あの時代ナポレオン時代の紛糾を実によく理解しました。木菟党はミミズクの鳴声を真似て合図とするブルターニュの農民兵で、その首領をめぐりフーシェの派遣した女間諜をめぐり、その女の人間らしい死に方を大団円とする伝奇風の作品ではありますが、ブルターニュ地方の特色、農民の狂信と無智、其を利用する坊主、それらすべてを利用する亡命貴族、その高貴さと卑俗さ、農民の剛直さ智慧とどん慾さ、なかなか大したものです。
 この時代の人々(フランス)の間にあったパリとブルターニュとの国[#「国」に傍点]のちがうという観念など、又ナポレオンに対する感情など、実によくわかりイギリスの狡猾さもよくわかります、モロアの「英国史」はこの一七九三年をめぐるイギリス対フランスをどう書いて居りましたろう。
 バルザックの筆致は極めて簡潔です、正確に、そして血肉をもっています。ディケンズが思い合わされます。「二都物語」において、ディケンズは果して、イギリスのフランスに対した真髄をとらえ得たでしょうか、其とも寛大な紳士を描くことしか出来なかったでしょうか。そういう点から又よみ直して見たいと思います、ヨーロッパの文学は、こういう共通な一つのテーマをめ
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