ぐって、おのずから対比も出来、作家の力量について考え学ぶことも出来、本当のヨーロッパ文学研究は、そういう風なコンプレックスをもって学ばるべきですね、その国々だけの一本の棒の上を這うのではなしに、ね。バルザックの農民というものに対する考えかたもこの「木菟党」でいくらかわかります、その実力のいろいろな面を知って、つまり祈祷させておくにかぎるということになったのね、それもいきり立たない念仏で。フルマーノフの小説で農民をかいたのがあったでしょう? 大変よく研究されて作者の活動を反映していた傑作でした。バルザックの農民は、この小説では特に頑迷なブルターニュを扱っていて、そこにやはり見るものは見て居ります。
「誰が為に鐘は鳴る」という小説ね、第二巻もまことに面白く数々の感想をそそるものでしたが、バルザックのこの小説のように関係をもった国々の同時代を扱った作品までを考えさせるだけ統括的なものは感じさせません。そこにあの作者の規模が示されているのだということを改めて感じました。あの小説の主人公であるアメリカ人があすこでああいう動きをする、それにつれて、アメリカというものについて更に知りたいと思う心持は直接には浮びません、更にあの山人たちが、どう思って外来者をうけ入れているかというようなこと、つまりあの事件の全性格はくっきりつかまれていないのです。時間の問題その他の関係もありますが。
 ユーゴーの「九十三年」という作品があり、殆どバルザックと同じ時代を扱っています、よみはじめたらユーゴーのロマンティシズムとはこうも有平糖でありスコットの亜流であるかとびっくりします。チェホフがね、ゴーリキイの若かったときこんな注意をしてやったのよ、君、君の小説では風が歌ったり波が囁いたりするね、しかし風は吹くのだよ、そして波はうちよせるのだ。自然は其で十分美しく立派なものだということを会得したまえ。ユーゴーがこう云われたら、何と返事していいでしょう、何故なら彼は美文の1/3は削ってしまわなくてはならないでしょう。おそろしい悪文ね、饒舌で冗漫です、そのくせ粗雑な描写です。このユーゴーの亜流がデュマであったというのがよく分ります。「ミゼラブル」が傑作であって、しかし家庭文庫の中に光るものであることが何と沁々わかるでしょう。こういう大家は文学の上では悲しいと思います。しかし大家よ、パルテノンに埋っています。ユーゴーのこういうロマンティシズムを見ると、絵の方がまだましのようにさえ思います。そしてフローベルの出たのが分るわ。フローベルは、ユーゴーに立腹したのね、そして、「ボバリー夫人」をかいたのですね、そして、あのつまらない「サランボー」をかいたのだと思います。ユーゴーが曲芸風に腕をふるので、フローベルはむっとして下を向いて、俺の皿は素焼だそれで人間は食って生きているのだ、と力んだのね、フランスの自然主義の根は、ロマンティシズムの大さと比例して居ります。田山花袋の間口二間ほどのナチュラリズムは何と果敢《はか》なくて、無邪気で、無伝統でしょう。フランス文学、イギリス文学が明治の初めに入って来たということについては、地元の文学的うんちく[#「うんちく」に傍点]の歴史がよくよくかみこなされなければ、其の日本的風土化もつまりは分らないでしょう。バルザックの偉大さ、というより博大さ、は本当に歴史を理解する力によってでなければつかまれきれません、それはバルザックの博大さというよりも、むしろフランス史の博大さですから。バルザックの小説が私たち作家にとっての興味のポイントは、人間関係の状況と性格との関係にあらわれる特色です。これはこの前私がバルザックについて素描的勉強をしたときには分らなかった点で、同時に十九世紀文学とのちがい、スタンダールとのちがいを示すものだと思います。バルザックの小説では状況シチュエーションが性格をめざめさせ動かし、後の人々の作品は、其ほど社会に強烈なシチュエーションがかくれて、性格がものを云い、自己廻転をはじめ、大戦前後の自己分裂に来ています。バルザックが歴史小説から現代小説に入って行ったのも面白いし、ドイツの小説の道と並べたら更に面白いでしょう。私はまだドイツ小説は貧弱にしか知りません。漠然と、ウェルテルとリュシアン(幻滅)の二人の主人公の歩きかたの相違を文学的本質に通じるものとして感じますが。追々こういうようにしてすこししっかり世界文学をものにしてゆきたいものです。それにしては私の語学が全く何の足しにもなりませんが。語学の力にたよらずに、外国文学も或程度正しく本質を理解したいと思えば、しなければならない勉強というものは分っているわけで、私は自分の読書力が、もっと四通八達であったら、どんなに楽だと思うでしょう。これは教育がよくなかったのよ、私が余り体育のことに無頓着に育てられて丸く小さくなってしまったように、丸く小さいところがあるのよ、きっと。残念ね、骨の折れるだけも、ね。
 こんな小さい字もかくから、大分よくなっているようですが、寧ろこの頃は眼のわるさになれて、まがったペンを使いこなすように、悪妻を扱いこなすように、こなしはじめたのではないでしょうか、チラチラはひどいままなのですもの。眼とは面白いものね、顔全体出て見える眼はこわくなくて、せまいすき間から眼だけ見える眼というものは気味わるいし、おしゃれの女がその効果をつかって、ヴェールから目元だけ出すのも何とずるい技巧でしょう。わたしは出来たらこの眼をあなたに届けて、何とか工合を直して頂いて見たいようです、
 おなかぺこについて心痛いたします。もうお眠れになれたでしょうか。

 一月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

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道ばたにならび居る子ら喉をはり
  勢一杯にうたふ「予科練」

さむ風に総毛だちつつ片言の
  女の児まで声あはせ居り

けふはなほ正月七日風空に
  凧のうなりのなきが淋しき

風おちぬしづもる屋根に白白と
  雪おもしろく月さしのぼる
[#ここで字下げ終わり]

 何の虫のせいかこんなものが出来てお目にかけます、どうせ又出なくなってしまうのよね、きっと。もう一つ或人に書いてやった文句


 さるの子も親にだかれて松の枝

 これは可愛らしくて気に入りました。
  十日

  つまりお正月のなぐさみと申すべき。

 一月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 一月十七日
 十五日づけのお手紙きょう頂きました。何よりも先ずすこしは正月らしくなったのをおよろこびいたします。本当に旧正月がい[#「い」に「ママ」の注記]わ。暦の上では何日でしょう。わたしは今年から生活の整理のため又日記をつけはじめましたが、普通の日記というものはなくなったので、十六年のを使っているのよ。ですから何だか見当がつかないけれど。ことしは面白い年で、一月の二十三日も二月十三日も、日曜に当ります、そして二月は二十九日よ。女のひとから求婚してもよいと云われる年よ。
 去年の後半は私も揉みくちゃになったところがありましたが、云わばもう其で揉みぬいたようなところが出来て、今年はもう全く心機一転よ。相変らずの、手のかかったことしてやっさもっさやっているが、もういいということにいたしました。私はやっと暮しかたも会得したと思うところも出来ました。
 わたしの愉しさについて、同感して下すってありがとう。こういう風に、何となし心あたたまる心持は何と微妙でしょうね。私がここでの生活について、サラリと気持をもちかえることが全く自然に可能になったのも何かそういう内奥のモメントが作用していると明瞭に感じます、自分の生活の線、つまり私たちは本当に私たちの生活を生活しているのだ、ということを、改めて私たちのものとして、この中に感じ直したことも、やはり同じ点からだと思います。
 こころに及ぼす深さは何と深いでしょう、それは、それ程のことと予想もされなかったと思います。ダイアモンドはどんなに小粒でも石炭でないということなのね。私は殆どありがたく思っているのよ。詩というものが、これでこそ人の心の宝と申せるわけです。そして詩を保つために払われるたくさんの心づかいというものの価値を実に実に感じます。
 自分の得ている仕合わせについて感じることは一再でないけれども、又新しくそのよろこびをもってよく体を直し勉強もしましょう。
「九十三年」は終りまで読んで、ここに云われているとおりの感想をもちました。確に大きくて多い欠点をもってはいるが、ユーゴーは、スケールがあります、統一された自身のものとして。バルザックのスケールの大さは、事象をとり集めそこにあらわれる現象を縫う博大さですが、ユーゴーは「九十三年」というものを、一まとめに全輪廓からつかまえる力量をもって居ます。彼なりであるが。そして、大変面白かったのは、「九十三年」の主人公の若いゴーヴァンによって、「九十三年」の傑物たちが、その段階では思い到ることの出来なかった生活の正義――たとえば女性の位置などについて、前進した理想をかかげている点です。バルザックは九十五年のヴァンデーを「木菟党」に扱って居ても、勝敗の渦中に秘術をつくす人的交渉のなかに全精力と智力とを傾注していて、ユーゴーのように、人類の進歩の足どりとして其の時期を見て行く性格ではなかったのね。それに、ユーゴーは、バルザックのように、ナポレオン三世の治世に、俗衆の抱いたと同じ野心で煽られず、その頃は海峡諸島の島に暮すことをよぎなくされていたのですってね。「ミゼラブル」は、その国外生活の時代の作品の由。セルバンテスにしろ、これにしろ、そのことによって宝石となり得る優秀な人々にとって流謫《るたく》とは何たる深い意味をもっていることでしょう。ツワイクは一九一四年頃の「三人の巨匠」のドストイェフスキー論の発端にそのことを云って居ります。ワイルドがかなくそになってしまった辛酸の中で、ドストイェフスキーは宝石に自分を鍛えた、と。そう云いつつ、ツワイク自身、自分の流謫を支え切れなかったのは、何と哀れでしょう。それに、そういう芸術家にとって真に自分を見出させる流謫の形が、決してチャンネル・アイランドとか、雪の野とかきまっていないのも、何と味あることでしょうね。ただ多くの場合、その境遇の真価を理解するだけ、自分の生涯というものの意味、存在の意味について考えつめられず、目前の暮しに視点をたぶらかされるから、徒に、不遇的焦慮に費されてしまうのでしょう。
「九十三年」でもう一つ大いに面白かったのは、ユーゴーらしい自信をもって、ダントン、ロベスピエール、マラーの大議論を描き出していることです。これは勿論非常に単純化されて表現されているし、原則というものに立っての理論の通った論議ではありませんが(時代の性格として)三人の人となりと、当時の有様がよく想像されます。マラーという男は、私なんかのように浅薄な知識しかなかったものには、冷厳極る流血鬼のようにしか考えられませんでしたが、決してそういう人物ではなく、三人のうちでは清廉な人間であり、政治家であったのね。九十三年の有様が、ヴァンデーをはじめ、フランス中支離滅裂であるということを最も案じたのはマラーであり、その統一の力を求めたのもマラーであり、そのために集注的権力を一人に与えることを=即ちマラーとしては得ることを――考えたのであり、そのために、清めようとして骨までしゃぶる親鼠となってしまったのね。ロベスピエールは、ブルターニュ地方を通じてピットの力、イギリスの侵入をおそれ、ダントンはオーストリア、プロシアをおそれていたときに。マラーの、その見とおしは、今日から見て正鵠を得ていました。マラーの卓見は、一面にその時代の巨頭間の勢力争いに足をひっかけられていて、コルデールが憎んで刺し、人々はそれで吻《ほ》っとしてしまって、腰をおろしナポレオンさんによろしく願ってしまったのね。その筋に立ってみれば、ナポレオンの初めの活動は、実に愛国的意義がありフランスの救いだったのに、亡命貴族の
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