しは気づまりなのや、自分が入って行くと何となし話やめるというような空気は沢山だわ。私が行っていて、私のいない折、下でよりより相談、何となし調子が改るというようなのはへこたれです。こんどは、一緒に解決するのはやめましょう、必ず結果は面白くないから。こころもちが。御機嫌伺い、お墓[#「墓」に「ママ」の注記]り、わたしも休ませて頂き、それで十分よ。そして、あとから、二ヵ月もして、手紙でお話し下さり次いで私もかきましょう、却って、ずっとその方がさっぱりしていい結果です、それは確。まして無責任に考えているのではないのですから。どうぞこの案に御賛成下さい。それについて、あなたとしてお話になりやすい条件を思いましたから。そのためにもすこしあとの方がようございます。御自分が隆治さんについて云っていらっしったと同じインシュアランスをおもちになるのです。わたしがどうかあれバ、あなたは不自由なさらないようにして考えてあるけれど、自分にとってあなたはそういう風な面で考えられませんでした。しかしお母さんのお気持に対して、あなたが御自分からの配慮として、では、誰が責任負ってくれるのだろうという場合のお母さんのお安心のために備え、其をあなたが御自分の側の一つの条件としてお話しになれば、よほど全体がすっきりいたしましょう。なかなかの妙案よ、ユリにしては。すこし良妻だと思うがどうでしょう。
 手続のことは私のを扱った前からの係の人間で雑作なく出来ます、こちらで。面倒くさい調査なんかなしに。只直接の受取人が地方だとすこしうるさいかもしれず、それを研究しましょう。わたしのは、あなたになっているわけですが。
 こうすれば、勿論そんなものと別に、段々責任を果してゆくにやりよいわ。心もちに与える第一印象が、ね。心づもりしていらっしゃるよりも多いめにしてね。たしかにこれはいい思いつきです。マリを放るにもむこうにうけとる人か壁かがなくては張合ないようなもので、お母さんにしろ何かああそういう工合のか、と、何だか手ごたえのあるようにお思いになりましょう。でも、考えるとすこし笑えるわね、観念的というようなことは或る特別な人間にだけ、かかわりあるようにふと思って居りますが、安心というものもすこし似たところがあるのかしら。それは勿論根拠はあるようなものだが、あんまり比較にならなくて、ともかくマアそう考えつきました。
 全く、時は遅くても且つ迅い、ということを痛感いたします。生活のテンポが時間という鞘から抜けて走ります。新型ドン・キホーテとはうまい表現ですね。この春をうまく合理的にすごしたらきっと丈夫さが増しましょう、しかし眼はよほどゆっくり思っていなくては。島田へ行ったらうんと早ねして、午前中起きていとうございます。
 十三日の誕生日は、鷺の宮へ行ってすごします。泊らず。あなたのお祝いは何を頂きましょうね。ビオスボン届いて? あれでもボンというからにはボンボンなのね。そう思って、とどけました。わたしのボンボンは本当にまがいなしの Bon! Bon! で、あれは不思議なボンボンよ、みると。こっちの体じゅうが惹きこまれてしまって。十三日には、心祝いに、読み初めをいたします、第二巻から。又はじめに戻ると、こわれた時計みたいにグルリグルリ針があと戻りしてきりがないから。島田では文学のつづきよみます、あれこれ。冨美子が三月に卒業いたします、お祝いになる本さえなくて大弱りです、勝の初めての端午よ、子供たちも其々存在をとなえておもしろいしおばちゃん大抵でなし、では又。

[#ここから2字下げ]
[自注2]川越の先の部屋――荷物疎開のためにさがしていた部屋。
[自注3]大岡山の室――百合子の妹寿江子は大岡山に間借りした。
[#ここで字下げ終わり]

 二月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 二月十三日
 きょうの暖かかったこと! そちらもでしたろう。おだやかな日でした。わたしはきょうずっと家にいて、おかしい暮しかたしたのよ。鷺の宮で甥の婚礼で行けなくなったのが却って幸。というのは寿の大岡山の室へ明朝荷を送るについて、きのうは目白来の荷物をあけたら、すっかり鼠が紙をたべていて、せとものはそのままですが、すっかり煮沸しなくては用に立たずというわけ。疲れたからきょうは行かなくて大よろこび。大体きのうガタガタしたから、きょうはかねてたのしみにしている読書いよいよはじめようと、はりきりで心あたりを見たのに、どうしてもなし。これでは折角の十三日だって要するに無意味だと思って悄気《しょげ》て、島田から頂いたアンモをたべていたら、咲が私の古原稿入れてある行李が欲しいというので、其ではと勇気づいて二人で働いて、二人のすべての希望がみたされ、本当に、本当にいい気持となりました。これで十三日らしくなったわ、今夜はたのしみです。
 それでも赤い御飯がたけ、珍しく配給の豆腐のお汁が出来、配給の魚の名は妙な名で、オマエみたいな名ですが、頭つきで大威張りの焼き魚でした。
 よみはじめる本[自注4]、島田へゆくまでに三百余頁だから終りたいものです。
 十日に書いて下すったお手紙ありがとう。きのう、十二日、着。お手紙の趣しみじみよく分ります。だからわたしもせめてきょうからは、と埃まびれにもなった次第でした。そうです、全く非人間的な現象が人間らしいものとなるのは、上塗りのコテ工合でゆくものではありません。孜々《しし》として勉学する、孜々として勉学する、ここに無限のものがあります。この頃はね、私がこういう生活しているせいかもしれないが、作家の誰彼が、どこでどう生活しているのか、ひところのサロン的彷徨出没がなくなったから普通の人々は全く我れ関せずのようです。宇野千代が、日露戦争秘話という本かいているようですね。そうお。あのひとはやりてなんですか。そんな工合です。所謂作家生活が崩壊したスピードは大したものね、この一年足らずの間に。特に最近の半年足らずの間に。吹きちらされたようにどこかで、どうにかして何年かすぎるのですが、さてそれからふたの開いた時が見ものというも余りありでしょう。もとのような意味や形で、作家でございと云ったところでああそうですか、でしょう、この頃は。横光利一はもう二度と大学生の神様にはなれません。作家気質がふっとばされて、銀座界隈、浅草あたり、亀戸新宿辺から消散し、さてその先はいかがでしょう。大したことです。何人の古参兵がのこるでしょう。高見順は日本の製靴業の歴史みたいなものを研究している由です。西村勝三[自注5]という先達者が西村伯翁の弟で、古田中夫人の父です。この間「白藤」かいたこと申しましたろう? そしたら良人が大変よろこんで礼をよこし、西村勝三にもふれているのが面白いし、高見順をよんで子供たちが父の話をきくことになっているとか云ってよこしました。高見順の方向は愚劣でないが、その靴と日清・日露がどうからみ、且つ今の当主西村直は大金持だが、そういう昔話の集りなどには出ても来ないし、よびもしない。おっかさんは廃嫡して谷口となっている息子の方へ暮しているというような現実の面白さまでを、どう靴からくみとるでしょうね。「白藤」へは、性質上かきませんでしたが、母が話したことがあります、「品川の伯父さんは、あれだけの人物でいながら、妙なことを云ったことがあるよ、よっちゃん、おじさんが一生御恩にきるから何とか大将のところへお嫁に行っとくれ、って。後妻だったんだよ。何のつもりであんなことをたのんだんだろう。ことわったがね」。高見順の靴物語もここに小説があるのですがね。バルザックは少くともここいら迄かけました。作家の勉強の大変さがこの一つでも分ります。プティ・クローの仕事をあすこまで学ぶということの意味。作家の資質は飛躍しなければならず、大いに空語でない努力がいります。これらすべて面白い、悠々とした希望にみたされた文学的展望でしょう? 一刻千金というところね。ああ私には今ここをおよみになった瞬間に、あなたの口元に泛んだ苦笑が見えました。こうお思いになったのよ、ブランカ! わかったように云っている。もっともこのことは分った話だが、ね、と。そうね、こうやって読まざるを得ないあなたに、わたしが満々たる計画を語って[#「語って」に傍点]いたところで、いくらそれがあなたにだと云って、やはり筆舌の徒に陥らないということはないわけだわね、こわいこと、こわいこと。では、さようなら。小さき一つの実行にとりかかりましょう。しかしね、あなたに語るということは、やかましい神様に立願したようなもので、自分を自分でしばることになって、万更無駄でもないのよ。空気に向って語られたのではなく、それは精神に向って語られているのですもの。

[#ここから2字下げ]
[自注4]よみはじめる本――マルクス・エンゲルスの原典。
[自注5]西村勝三――西村伯翁の弟。
[#ここで字下げ終わり]

 二月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 二月二十一日
 おとといはおもしろい雪でした。わたしの心もちでは、まるで咲き開いた花のあつい花びらの上にふりつもった白雪という感じで、全く春の雪でした。
 そちらではいかがな風情でしたろう。こちらが花びらの上にふる雪と感じたら、そちらはゆるやかな芝山のまるみを一層まるやかに柔かく見せる雪景色ででもあったでしょうか。若木が深い土のぬくみを感じて幹を益※[#二の字点、1−2−22]力づよく真直に、葉を益※[#二の字点、1−2−22]濃やかにしている枝々に、しっとりと重くふる雪でもあったでしょうか。
 木の幹の見事さや独特な魅力を思うと、自然のこまかさにおどろかれますが、木の幹は決して人間の観念の中にある真直という真直さではないのね。いろいろな天候の圧力や風の角度に対し自身の活動のリズムの複雑さをみたすのに、それは何と微妙な線で美しく変化しているでしょう、そういう美しさと雪の美しさはやはり似合うでしょう?
 雪が冬の終りに降る頃は、天候も春のはじまりのひそめられた華やかさがつよくて。疲れること。
 風邪はおひきにならなくても、熱が出やしなかったかと思って。わたしは何となく二三日おとなしくてぽっとして暮して居ります。用事はどっさりあってね、金曜日から土、日と出つづけでしたが。用事というものは考えると妙ね、だってこころの何分の一かで果せるようなところもありますから。
 土曜はQのところへ行きました。この頃は可笑しいでしょう、本をかしてあげたらあのひとが又がしをして、かりた人がお礼にバタをくれるのですって。それが来たら知らせるからというわけで。行ったところ、バターは消しゴムほどあったわ。そして、文学の話はちょぼちょぼで、やりくり話、家の整理の話等々。今の人のこころもち生活の態度がわかって何だか感服してしまいました。そして、自分の机を思い、よむ本を思い、更に感服をふかめました。
 この間のお手紙で天気予報のことね、みんなによんできかせて大笑いいたしました。皆もお説は尤もだということでした、決して日づけまでをとは申しませんそうです。でもやはり天気予報は有益です。私の身辺のことを見たって。
 日曜日は寿の大岡山の室へやっと荷がはこべ八時ごろつみ出させ、ひるすぎ出かけ、夕飯を七輪の土がまでたいてやって、この三四日ぶりではじめて御飯いっぱいたべさせ大安心いたしました。ホテルでも、朝小さい円い型にはめた、(よくジェリーを丸くしていたでしょう? あれ)――のおかゆ一つ。実なしのみそ汁、いわし一尾ぐらい。晩は、用の都合でぬきになった日があった由。この節の旅館暮しはおそろしいばかりです。ですから、ともかく一ヵ月十二円で、おカマで御飯たいて、おみおつけつくってたっぷりたべたら、悲しくなったというの全くよ。おっかさんの顔みてから子供がワーと泣くと同じです。
 これで寿も上京して安心してね起きするところ出来たから私も安らかとなりました。従弟が寿と食事してひどさにおどろいて話しているのをコタツでききながら、フーフーふいてあった
前へ 次へ
全36ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング